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「ジャイ・ビーム」とは何か?

 2023年2月、民法地上波のゴールデンタイム番組『世界ふしぎ発見』でも紹介された現代インド仏教徒の合言葉、
「ジャイ・ビーム」
今回は、その由来と意味について、概説したいと思います。

 ◎インド国民軍と「ジャイ・ヒンド」
 スバス・チャンドラ・ボース(1897〜1945)。通称︰नेताजी(ネタージー/司令様)。大英帝国植民地支配からの独立を志し、ガーンディー(日本ではガンジーと表記)の非暴力と不服従による抵抗戦略に対して「それは高尚な哲学だが、現実の国際政治には通用しない」と異を唱え、実力行使による反英闘争を展開しました。ボース率いるインド国民軍は〝祖国万歳、イギリスは撤退せよ〟の合言葉として、
「ジャイ・ヒンド!(जय हिन्द)」
を掲げました。ジャイは〝勝利あれ〟の掛け声、ヒンドは〝ヒンドゥー教の国に〟を意味します。この言葉は、長きに渡る植民地支配により苦渋を味わって来たインド民衆の心に火を点け、敢然と立ち上がらせました。しかし、ヒンドゥーに次いで信者の多かったイスラーム教徒にとっては払拭しがたい思いもあり、1947年の8月14日、先ずはパキスタンがイスラーム教国としてイギリスから独立、翌15日、政教分離のインドが建国されました。

大ヒット映画『RRR』のエンディング曲から

 ◎「ジャイ・ビーム」誕生
 ビーム・ラーオ・アンベードカル博士(1891〜1956)。初代法務大臣、仏教復興運動の先達。通称︰बाबासाहेब(バーバーサーヘブ/父上様)。
 チャンドラ・ボースより六つ年上の彼は、最下層の「不可触民」出身でした。凄まじい抑圧と虐待に耐えて勉学に勤しみ、奨学金を得て米英に留学。類まれな才能を開花させ、インド帰国後、差別解放運動に着手しました。そのため、英国からの独立を最優先課題と考えたガーンディーと真っ向から対立。ガーンディーは「カーストとは制度でなく差別心の問題だ。今後は不可触民と言わず、ハリ・ジャン(神の子)と呼ぼう」と提唱しました。つまり、単純な言い換えで事実を塗り込めようとしたわけですね。これに対しアンベードカル博士は、
「人はみな神の子というなら分かりますが、私たち不可触民だけを線引して神の子と呼ぶなら、そうでない皆さんは怪物の子なんですね?」
と猛反対しました。
 現行インド憲法の起草にも中心人物として携わったアンベードカル博士でしたが、議会が男女同権の推進を「ヒンドゥー社会の伝統に反する」と妨害したため、野に下り、人間平等を説く仏教の復興を目指しました。そして、彼の支持者たちはファーストネーム︰ビーム・ラーオにちなみ、ジャイ・ヒンドならぬ、
「ジャイ・ビーム!(जय भीम)」
を合言葉にしました。その意味するところは〝ヒンド ≒ 不平等〟に対する抵抗と糾弾、さらにはアンベードカル博士の苦闘にならって「人生苦に打ち勝つぞ!」という宣誓です。
 ところで、ビーム(भीम)とヒンド(हिन्द)は日本語の感覚では音の類似性が伝わりにくいですが、ビはB(ब)ではなく有気音BH(भ)のため、母音イの響きと相俟って、インド言語においては違和感のない韻なのです。

ビーム・ラーオ・アンベードカル博士

 ◎佐々井秀嶺上人の登場
 アンベードカル博士の入滅から十二年後の昭和43年、一人の日本人僧侶が忽然とインド中南部の田舎町ナーグプールに現れました。佐々井秀嶺師(当時33歳)です。彼は、そこで出会った被差別民衆の凄惨な暮らしと、人々が心の拠り所としている〝活きた仏教〟に衝撃を受け、アンベードカル博士の偉大さに胸を打たれました。
 ナーグプールに着いて間もなく、毎年開かれている『アンベードカル博士改宗記念祭』に招待された佐々井師は、突然スピーチを頼まれます。

 さて困ったな、と少し思案してみると、……ある言葉が閃いた。仏教徒同士が挨拶するとき「ナマステ」じゃなく「ジャイ・ビーム」といっていたな。よし、男は度胸、とばかりにマイクの前に立ち、肚の底から気合を込め、会場を埋め尽くす大観衆に向かって三度、唱えました。
「ジャイ・ビーム!ジャイ・ビーム!ジャイ・ビーム!」
 一瞬の静寂のあと、どよめきと共に観衆が呼応し、会場全体が「ジャイ・ビーム」の大合唱に揺れ動きました。
  
〈『必生(ひっせい) 闘う仏教』佐々井秀嶺師著。集英社新書〉

インド民衆のカリスマ

 ── 以下は余談です。
 ほんの数年前、或る日本のお坊さんが、私にこんなことを言いました。
「ジャイビームはアンベードカル万歳の意味だと聞いた。日本人は戦時中の天皇陛下万歳のイメージがあるから受け入れにくいのではないか」
 ただ失笑するしかありませんが、所属宗派の教義以外ほとんど教わることがない日本のお坊さんが置かれた状況を考えれば、致し方ないことなのかも知れませんね。

四年ぶりの来日講演 (2023)

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