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「つまらない」と感じたら読んでほしい
つまらない。
毎日、特にすることがなく、何をしたらいいんだろう。
「何もしていない」ということはない。
朝起きて、着替えてトイレに行って、お湯を沸かして化粧水つけて。
窓を開けて、そしてこれを書いている。
朝起きて10分でこんなにもたくさんのことをしている。
なんならメールチェックして、返信して、お母さんからのLINEにも返事をしてこれを書くのを中断して朝ごはんも食べた。
「何もすることがない」というのは、生産性のあること、お金になること、感謝されることを指しているのではないか。
生産性がなく、だれの役にも立っていないと自分は無価値な人間だと”自分が生きている意味”がないように感じてしまうのではないか。
ましてや、お金にならないのなら、存在していること自体に罪悪感を抱いてしまうこともあるかもしれない。
世の中では、”一生懸命働く”ことが尊いと考えられる場面が多い。
だから、安くても時給のもらえる”仕事”をしている方が価値のあることとされる。というか、親や割と近い人間にそういわれる。
だけど本当に”何もしていない”ということはほとんどの場合ない。
わたしの場合は、今、これを書いている。
これを書いている今、時給が出ているわけでもないし、一文字いくらと値段がついているわけでもない。
ただ時間があるから書いている。ただそれだけだ。
でももしかしたら、これが誰かの目に触れて、読んでもらえるかもしれない。
だれかがこの文章に共感して、うんうん、わかるわかると言ってくれるかもしれない。
そしてもしかしたら、何もすることがないと無価値観や罪悪感を持っている人が、目の前の人生を見つめるきっかけになってくれるかもしれない。
そうしてもしかしたらこれが書籍として出版されて、より多くの人に読んでもらえて、気づいたらベストセラー作家になっているかもしれない。
そんな妄想ができるなら、それも楽しみの一つ。
だから”何もすることがない”と思いながらやっていることは、原石かもしれない。
わたしにとっては文章を書くこと。誰かにとっては絵を描くこと、歌うこと、漫画を読むこと、テレビを見ること、サイクリングすること、かもしれない。
目先の”生産性”に押しつぶされることなく、自分が今やっていることにmを向けよう。それを思い切りやってみよう。つまらない、やることがない、と言いながらもやっていること。当たり前のようにやっていること。これくらいしかやることないと思えることをただやっていればそれでいい。
そこに自分なりの面白さ感動を味わえたら、それでいいじゃないか。