【傑作映画】ソウルフル・ワールド
<一言で言うと>
「既存価値観」への"静かな"抵抗
<外せないポイント>
■"生きること"の全肯定
クラウドファンディング・投資環境、ベンチャー企業発のサービスの浸透、そして個人での容易な発信環境の整備によって、ある人(それも身近な人)の「夢を追うこと/その経過」を目の当たりにすることが増えた。その結果、「夢を追う=生きる意味」となり、それと真逆にあたる「夢を持って行動していない=不真面目」ひいては「夢がなければ生きる意味がない」みたいな図式が、無意識的に刷り込まれるようになった。それが生み出す"無目的に生きることが辛い空気"をこの作品は緩和してくれる。もちろん、夢を追うこと/それを語ること自体を否定しているわけではない。「夢を追う/追わない」ではなく、単純に「起きて、食って、歩いて、寝る」行動のなかでの一瞬一瞬の煌めき/ときめきを感じる、それだけでも生きる意味として十分であることを、ユニークなキャラクター造形とストーリーで伝えてくれる。そして、この作品は「夢を見つけられない人」だけでなく、実は「夢を追って叶えられなかった人」「夢を叶えて燃え尽きた人」「現在、夢を追っている人」の救いにもなる。既存の価値観の危うさを感じ取り、救いの手を差し伸べている。
■セカンドチャンス/サードチャンスへの優しい視線
ジョー=ガードナー(主人公)は一度死ぬ。不注意で。
これは「セカンドチャンス(最終的にはサードチャンス)」の話とも言える。そして、ある人の生きる姿は、他の人の生きる理由にもなることを示唆している。22番はガードナーとしての生活を通じて、生きる準備が整う。ある人の姿に自分を重ね、それを糧に生きる勇気が湧いた(22番の場合には生きる準備ができた)経験を感じさせる。
ある人の生きている様は他の人の支えになりうる。だから、基本的には何があっても人は「生きる」ことを許されるべきだと思う。
おそらく上記以外のポイントもあると思うが、この作品は"既存の価値観の危険性を炙り出し、救いの手を差し伸べてくれる"。
中途半端な日本語看板、JUJUの「奇跡を望むなら…」など、日本向けのローカライズの動きには「?」もあるけど、作品自体は本当に素晴らしい。
そして、ピクサーの最新作がサブスクサービスの料金(700円)のみで追加料金もなく視聴できることは、(Netflixなどで恐ろしいクオリティの新作映画/ドラマが見れることにはすでに慣れていたはずなのに)改めて驚かされる。