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服で自由になる
いま私は、siimee(シーミー)というブランドを運営し、ラオスの布から服をつくっている。
今のところ、デザインから生産にいたるまで、服づくりのすべての工程を自分でハンドリングしているところだ。
この仕事をしていると、「元々ファッションや服が好きだったのですか?」と聞かれることがある。
その答えはイエスともノーとも言えないところで、服やブランドには昔から興味があったけど、どちらかというとファッションを楽しみ切れずに囚われている感覚であることが多かった。
小学生の時に好きだったのは、当時流行っていた「ナルミヤインターナショナル」のブランドたち。中でもロマンティックなかわいらしさで女子の夢にあふれたメゾピアノが好きだった。
でも、私の家は元々お下がりの服をもらうことが多く、高い服はとてもじゃないけど買ってもらえなかった。
だから、お年玉を握りしめてセールをめがけて一人で町田の109に行ったのをよく覚えている。
リボンがついたメゾピアノのピンクのパーカーは自分が別人になったかと思うほどかわいくて、ちょっと頑張りたい日に小学校に着て行っていた。卒業アルバムもそのパーカーで写っている。
でも私はその一着しか買えなかった。それもセール品だ。
雑誌には、全身そんなブランドで固めたキラキラ女子たちが写っていて、少し劣等感を感じたのを覚えている。
中学生の時も、雑誌に載っているブランドにあこがれて、同じようにセール品を求めて揃えていった。
そんな服を手に取った時の高揚感と、自分へのコンプレックスが常に入り混じっていた。
高校生は、制服をいかにオシャレに着こなせるかをいつも研究していた。
スカートはなるべく短くしてバランスよく、イーストボーイのリボンやネクタイに、ユニクロのカーディガンがおきまり。やはりたまに買うイーストボーイのカーディガンは特別で、それを着る日は特別な日だった。
そして大学生、会社員時代はいつも服に迷走していた。
「いかに周りから浮かないか」に捉われていたような気がする。
デパートのセレクトショップに行っては、自分が着たいかよりも、周りに馴染む服装か、を気にする日々。
膝丈のタイトスカートだったり、無難な合わせやすいトップスだったり。
身長が146cmなのもあいまって、選択肢も少ない。ワンピースは大体マタニティウェアみたいになる。自分が着た時に「いい感じ」になる服はもはや限られていた。
服に悩んでいた時は、自分自身の在り方についても悩んでいた時だったように思う。
そんな中、25歳の終わりから2年間ラオスで暮らした。
ラオスでは、民族や地域によって、異なる柄や技法の織り布があり、それを巻きスカートに仕立てて穿いている。
正装として着るブラウスも、シルク布を購入して好きな形・自分サイズに仕立ててもらうのが習慣だ。
ラオス国内を旅しながら、各地の布を買い集めるのがラオスでの大きな大きな楽しみだった。
そして自分が住む街へ帰ると、近所の顔なじみの仕立て屋さんに持ち込んで仕立ててもらう。
「今度はどこの布?」
「この前行った北部の布だよ~」
そんな会話が弾むのがまた楽しい時間だった。
好きな布を選んで、自分のサイズにつくることができる。
これって日本にはなかった感覚だと思った。
着たいものを、着る。着たいものを、選べる。
自分が心から素敵だなと思った布を纏うのは格別だった。
もう「着れる服」じゃなくていい。「着たい服」でいいんだ。
そう思ったとき、私は自由だ、と感じた。
実際に仕立て屋さんに教えてもらって、ゴムを入れるギャザースカートを自分で縫ってみたりもした。
そして一気に服づくりのとりこになった。
1枚の布を立体的な身体に合う服にする。魔法みたい!!と。
その後実際に服飾の道に進み、服のつくり手ともなったのだけど、
今でも服を選ぶ時に「その服は、その社会においてどのような印象を与えるのか?」ということをまったく気にしないわけではない。
でも、前の私のように、ネガティブな理由で服を選ぶことはない。
いま自分が着たい服はどんな服だろう、といつも問いかけて、自分表現のひとつとしてその気持ちを大切にするようにしている。
最近は天然素材で着心地が良いものを選ぶことが多いけれど、趣向に凝らされたデザイナーズブランドも好き。新しい自分を引き出してくれる服という存在が、やっぱり自分にとっては特別なのだ。
服を自分の心で選べるようになった時、人は自由になれるのだ、と思う。