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人類の破滅と、『崖の上のポニョ』。

 さて、前回の『ハウルの動く城』につづきまして、『崖の上のポニョ』(2008)です。

 さて、崖の上のポニョと言えば、「ポーニョポーニョポニョ」という歌が一人歩きして、いったい何のアニメか分からないまま、興行収入155億円を叩き出した映画ですね。

 そう、だいたいの人が言うのは、「あれは何のアニメか分からない」って言うんです。

 このテーマも、「君たちはどう生きるか」に通じています。

 ということで解説していきましょう。

1. 神話からやってきたキャラクターたち

 まず、ポニョと言いますが、あの魚?の本名は「ブリュンヒルデ」です。

 ブリュンヒルデとは、北欧神話の女神で、ワルキューレと呼ばれる女性たちの一人です。

 ワルキューレとは、死んだ戦士の魂を死後の世界へ運び、ヴァルハラと呼ばれる神(オーディン)の城へ、彼らを迎え入れる女神です。

 9人ぐらいいるそうで、その中でも代表的な三姉妹の長女が、「ブリュンヒルデ」です。

 ちなみに、戦士の魂は、そこで世界最後の戦争(ラグナロク)に備えて、延々と鍛錬を続けるそうです。

 で、このブリュンヒルデが大活躍するのが、ワーグナーの歌劇『ニーベルングの指輪』です。

 実際、映画の嵐のシーンでもその重厚な音楽が使われたりしました。

 一方、ポニョの娘たちは、北欧神話ではなく、ギリシャ神話のネレイスだと思われます。

 合計50~100人いるらしい、超大量の姉妹です。

 お父さんが頑張ったのか、魚だし卵が多いから普通なのか不明ですが。

 彼女たちネレイスのお父さんは、内海(穏やかな海)の神、ネレウスです。

 お母さんは、外洋の神、オケアノスの娘、ドーリスです。

 その娘であるネレイス達は、父親と一緒に海の宮殿にいて、イルカと遊んだりする毎日を暮らしているそうです。

 ポニョの妹たちも、なんとなくそんな感じで暮らしてそうですね。

 そして、意味不明なポジションなのが、ポニョの父親です。

 今までの話だと、名前はもっと西洋っぽいはずです。

 でも、名前がフジモトです。

 なおかつ、どう見ても人間です。

 しかも、地上に出たら、深海の水で潤いを保たないと生きられない。

 魔法使いなのに不便ですね。

 設定では、『海底二万マイル』の小説にあった、ノーチラス号の船員だったとか。

 その後、人間の破壊活動に嫌気がさして、海で生きることになったとか。

 また、1907年(映画、海底二万マイルの公開された年)から黄金の液体(命の水)を集めていたり。

 全ての大陸が一つだった超古代の大陸、パンゲアを唱えていたり。

 もはや誰かわかりません。

 ということで、解読してみましょう。

 フジモトとは、藤本と書きますね。

 藤といえば、蔓(つる)の多い花です。

 藤本(フジモト)とだけ書いたら意味がわかりませんが、神話で蔓の植物と言えば、ブドウの木のことです。

 日本でも、イナザギも冥界下りの際、頭に被っていた蔓の輪っかを投げると、ブドウの木になったりします。

 また、ギリシャ神話でも「蔓」と言われれば、ブドウを示し、お酒(ワイン)の神様デュオニソスのことを言います。

 また、フジモトの作っている黄金の液体、「命の水」とは、ラテン語で「aqua vitae」(アクア・ヴィテ)です。

 これは、葡萄を醸造したもの、つまりワインのことを言います。

 ちなみに、アクア・ヴィテはゲール語(アイルランド)で、「ウシュク・ベーハー」と言うそうで、ウイスキーの語源になったそうな。

 なので、ポニョのお父さんはお酒の神様かもしれません。

 だから、見た目も酔ってる感じあります。

 冷や水を足に撒いたり、目にクマが出てたりですね。

 と言うことは、酔っ払いの魔法使いと、半人半魚の娘。

 うーん、全く子供向けアニメな感じがしません。

 じゃあ、母親はどうでしょう。

 ポニョの母親は、グランマンマーレと言います。

 映画でも、観音様じゃ!とか呼ばれたぐらい、神々しい存在ですね。

 身長や体格も自由に変化できたり(観音様は三十三種類に変身できる)、ストーリーの展開からも、観音菩薩のイメージで間違いなさそうです。

 ちなみに、彼女の見た目は、ミレーの絵画『オーフェリアの死』から、なんだそうです。

 絵画『オーフェリアの死』とはシェイクスピアのハムレットの一節に着想を得たミレーの代表的絵画の一つですが、ストーリーとの連関はなさそうです。

 そして、彼女の「グランマンマーレ」という呼び名、これは「グレートマザー」と同じ意味で使われているのでしょう。

 グレートマザーとは、ユング心理学に出てくる用語です。

 直訳すると、偉大なる母、という意味です。

 女性には、「育て養う」側面と、「抱え込み呑み込む」側面がある、と言われます。

 神話などでは、年長の女性や女神、老婆、魔女などの姿で表されたりもします。

 言うなれば、女性の良い面や悪い面をそれぞれ演出したのが、グレートマザー、ということです。

 ポニョの母親が、女性のいい面を演出した存在です。

 一方、映画では女性の良くない面を演出した存在も別にいます。

 これがトキさんです。

 老人ホームにいる「いじわる婆さん」みたいな感じの人です。

 映画では脇役であるため、かなり認知度は低いですが、意外とキーポイントになる場面で登場してきます。

 魚嫌いなキャラでもあるので、ポニョの母親との対比って感じですね。

 また後述しますが、トキさんだけが、ポニョ一族の恐ろしさを知っているところも面白い。

 次に、主人公の少年、宗介の母親リサですね。

 たぶん介護士で、保育園と養老施設が一体化した場所で働いていますね。

 ちなみに、このリサ、他のジブリ作品にも名前だけで出演しています。

 漢字はおそらく「理沙」です。

 これに気づいている人は、相当なマニアです。

 リサは、『千と千尋の神隠し』の一番最初の場面で、千尋にお別れの時に花束とメッセージカードを渡した子です。

 映画を見れば、ちゃんとメッセージカードに「理沙」って書いて一番最初に出てきます。

 つまり、ポニョは、千と千尋の十数年後の世界を描いた作品になってるわけですね。

 ちなみに、主人公の宗介は、夏目漱石の小説『門』の野中宗助からアイデアを得たそうです。

 まとめると、ポニョの家族が神話的であり、また自然そのもののように描かれている一方、人間はとても人間的に描かれるわけです。

2. 小さな世界

 そして、舞台のモデルは、鞆の浦(とものうら)だそうです。

 実際に宮崎駿含むジブリスタッフが行って取材したことで有名になりましたね。

 江戸時代の地図と現代の地図が一致するという珍しい港町で、景勝地の一つです。

 私も昔行きましたが、なんとなく映画に使われてそうな場所も散見されました。

 ちなみに、鞆の浦は1934(昭和9)年に選定された国立公園の第1号「瀬戸内海国立公園」の中心的な存在であり、近くには「仙人が酔うぐらい美しい島」と呼ばれた仙酔島があります。

 この島にも泊まったことがあるんですが、本当に現世から隔絶されたような、とても不思議な気分になりました。

 これは、島のほとんどが「溶結凝灰岩」(黒曜石みたいなもの)で出来ている地質的な影響もあるかもしれません。

 宮崎県の高千穂峡なんか同じく、硬くて切り立った渓谷を作ったりする、溶岩によってできた独特な地質なんですね。

 パワースポットと呼ばれるだけのことはあります。

 しかし、近くには廃工場もチラホラあって、環境汚染感が拭い去れない感じもありました。

 まさに、宮崎駿は好きそうなテーマだなぁ、とも思いました。

 で、鞆の浦は、ちょうど瀬戸内海の中心あたりで、潮がぶつかる場所だそうです。

 そのため、ポニョの目的の一つであった「波を描く」研究対象になったんですね。

 確かに、波って描こうと思っても、案外描けません。

 実際やってみればわかりますが、そもそも波はなかなかデッサンできません。

 そのため、頭の中にイメージを焼き付けないと描けない。

 そして、そのまま描いては水に見えないんです。笑

 これはとても面白い現象で、理由はわかりませんが、水を水っぽくアニメで見せるにはちょっと誇張した方がいいんです。

 それでいて、見た目は自然じゃないといけない、これがとても難しい。

 葛飾北斎の富嶽三十六景が、いかにすごいかわかります。あれは、あえて誇張してるんです。

 単なる写実ではなく、アニメのように「動き」を前提として描いているような、すごい絵なんですね。

 そして、アニメでこれをやるのは極めて難しい、映画での水中の表現なんて私は鳥肌ものです。笑

 「ハウルの動く城」では、炎の表現に徹底的にこだわり、『崖の上のポニョ』では、水の表現、と言うことですね。

 そういう部分も楽しめるので、波や水を中心に眺めてみるのも一興です。


3. 生命の大爆発

 と言うことで、ストーリーに入っていきましょう。

 まず、ポニョの父親であるフジモトの「命の水」について。

 映画では、ウイスキーの貯蔵庫に見えたりする部屋にある、黄金の液体ですね。

 この「命の水」は、魔法エネルギーの塊みたいな感じです。

 どうやら深海の水を濾過したりなんかしたりすると作れるみたいです。

 原理はよくわかりませんが、アニメなのでオーケーです。笑

 また、海の生物を育てたり作るのに使われています。

 まさに、生命の源泉ですね。

 どんだけ凄いことしてんねん、フジモト。

 そんな超凄い「命の水」を作る目的は、過去の自然世界の復活です。

 そのため、後半になって絶滅したはずの生物が大量に出てくるんですね。

 人間の汚した世界を浄化して、太古の世界と同じ美しさにする、みたいなノリでしょう。

 しかし、命の水は、ちょっと強力すぎたようです。

 ポニョが「命の水」を吸収することによって、大災害が起こります。

 とても変な描写でわかりにくいんですが、月を地球に近づけちゃったようです。

 月の引力で、海が垂直の壁になるというレベルです。

 うーん、ちょとヤバいですね。笑


 もちろん物理的にありえませんが、それどころの話ではありません。

 例えば、月がめちゃくちゃ地球に近づくとします。

 満潮や干潮が激しくなるどころの騒ぎではなく、海の水が月の方向に向かって山のように集まります。

 そして、海の水が、地球の自転と月の公転に従って超巨大な洪水が起こります。

 また地殻運動も活発になり、火山の真上に月が来れば、きっとすぐさま火山が噴火します。

 一方、月と反対側の地球では、破滅的な干ばつが発生します。

 そして、ただの水ではなくマグマや土砂なども一緒になった、土砂の壁の超津波となって襲いかかります。

 おそらく、おおよそ数キロ超え、幅およそ数千キロ周囲の水の壁(というより超巨大な山脈)が、世界中をヌメヌメとかなり早くなった自転の速度(月の公転半径が短くなるため)で移動します。

 ご想像の通り、1日も経たずに世界中で地獄の風景が広がることでしょう。

(上記は、物理的知見の範囲での想像なので、数値的根拠はありません。)

 わ~い、月がおっきい!なんて言っている場合じゃありません。

 というか、そんなに月が近かったら、しばらくして地球と衝突するかもしれません。

 もし月が落ちてきたら、ロッシュ限界に到達して、粉々の散り散りになりながら、土星の輪みたいになって一部が地球に降り注ぐと思われます。

 どちらにせよ、人間は絶滅必至でしょう。

 ポニョの後半は、物理的に考えるとそういう環境になりますが、まぁとりあえず話を進めましょう。


4. 人類滅亡と再生

 ということで、ポニョが起こした厄災によって、人類滅亡します。

 え?

 そうなんです。

 今回の映画は、トトロとかの都市伝説関係なく、文字通り人類滅亡するんです。

 なので、全員があの世行きです。

 ということで、あれは全員あの世行きのエンディングなんです。

 だから、三途の川の橋渡しとしてポンポン船が出てきたりします。

 死後の世界だからなのか、大正時代の人間(服装)とかも出てきます。

 そもそも、ジブリではよく出てくる、民俗学的なモチーフであるトンネル。

 つまり、あの世への入り口(境界)もしっかり用意されているわけです。

 そこから二人が戻ってくることはありません。

 単純に考えると、みんなあの世でハッピーエンドを迎えるわけです。

 怖いわ。

 斬新な子供向け映画すぎ。笑

 もちろん、ストーリー的にはハッピーエンドなので、地球が別世界になった!というような構造になっているんですね。

 そのため、「世界が変わる」とは「世界を変えることだ」と言う意味だとも読み取れます。

 というのも、上記したトンネルには「交互通行」「一車線」「譲り合い」という標識があります。

 これがミソで、いわゆる「通過儀礼」としてのトンネルを作っているんですね。

 何を通過するのか、そして、なぜ「世界が変わる」のか、それは後ほど解説するとして、まず本作の元になったストーリーを3つ紹介したいと思います。

 1つ目の物語は、ハンス・アンデルセン『人魚姫』です。

 人魚姫と言うと、どうもディズニーの『リトル・マーメイド』と一緒だと思う人が多いですが、かなり違います。

 そもそも、ハッピーエンドじゃありません。

 好きな男性とも結ばれず、人間にもなれず、最終的に泡になって、風の精みたいなのになります。

 子供の頃に思いましたが、『人魚姫』は、なかなか寂しい結末です。

 駿監督も同じように結末に納得がいかなかったらしく、ポニョを作成する原体験になったようです。

 そして、もう一つの物語はH.P.ラブクラフト『インスマスの影』です。

 ラブクラフトの作品は、基本的に「旧世界の邪神が復活して、人類を滅ぼす(かも)」みたいなのがテーマです。

 この旧世界の神々が出てくる一連の作品を「クトゥルフ神話」と呼び、最近では小説やゲーム、アニメなどでお馴染みの存在になりました。

 で、この『インスマスの影』では魚男が出てきます

 正確には、魚男だったことを忘れた男が出てきます。

 その男がインスマウスという街に向かったことにより、昔の魚の血が騒ぐんですね。

 そして、夜な夜な繰り返される邪神崇拝の声を聞くにつれて、だんだんと体が変化していく。

 エラが張ってた顔に、本当にエラが出てきて、鱗に包まれて、魚男になって海へと帰っていくんですね。

 最終的には海の邪神を呼び出して、世界を転覆する。みたいな感じです。

 ちなみに、この邪神を「ダゴン」と呼んだりします。

 ポニョの母親のことかもしれませんね。

 というより、ポニョの母親は、髪の毛がウニャウニャしてるし、なんとなく旧世界の神々のボスでタコみたいな化物、クトゥルフに見えなくもない。

 それにしても、クトゥルフと観音菩薩を合体させるとは。笑

 そして、最後に日本の昔話『浦島太郎』です。

 浦島太郎と言えば、亀を助けた浦島が、助けた亀に連れられて、竜宮城に行って盛大に歓迎されたはいいけど、お土産にもらった玉手箱でお爺さんになるというやつですね。

 私、子供の時は、宇宙人に連れ去られた物語だと思いってましたが、元々は日本神話をベースにしています。

 かつて、海で漁をするのが得意な海幸彦(ウミサチヒコ)という兄と、山で狩りをするのが得意な山幸彦(ヤマサチヒコ)という弟がいました。

 あるとき、弟はお互いの道具である釣り針と弓矢を交換して狩猟をしてみればどうかと思い、兄に提案してやってみましたが、どうも上手くいかない。

 やっぱり得意な道具で得意なことをしなければならない、と思い直したのですが、弟は釣り針を無くしてしまう。

 それに激怒した兄は、なんとしてでも元の釣り針を持って帰れと、弟に命令します。

 困り果てた弟は、自前の十握剣(トツカノツルギ:握り拳10個の刃渡りの剣)を溶かして、500本の釣り針を作るけれど、兄は受け取らない。

 ならばと弟は、1000本の釣り針を作るけれど、それでも兄は納得しない。

 困り果てた弟の山幸彦、塩椎神(シオツチノカミ)というお爺さんと出会います。

 山幸彦がわけを話すと、老人は竹で籠を編んで小舟にして、これに乗って綿津見(ワダツミ:海神)の宮殿である竜宮城へ行けば、なんとか取り計らってくれるだろうと言われます。

 そこで、山幸彦が竜宮城へと向かったところ、海神の娘である豊玉姫(トヨタマヒメ)が、山幸彦に一目惚れするんですね。

 そして、また、山幸彦も神の子であるとわかり、とても良い待遇をされ、竜宮城で、3年ほど暮らすことになりました。

 その後、山幸彦は故郷に帰りたくなってため息をついたところ、豊玉姫が気遣って、海幸彦の釣り針を探してあげ、そして山幸彦を困らせた兄を懲らしめるための、さまざまなアイテムを渡して地上へと返します。

 そして、最終的に兄である海幸彦は弟にコテンパンにされ、兄は弟に仕えることになった、というお話です。

 その後、山幸彦と豊玉姫との間には子供ができたんですが、子供を産む時は恥ずかしいので見ないでと言った豊玉姫の言葉を裏切って、見てしまったところ、彼女はワニの姿で唸って出産していたんですね。

 これに驚いた山幸彦は逃げてしまい、豊玉姫も竜宮城へ戻ったそうです。

 そして、彼らの子供が後の天皇家の系列になる、そんなお話です。

 このように浦島太郎の元になったストーリーは、「異類婚姻譚」という神話によく見られるタイプで、フジモトとグランママーレ、もしくは宗介とポニョを示しているのかもしれません。

 すると、彼らが天皇家に繋がることからも、古代からの日本の再生、つまり、国造りをやり直すなんて意味をつけることもできますね。

 で、以上のように3つの物語が、基本的にポニョの下敷きになっているわけですね。

 かくして、旧世界の神々と動物たちが蘇って、なおかつ人間と共存していると言う、ひっちゃかめっちゃっかなストーリーなんですが、そこに日本の国造りが関わっているという壮大な構造になっているわけです。

 ついでに、ここに、ジブリお得意の数遊びも入ってきます。

 ポニョの場合は、3という数字がメインになってきます。

 3というのは、神話などでもよく使われていて、神聖な数とされます。

 キリスト教でも三位一体とか、ヒンドゥー教でも三神一体とかあります。

 観音菩薩が33の姿に変化することより、京都には三十三間堂とかありますし。

 あそこには333体の仏像があります。

 フリーメイソンでも3は重要な数とされて、役職とか色々なものに使われます。

 他にも三種の神器とか、世界三大ナントカや、三段オチとか、

 結婚式の三々九度とか、駆けつけ三杯とか、色々ありますね。

 映画だと、主人公の宗介の母親、リサのナンバープレートが333だったりします。

 他にも、3回の会話がキーポイントになったり、ポニョが3回寝るとか、

 3つのイベントやアイテムが出てくるとか、いろんな含みがあります。

 このような様々な要素を入れ込むことで、宮崎駿は、新しい御伽噺を作りたかったのかもしれません。

 それは、「選択する」ということに特化した御伽噺です。


5. 生きることと、選択

 人間の生は、基本的に選択の積み重ねによって成り立っています。

 朝起きるか、それとも眠いから二度寝するか、と言うところから、まず選択が始まります。笑

 でも、そういうミニマムな選択においても、人間性と言うものは出てくるんですね。

 『崖の上のポニョ』では、それまでの作品とは違い、具体的に選択を迫られる場面が大量に出てきます。

 それまでの作品では、選択がすでに行われた状況だったり、選択の前で悩む場面はよく出てきたんですね。

 でも、『崖の上のポニョ』では、具体的に「どうする?」と問われるような場面が目白押しです。

 そこで、主人公であるポニョと宗介は、常に自ら選択をするんです。

 映画では簡単に描かれているんですが、自ら選択をするって、大人になるとけっこう難しい。笑

 今日は雨だから止めました、とか、彼が怒っているから止めましたとか、平気で他人を基準に選択をして、平気で他人のせいにするんです。

 会社でも、「いやいや、あんたが嫌だったからだろう」ってことがよくあります。笑

 でも、宗介もポニョもブレないんです。

 もう「花咲か爺さん」や「金の斧」かと思うぐらい、とにかく選択と決断だらけのアニメです。

 主人公の二人は、自分が良いと思った事を自ら選択して、自らの選択に責任を持って、どんどん前へと進んでいく。

 カッコ良すぎて、もうお父さん見るたび泣いちゃいます。笑

 というのも、人間の選択には必ず、「交互通行」「一車線」「譲り合い」が絡んできます。

 もし自分がしたい事ばかりを突き進めると、ポニョが行った魔法のように、世界は破滅してしまう。

 でも、相手と真剣に向き合い、何が良いのかを必死に考えて生きてれば、自然と良い選択を行い、自然と良い人生を歩むことになります。

 すると、世界が変わるんですね。エゴの世界ではなく、みんなのための世界になるんです。

 そのため、全てが変わった世界で、ハッピーエンドを迎えるんですね。

 そのキーワードは、やはりポニョが散々言い続けてる「大好き!」なんです。

 こういうシンプルさが一番大事なんです、とにかくシンプルに選択して決断、悩まない!

 このように英雄譚仕立て、決断の大切さに向かい合ってで作られたのが『崖の上のポニョ』なんです。

 これこそ今回のテーマであり、「君たちはどう生きるか」と言えます。

 それは、好きを正直に、たったそれだけ。

 シンプルって素敵ですね。

(おわり)


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