心をザワつかせる、ある言葉の話
私がフォローしている一菜さんの記事。
「心がザワつくワード」
私が書きたくて仕方なかったのにいい表現が見つからなくてずっと書けなかったあることを、見事に表しています。
記事の内容そのものに触れると、
うちの職場にも「私一人くらい嫌われ役がいないと」と、自らを犠牲にしてみんなのために言ってやってんのよBBA(年下の先輩)がいるんです。
もう、ほんっと厄介。
「嫌われ役」じゃなくて心底嫌いな人です。
この方について文字数を使うのは記事の本旨ではないので語りません。
さて本題はというと、
数年前から私の心をザワつかせる、ある言葉。
それは…
【自己肯定感】
ちょっとネットを開けば、
自己肯定感を高めよう
自己肯定感が低い自分が嫌
子供の自己肯定感を上げる
呪文?呪詛?のように踊り狂うこの五文字。
なぜ私がこんなにも「自己肯定感」という単語に強い嫌悪感を抱いているのか?
それはきっと私が、
自ら 己を 肯定している
からなんでしょう。
言いたくない言い方をすれば、自己肯定感が高いんだと思います。
…いやほんとこれ何を言ってるの?
自己肯定感に低いも高いもありますか。
自己は肯定されるものでしょう。
私は音楽家なので、
知識・経験・感情・環境・体力・技術…
今まで生きてきて得た、ありとあらゆるもの…自分の人生そのものを音にして、人に伝えることが仕事であり生き甲斐です。
「私なんか」だの「こんなレベルの演奏」だの言ってる場合じゃないのです。
もっといい音を出したい、あの小節ミスったの悔しい、次はこう表現したいという向上心はあれど、いちいち自分を卑下したり自ら価値を下げにいってたら、それは表現ではなくなります。
一時、自虐ネタで笑いを取ることが楽しいときもありましたが…後で思い返すとひたすら虚しくなるだけなんですよね。
いろいろモヤモヤしてたのを吐き出してみて、やっぱり私の中には「自己肯定感」という言葉はない。
失敗しようが、後悔しようが、恥じることがあろうが、私の人生は誇らしいのです。
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