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数理の世界に飛び込めない文系の民たち

長濱由成です.

文理融合の学部と聞いてどのような印象を浮かべるか.近年流行っているリベラルアーツや教養と同系統の線を走っているうえ,人文科学・数理科学といった幅広い分野を学ぶ世界といった所だろう.私の在籍する山口大学国際総合科学部もそのひとつとして本州の最西端で日夜頑張っている.

しかし,同学部の生徒が皆,人文および数理両方の素養があることは極めて稀だ.数学という響きを悪魔の囁きと誤認し毛嫌いする者も少なくない.受験の中には数学が課せられているにもかかわらずだ.

筆者は同学部の中で珍しい文理融合タイプの人間だ.興味の対象はコンピューターや人工知能,哲学,科学など幅広く持っているという個人的観測をしている.今日も学内バイトとして太陽光パネルの基盤製作(サムネイルのやつ)を手伝っていたりと,理系的な世界観で主に生きている.AIで毎日絵描いたりブログ作ったりもしている.

【大学院生がAIについてブログを書くという設定で】

AI技術は近年急速に発展しており、様々な分野での応用が期待されています。特に、画像認識や自然言語処理などのタスクにおいては、人間を超える性能を発揮することが可能です。
その一方で、AIは倫理的な問題も引き起こしており、適切な管理や研究が必要になってきています。
本ブログでは、最新のAI技術や研究動向について紹介しながら、その利用や管理における問題点にも触れながら考察していきます。

また、AIは社会に大きな影響を与える技術であるため、それを利用する上での社会的な視点も重視します。特に、人工知能がもたらす労働力変革やジェンダーや人種などの偏見の拡大など、社会的な影響についても詳しく考察していきます。

AI技術はまだまだ未知の領域が多く、今後もさまざまな可能性が開かれていくと考えられます。本ブログでは、AIに関する最新の情報や知見をお届けしながら、AI技術がもたらす多様な問題についても真摯に取り組んでいきます。

こんな感じで一瞬で書ける(笑)
30秒でこんな感じ

noteを読んで貰えれば気付くことだが,私は数理科学を基礎として人文学系の学問に向き合う.その姿は国際総合科学部が目指す人材の最たる例で,学部の主旨を理解している者の1人として毎日走り回っているが,私のような人は1割も居ない.正直寂しい.なので,今日はなぜこのような環境が打破できないのかについて考えてみる.この問いは文理融合を推し進める現代の大学像に微細なメスを入れることとなる

文理融合が成立する人材を育てるには主に2種類の方法がある.文系に理系的素養を与えるか,理系に文系的素養を与えるかだ.けれど,そもそも文系理系といった学問区分は明治初期に作られたものなので,1600年以降の区分はあまり気にするべきではない.しかし,本論においては現代の状況を鑑みて事前に「文系・理系」という枠組みの中で話を進めることをご了承願いたい.

さて,先ほどの2つの手法だが難易度は歴然とした差がある.筆者の所感では明らかに前者の方が後者よりも難しい.要因はいくつか考えられる.ひとつには理系的な思考法が根幹として所持するのには時間と労力が必要だということ.他にも,数学的センスや統計的思考など先天的な才が複数重要となるからだ.一方,文系の学問では主に"知識"であり"実験"や"生成"ではない.この条件を見た場合,文系から理系に移る(いわゆる理転)と文転では大きく差が開くことは理解できるはずだ.

さて,ここで反論を想定した解を用意しておく.例えば「理系は英語や国語ができない」といったよくある受験脳の塊のようなテンプレ反論についてだ.冷静に考えてほしいが,国語,特に文章が読めない人は凡そ数学も理科もできない.文脈を追えないにもかかわらず,原著論文や数学の難解な未解決問題などに挑めるはずがないし,その程度で読める文章はアカデミックの世界には基本存在しない.したがって,数理が突出している学生は基礎的な文章力が事前に備わっていたと考える方が辻褄が合う.

逆に言えば,文章力や要約力がない人がアカデミックの世界で生きていくことは極めて難しい.人間は言語という特殊な記号体系から生涯逃れることができないのはもちろんのこと,学問という世界においては動画ではなく文書の記録が歴史的に重要視されている.そのため,国語力の乏しい人は壊滅的な差を後の生涯で突き付けられることとなるだろう.これは決してディストピア的な思考ではなく単なる現実だ.ただ,動画や映像,映写機が誕生したのは1800年代後半,キネトスコープやキネマトグラフィが誕生し,映像という概念が視覚可能な媒体となり,後に映画やテレビ,アニメといった主力メディアとなって移り変わっていったのはおよそここ100年ほどの話.学問の歴史は古代バビロニアや古代ギリシャから通じているので,依然として動画が主流とならないのも無理はない.

さて,では文系から理系に移ることは根本的に不可能かと言われるとそうでもない.事実,私は理系的な考えが好きだがテストは苦手だ.数学や統計学のテストは基本60点ギリギリで成績を貰っているし,共通テストなどの大学受験でも決して得意科目ではなかった.しかし,ひとつ言うならば「理解する,問題が解ける,発明する」といった動詞はそれぞれ全く違う人の像を浮かび上がらせることを理解してほしい.もちろん前述の3動態が全て叶えば良いが,果たして世の中の理系の多くが「AかつBかつC」の集合に属するかと言われればおそらく違う

私がよく話に出す落合陽一さんは研究者としては常人からすれば計り知れない結果を出しているが,受験には二度失敗しているし高校数学(受験数学)は苦手だったと公言している.そんな世界なのだから,普段のテストが取れないからと言ってあなたが理系的素養がないかと聞かれれば必ずしもnoではないのだ.だから,一度数理的な学問分野に浸ってみてほしい.私もまだまだ足湯程度しか浸かれていないが,いずれは半身浴程度に沼ろうと企んでいる.


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