「敵の敵は味方」ではないけれど「味方の敵は敵」かもしれない
歴史の授業の時に出てきた気がします、「敵の敵は味方」理論。
もちろん、「そうではないよ」っていう意味で出てきたと思うんですが、逆のことを最近は考えます。
「味方の敵は敵」なんじゃないか、ってことです。
自分にとって何が幸せか、を考えた時に、自分自身の生活や精神の安定は大切だけれど、それと同じくらい大事なのが『自分が大切に思っている人が幸せであること』だなって思います。
それは家族もそうだし、仲の良い友人もそうだし、恩義を感じている相手もそうです。
自分が心の底から幸せだと感じるには、そういう人たちが健康で充実した生活を送っていることも含まれているのです。
でも、それって結構難しいなと思います。
私にとって大事な人の中にも、対人関係で悩んでいる人もいます。
わかりやすくその人を”敵”とするならば、その人は私の大事な人を苦しめているわけで、つまり私が幸せになるために必要な”大事な人が幸せである”という条件を阻害する要因であり、となると私にとっても”敵”とみなしていいのではないでしょうか。
まあ、ちょっと乱暴な理論ではありますが……
その敵に対し、だからと言って仲良くしないとか付き合いをやめるとかではありません。
(もちろん、私とは関わりのない人もいますが)
どうしたら大事な人にとっての敵でなくなるのか、を考えるべきだと思うんです。
人じゃない場合もありますね。
病気とか、家が住みにくいとか。
細かく考えていくと、そういう”人”以外の小さな敵は多くて、もしかしたらそれの集合が社会的な問題になっているのかもしれません。
だとすると、この敵を正しく認識して、適切に対処していくことで、社会全体の敵は減っていくわけで、直接的に自分の大事な人の幸福度が上がっていなかったとしても、大事な人の大事な人、の大事な人、あたりは幸せになっているかもしれません。
そんな漠然としたことを考えていて、とりあえず直近の敵は「コロナ」「デマ」「差別」だな、なんて思いました。(大きい敵だ……)
今日も手を洗ってうがいをして、よく食べてよく眠りましょう。