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SUNABACOで脳汁を出そう
カンパくんのツイートがきっかけ
年末年始ということもあり、皆さんのnoteをしっかり読む時間も増えて、自分もしばらくぶりにちゃんとnoteを書きます。カンパくんのnoteがきっかけとなりました。
なかまこさんのツイートで、SUNABACOスタッフへのメッセージがあったことから、カンパくんは
叶うなら、20代前半を中心に、強制力を持たないまま生きていく今の若者たちの外付けの「強制力」として、SUNABACOをうまく使ってもらえたらいいなと、年末にあらためて思ったのでした。
と締めくくります。
強制力を嫌う世の中
確かに、今の社会自体が「強制力」を嫌う風潮になっています。
〇〇ハラしかり、働いちゃいけない改革しかり、誰かが何かを他人に強制することができなくなっている。
しかし、社会はきっちり分断されていて、表に出てこないだけで、つらい強制を受けた子どもや業種が「良い」人生を歩めることになっている。
子どもの時のつらい強制にも種類はあって、何かしら技術を身に着けるためのものならいたしかたない部分もあるけれど、あんま意味のない、脳みそへの知識の詰め込みを妄信している人は未だにこのAI時代にいる。
もちろん脳に知識量が入っていることが重要な業種はあるけれど、もう希少種になりつつある。AIで知識を甚大に得られる時代には、まず知識を精査する基礎体力が必要なんです。
大多数の人は使わない知識を脳に詰め込むより、その詰め込む時間を、生きる力、つまりは何か価値を提供できる力をつける方向へ使ったほうがいいんじゃないかなあと思うんです。
かたや、知識の詰め込みはだめだとなったら、さあタブレットで学習できた!やったね!みたいな、表面的なつらさを除いたお勉強で、ほんとにその人が、学習する力を身に着けたと言えるんだろうか?
確かに担任の採点の作業は減ったらしい。楽になったね、よかったね、で、根本的なところは解決してるんだろうか。
従来型の学びの表面的なデジタル化には疑問がいっぱいなんです。
脳汁が出るスクール
SUNABACOは、スタッフの人はしっかり学びのサポートしてくれて、教材もアップデートしてくれて、何より、受講生同士の学び合いの場がデザインされているところが、単なるスクールじゃないと思うんですよ。
脳汁と表現されますけど、本当の学習って、脳が痺れるかんじっていうか、ひらめきが重要なんです。
あ、そういうことか!がデザインされてるところが日頃の講義からPBL(スクール最後のプロジェクト学習)でしっかり落とし込めているのが、さすがだと思います。
なかまこさんが銀行クラスタの方々、医療クラスタの方々と次々巻き込んでくださるので、これもまた受講生同士、普通に暮らしてたら会えない人たちから刺激をもらうきっかけをいただけます。
ここでですよ、たとえばPBLで、あー、あの人はお医者さんだからできるんだーとか卑下してしまうと損ですよ。学びの基礎体力はけた違いかもしれませんが。
あなたがあなたなりに生きてきた中で得た力を振り絞る体験ができる!というチャンスになるわけです。
この体験をたくさんの業種の方にしてほしいなと思うんです。
叶うなら、SUNABACOの魅力をユーザー側から的確にしっかり伝えられるような、宣伝力を身に着けたいなと思う年の瀬でした。