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歴史の闇と、『もののけ姫』。(中)

 いつもご覧いただき、ありがとうございます。

 さて、前回の『もののけ姫』(上)に続きまして、(中)です。

 以前は「1. あらすじとメッセージ」について書かせていただきましたが、今回は民俗学的内容です。

 歴史のうちに閉ざされた闇をまた少しだけ深く、覗いていきたいと思います。

2. タタリとケガレ

 『もののけ姫』の始まりは「タタリ神」の登場で幕を開けます。

 ごっついミミズのようなモノが、ウネウネ渦巻く気持ち悪いヤツですね。

 でも、そもそもタタリとは何でしょう?

 民俗学者の柳田國男の説によれば、「立ち有り」から「タタリ」になったと言われます。

 「立ち有り」ということは、そこに神が立ち現れる、つまり、「神というよく分からないものが現れる=タタリ」ということなんですね。

 そのため、天災や疫病、人間には予測不能な事態などを一般的に「タタリ」と呼んでたそうです。

 そして、かつては映画でもあるようにタタリの原因を、占いで調べたんですね。

 例えば、神様の意に反したとか、祭事を怠ったとか、罪を犯したせいだとかを、占ったわけです。

 このように自然災害を含むあらゆる「悪」の原因に答えを探していった結果、八百万の神と言われるほど、日本には神様(=タタリ)が増えていったのかもしれませんね。

 かくして、日本文化が華咲いた平安時代あたりには、神や霊だけではなく「もののけ」として、妖怪系もタタリの一種になります。

 このような考えもあって、ただのタタリが偶像化されて、日本には神様や妖怪が大量発生するようになったようです。

 現代においてもアニメやゲームで描かれる「擬人化」も、「もののけ」の創造と言えるかもしれません。

 しかし、一見タタリのように見えても、実は人間たちの「出来事」であったりすることも少なくありません。

 このウニョウニョした「タタリ神」は、足がクモのように突出していることから、モデルは妖怪の土蜘蛛だと思われます。

 土蜘蛛とは、でっかい蜘蛛の姿をした妖怪として描かれます。

 しかし、もともとは「ツチゴモ」と呼ばれたらしく、「土(洞窟)にこもった山賊」という意味だそうです。

 これは、かつて天皇などに敵対した土着の豪族などのことを呼びます。

 今では妖怪化されていますが、言い伝えでは「山海が血で染まる」ほど殺されたので、本当にタタリもあったかもしれませんね。

 そして、このようなタタリに触れることで「(精)気が枯れる」、つまり「ケガレ(穢れ)」が発生するとも考えられました。

 もともと「ケガレ(穢れ)」とは、超常的な力(例えば自然災害など)で生きにくくなった「荒らされた状態」のことを言います。

 古くは長岡京の遷都(794)なども、皇族の連鎖的な死や、洪水に天然痘が起こったことからも、絶食自殺をした早良親王のタタリとして考えられました。

 このように「死」や「病気」なども「ケガレ」という忌み嫌われるものとしてイメージされ、民間にも伝わっていったようです。

 そして、このタタリ神に祟られて、ケガレを受けてしまうのが、もののけ姫の主人公、アシタカ(ヒコ)です。

3. ナガスネヒコとアラハバキ

 タタリ神に祟られる『もののけ姫』の主人公、アシタカ(ヒコ)、彼のモデルは「ナガスネヒコ(長脛彦)」ではないかと言われたりします。

 これは、「長い脛」=「足が高い」という言葉遊びからですね。

 ちなみに『日本書記』では、物部氏の祖先であるニギハヤヒノミコト(饒速日命)がナガスネヒコを殺して、イワレヒコ(神武天皇)に従ったとされています。

 そしてニギハヤヒは、ナガスネヒコの妹であるミカシキヤヒメ(三炊屋媛)を娶っていたそうで、なかなかややこしい家族関係となっています。

 しかし、『古事記』においてナガスネヒコは、死んだかどうかは描かれていません。

 そのため、ナガスネヒコ(長脛彦)は、アラハバキ神と関係があるのではないか、という考察もあります

 このアラハバキ神とは、「荒吐神」や「荒脛神」とも書かれる、ナゾの神です。

 それなのに全国に神社が点在していて、伊勢神宮や出雲大社など、重要な神社の末社などにも「隠れ神」として祀られています。

 柳田國男によると、アラハバキ神は「客人神(まろうどがみ)」の一種として見做されています。

 「客人神」と書かれますが、実際は、もともと地主神であったところ、大和朝廷などの神によって隅に追いやられた神の一種であると考えられています。

 ちなみに、すでに江戸時代にはアラハバキは謎の神になっていて、その名前からか脛巾(ハバキ)を捧げられたりします。

 ハバキとは、江戸時代は基本が着物だったので、長旅や作業を行う時に脛の下を保護するために巻いたもので、脚絆(きゃはん)とも呼ばれるものです。

 このような「ハバキ」のイメージに、「アラ(荒)」がくっついているんですね。

 「荒」とは、「アラシ(嵐)」などの言葉があるように、日本では過酷な自然現象のイメージを持つことが多いです。

 また「荒(アラ)ぶる」は「荒(スサ)ぶ」とも読み、「過ぎ去っていく」「廃れていく」と言う意味もあり、日本神話だと「スサノオ」がこの2つのイメージを担っています。

 つまり、「アラハバキ神」とは、まるで「動き続けざるをえない、壮烈な運命を背負った者」というような名前と考えることができるんですね。

 『もののけ姫』でも、タタリ神は「荒ぶる神」と呼ばれ、悲しみと憎しみを撒き散らしながら動き続ける存在として描かれます。

 そして、このタタリ神を致し方なく殺すことになったアシタカは、その腕に「肉を食い、骨を蝕み、其方を食う」呪いというケガレを受けています。

 そのため、タタリ神やアシタカは、「動き続けざるをえない者」として、アラハバキ神とイメージが合致するんですね。

 また、このように「動く神」である「アラハバキ神」は、歴史的においては、農民などの定住民とは異なった非定住民と首長たちだった、つまり、「漂泊民」の一種だった、と考えられます。

4. 漂泊民と鉄

 「漂泊民(ひょうはくみん)」とは、朝廷や国家とは別にコミュニティを作っている共同体のことを指します。

 日本で言えば、芸能(人形劇や踊りや唄)を行う人たちや、農民が使う農具や竹網などを作る職人なんかも、漂泊民の一種であったようです。

 なお、東北だと、平安時代から存在していると言われる狩猟民族で、「マタギ」と呼ばれる漂泊民がいたと言われます。

「マタギ」と呼ばれるのは、土地や山をまたいで移動するから、アイヌ語で狩りを意味するマタクから来ている、など諸説あります。

 このように定住生活をせず、朝廷や国には属しないアウトサイダー的な人たちは、中世日本においては大量にいました。

 しかし、正史としてあまり記述されないので、歴史の授業ではなかなか学ぶ事がありません。

 そのうち、『もののけ姫』にも出てくる「たたら族」、つまり製鉄屋の村も漂白民の一種でした。

 かつて、製鉄は砂鉄を集めて作っていました。

 昔は鉱山よりも、砂鉄を集めた方が効率が良かったんです。

 そのため、砂鉄がなくなったら川から川へ、山から山へと次々に移動するわけです。

 そうやって集めた鉄を、溶鉱炉にぶち込んで、ガンガン薪を焚いて、「たたら(踏鞴)」を踏んで風を送って製鉄します。
 ちなみに、「地団駄(じたんだ)を踏む」は「地踏鞴(じだたら)」が変化した言葉です。

 なので、タタラ族が巨大化すると、より多くの木を切り取り、川を掘り返します。

 環境問題なんて考えすら存在しない当時です、やりたい放題です。

 最終的に、アニメで描かれる通り禿山になるまで刈り尽くし、結果、洪水や土砂崩れも発生し、最終的に谷が埋まってなだらかな山になったりします。

 すると、平地ができて田畑ができるようになるので、漂白民をやめて、農民になったりするんです。

 めちゃくちゃですね。

 そのため、『もののけ姫』の最後のように、なだらかな山になってしまい、エボシ御前に「いい村にしよう」なんて言わせてるんです。
 ただ、それだけ草木が生えやすい温暖湿潤気候であるからこそ、できる芸当だと思います。(韓国なんかは、この影響で今でも禿山が多いとか)

 今で考えるとありえませんね。笑

 もちろん、禿山を放置して、どんどん新しい鉄を求めて動いていく漂白民もいました。

 すると、周囲の住人からは嫌われるわけです。

 しかも、製鉄を行う際に発生する有毒ガスを吸い続ける訳ですので、寿命も短い。

 考えられるだけでも、塵肺、珪肺、肺炎に癌などなど。

 こうなると、子孫や一族を増やすことも簡単ではないので、子供を誘拐することもあったでしょう。

 これがそのうち「神隠し」の一種となり、一本タタラという妖怪になって恐れらたようです。

 「一本タタラ」とは、「一本タタラは人さらい、遅まで出歩く悪い子は連れてかれるぞ」なんて呼ばれる人攫いの妖怪です。

 この「一本」というのは、タタラを踏み過ぎて足が壊死して一本足になったから、また多くは一つ目で、たたらの炎を見続けることによって片目が潰れたから、と言われたりします。

 もしかすると、『もののけ姫』で描かれるように、村八分にあったライ病患者も引き連れたりしていた可能性も、ゼロではないでしょう。

5. アラハバキたち

 そして、『もののけ姫』にたたら場に集まるような漂泊民は、むしろ普通にいっぱいました。

 時代としては室町であり、当時の南海トラフ地震(1361年 正平・康安地震)や、度重なる干魃や飢饉もあったため、口減らしに身売りもあったでしょう。
 また、河原へ行ったり、山へ入ったりして、なんとか食を得ようとし、また専門的な能力を高めて生きようとした人も少なくなかったことでしょう。

 ちなみに、河原へ行くのは、当時は川の氾濫や洪水が多かったため、河原の土地が課税対象にならなかったこともあります。

 そして、河原に集まった彼らは「河原者」と呼ばれ、能の創始者である世阿弥や観阿弥などを輩出する、芸能漂白民として発達していき、また河原であることから、海洋民と関わって、交易も盛んに行われていたと考えられます。

 一方、山に向かった彼らは「たたら族」などの漂泊民と一緒になったり、製鉄や農具や焼き物を作ったりする職能民と合体したりして、様々な職能を持ち、生きようと画策したと考えられます。

 ちなみに、山や川では男女の区別はありましたが、仏教や朝廷や将軍などの男性が優位に立とうとする男性中心の身分制度はなかったと考えられるので、『もののけ姫』で描かれるように、かなり女性は自由だったそうです。

 また、漂白民も「交易」を行うことによって、生業を行い、これが中世において「座」(海外で言うとギルド)へと繋がり、仏教や朝廷などの特権階級と繋がることで、文化を発達させてきたと考えられます。

 こうやって日本では多くの人が必死に生きてきました。

 一方、当たり前のように自然破壊をしてきたことも多々あったけれど、それでも日本の「優しい」気候によって、自然は力強く再生し続けたんですね。

まさに『生きろ。』というメッセージが隅々まで浸透して作られています。

 ちなみに、戦国時代に至るまで「座」の文化は発展を遂げ続け、素晴らしい一品や高品質な道具を作ったり、商人として突出するようになっていました。

 そこで、各地の戦国武将もその能力を取り入れようと躍起になっていたとも考えられます。

 この様子は、『もののけ姫』でも描かれていますね、サムライが「たたら場」に押しかけるところです。

 たたら族の鉄は、それこそ品質が高く、刀なんかを作るのには最適だったようです。

 しかし、彼らは山賊や海賊と何ら変わらないため、取り入れることができたのはごく僅かな武将だけでした。

 そのうち、織田信長は、楽市楽座を開いて、職人と朝廷との結ぶ特権を「座」から取り外して交易を自由化したりしており、職能民とかなり強い繋がりを作ったと考えられます。

 そのうち、最も有名なのは、織田信長の部下の一人であり元海賊、九鬼嘉隆(くきよしたか)ですね。

 この九鬼(クキ)もそうですが、漂白民の苗字には「鬼」の文字が入っていることが多いです。

 「鬼」という字は、そもそもアウトサイダーを示す名前でもあります。

 普段、私たちは「鬼」というザックリとした「同じような過去の人たち」として見ているに過ぎません。単にマイノリティ民族であるとか、そういうイメージしか持ってない。

 でも、室町期ってもっとゴチャゴチャして、カオスで、とにかく色んな人が溢れていたんですね。

 そしてめちゃくちゃながらも、必死で生きていたわけです。

 すると『もののけ姫』は、歴史の闇に葬られた数多くの人たちをアニメとして蘇られせるという、ものすごい一大事業だったことが分かるんです。

 そりゃあ、ジブリの予算を食い潰したことでしょう。笑

 そして、先述したアラハバキ神社の御神体は、「黒く光る鉄の塊」だったり「巨石」だったりすることもあるんです。

 つまり、「アラハバキ神」にまつわる一族は、タタラ族でもあり、アシタカたちの一族(長老の家にある巨石)でもあったんですね。

 「アラハバキ神」すら、名前でまとめられているのですね。

 そのため、アシタカが故郷を離れた後、襲われている村で戦いケガレによる異様な力を見せたのち、『鬼だ...』と呼ばれるのは、完璧に計算されたシナリオだったわけです。

 では、『鬼』とは一体どのような者たちだったのでしょうか。

(つづく)


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