うわっつらの優しさと空っぽな自分の話
女性がコートを脱ぐ時は、さりげなく後ろに回ってサポートする。
女性が高い所にある物を取ろうとしていたら、代わりに取ってあげる。
女性が歩道側を歩けるように、自分は車道側をキープする。
そんな、いわゆるモテ仕草。
本やネットで調べればすぐに勉強することができます。
女性にモテるため、必死に学んで、自然とこなせるまで自分の中に落とし込む。
そうして出来上がった、女性受けの良いカッコいい自分。
でも、望んでいたものは手に入れたはずなのに、なぜか空虚です。
たしかに自分は好かれているのに、好かれている、受け入れてくれているという実感がない。
それもそのはず、相手が好きなのはうわっつらの優しさなのだから。
相手が見ているのは自分の外見(そとみ)だけであり、中身に惹かれているわけではない。
それなら、モテる努力なんてしなければよかったのか。
ずっと何もしないまま、それがありのままの自分だったのか。
でも、モテようと努力して知識を身につけた自分も、ありのままの自分と言えるのではないか。
そんなことを考えました。
ありのままの自分って何なんでしょうかね。
ではまた、
読んでいただきありがとうございました。
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