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vol.21【気づき】老いは後退だけじゃない。前進する項目もあった。

親の老老介護を遠くで見守る娘・マアちゃんです。父・ペエくんの介護を母・ブンブンがしています。振り返り回として、 老いによる衰えや、やや来てる認知症について誤解してたことを列記。これまでよりも家族の関係性が和やかになる、前進の要素もあったんですよ。参考になれば嬉しいです✊

「まだらでぼんやり」という状態は無い


ペエくんの反応には、「クリアな時」と「おぼつかない時」の2種類しかないんですね。違いはくっきりしている。切り替わる瞬間は見たことないけど。知人に言ったら、「そうそう、私も親を見てそう思った〜」と言っていました。

急に親らしいことを言うことがある


「感染症に気をつけて、静かにしていなさい。あんまり出歩くんじゃないよ」、と急にシャッキリしゃべることが多々あってビックリ。若い頃の口調そのもので。伯母と電話で話した時、「あっ、それ、電話した時に私も言われた!」と言っていました。

前より社交的に振る舞っている

昭和の人って感じで、思ってることを言わず背中で語るのを悟れ! というタイプのペエくん。お上手言うなんてもってのほかだったのに。うっくん(うちの子。ベリーショートヘア)が学校で優秀な方の数学のクラスに入れたとき、「頑張ったねえ。褒めてやらなくちゃ」と。ああちゃん(うちの子。こちらはロングヘア)を連れて行った時、「ショッピングモールへ寄ってから帰るね」と言い訳をして早めに帰路についたのですが。「無事帰れたよ」と電話すると「いいのあった?行けてよかったねえ」と。頭脳がクリアだぞ! という主張なのかな。それか、周りの世話になってる状況をわかっていて、前よりも社交的にふるまってるのかな?

「大丈夫」は大丈夫じゃない。お手伝いポイントを勝手に探して入り込む

「いいよ、手伝わなくて」と言うけど、本当は手伝ったほうが丸く収まる。親が何でも出来ていた頃の記憶が色濃いから、「そっか、大丈夫なんだ」って鵜呑みにしちゃいがちですが、状況は全然違うと思います。

用事がなくても、半日実家で過ごしてみてください。「大丈夫!」は口ばかりで、「やっぱり今日は疲れちゃった!夕食は家にあるもので済ませよう!ドラッグストアへ行くのもやめよう」などなど、体がしんどいし億劫だし、何かと先延ばししていることは多いと思います。

うちの場合だと、先週、先々週、1ヶ月前に、「やっておくよー」と言っていた用事がまだ終わってないことがよくありました。ここ片付けとく、これあると便利だよ、と欲しがってたものをまだ買ってないなど。

「じゃあ、私が行ってくるよ!」と言って、看護師さんの言ってた良さそうなグッズをその日のうちに買うように心がけました。食事エプロンが思ったのが売ってなかったのでamazonで即購入。翌日届き、次に行った時ブンブンが、あれありがとう、すごく便利だよ!と言ってくれました。

なんだ、大丈夫じゃないじゃん!自分から頼むのは、はばかられるけど、手出しされたら重宝ってことのようです。

あとは、勝手にちょっとお掃除しちゃったりお布団干しちゃったり。その流れで自然に「お風呂掃除するよー」「なんだったら、今度、背中流してあげるよー」、とペエくんに声をかけました。お風呂関係のことは嫌がられましたが、踏み込んだ球を投げ続けたおかげで、この後、トイレのお手伝いもさせてもらえたり、より密接なお世話へナチュラルな雰囲気で移行できました。イヤだイヤだと言われるんだけど、言葉どおりにとらえず、布石を打ったのがウチの場合は良かったです。

帰り際、「また頼むね!」とブンブンから言われるようになり。人の気持ちって正面から正論で行かずに、成り行きでずるずるーっと繋げるのがいいのかもしれないです。

必ず慣れが訪れるから、行く道中になれておく(気持ち編)

実家とはいえ、道中のさまざまなものが一変していて、時の流れにせつなくなるかも。何度か通って、心を太くしておき万全に。

必ず次のフェーズがあるので、使える先進機器を見せて馴染んでおいてもらう

ブンブンばガラケーだし、家にWiFi飛んでないし。ペエくんはそもそも携帯すら持っていない!
「もう80歳だよ。新しいこと覚えるなんてイヤなんだよ」とブンブンはいつも言ってる。でも、子供世代としては、親が情報弱者になっちゃうのが心配。そこで、「アレクサ、マアちゃんに電話をかけて」と言えばテレビ電話ができるし、「アレクサ、○○を調べて」とネット検索もできるな!と思って、スマートスピーカーの「Amazon  echo show 8」を実家に持っていきました。モバイルWiFiも。嫌がられながら3回紙袋に入れてぶら下げて持っていき、3回目は実家の本棚の上に置いて帰りました。次に行った時、電源を引っこ抜いて本棚の奥にしまってあったので引き上げてきましたが。考えたいことではないけど、もしも次のフェーズで役立つかもしれない。または、ブンブンに「せめてスマホに代えようよ」と中を取ってOK出るかもしれないな、という期待を込めて✊


この人が言えば、親が言うことを聞く! という人材を探しておくと良い

「この人が出てきたら、対応しないと体裁悪いな!」と思う人材を、近所、親戚を見回して考えておく。それで、学校でいう生活指導の先生よろしく、実家に一緒に来てもらいました。「連れて行くよ」と電話しただけで、ブンブンが急いで地域包括センターへ足を向け、ずっとしていなかった手続きを進めていました(わかっているけど二の足を踏んでるんだね)。

コツコツ、心のドアを叩き続ける

ふんわり、コツコツがポイントなので、意味なく家に顔を出すことから始めました。物理的に行けない人は、電話をこまめにするなどでしょうか。心のドアは急には開かないですよね。テレビでひとり暮らしのお年寄りと交流を試みるボランティアさんのドキュメンタリー番組を見ていたら、やはり、心を開いてもらうまで何回も何回も訪問していました。
他の人はどう対応していたのか、友人に聞くと、LINE電話が多かったです。子供(親からしたら孫)の顔を見せたりして。あとは、ファクスを送ったり、何気ない一言を一筆箋につづり、日々投函していたり。子供(親からしたら孫)が一筆書いたものを送ってる、という人もいました。高校生や大学生でしたが、孫なら受け入れやすいのかも。

いずれ亡くなるのは、生まれるのと同じくらい日常だ、と気づく

子供(といっても中学生なんですがねーー)の夏休みの宿題を管理したり、日常を過ごしながら会いにいく、という毎日を繰り返していたら、人が病気などで亡くなっていくことって、強く抵抗すべきことではなくて、自然な日常の一部なんだと気づきました。受け入れるのは到底難しい。だけど、概念だけは身に沁みて再確認できた感じです。

求められてからやる。うるさがられないタイミングで。

さまざまな介護用品を、先にチラッと話しておき、両親があってもいいなあ!と言い出してから手配。ただ、知らないとできないので、結構前から話題にしたりカタログを見せたり。ポータブルトイレ導入も、家具調やにおいのしないものがあるのを、だいぶ前から啓蒙して実現しました。

ケアマネさん、訪問看護師さんなどに頻繁に、報告電話と称して会話する。

何も動くべきことがないなら、連絡無用だ!というのもわかるんですが、ほうれんそうしたほうが情報がもらえるので。まるで仕事場のように、逐一報告していました。すると、いろんな気づきを教えてくださることが多く。訪問看護師さんが帰り際、車に乗り込んだあとふと思いついて、また車を降りてわざわざこちらへ教えに戻ってきてくれたことも。「次の受診でドクターにこういう風に希望を伝えておいた方がいいですよ、今のうちに」とか。すごく、助かりました!!!

小さい気づきばかりですが、次に出来そうなことを心づもりしておけると、慌てなくてすみますね。

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