四人囃子あるいは佐久間正英ワークスとしての松村雄策「Private Eye」
(敬称略)
どこかの誰か
「それってあなたの感想ですよね?」
わたし
「はい、そうです(きっぱり)。」
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1979年の
「プレイヤー誌」に載ってた
「広告」です。
「渋松対談」。
この言葉が通じるヒトって
どれくらいいますかね?
眉間に皺よせて
「ロック」について語るのが
レゾンデートルのようだった
「ロッキン・オン」のなかで
一服の清涼剤(笑)のようだった
編集長・渋谷陽一と松村雄策の
茶飲み話。
松村雄策のアルバム「Private Eye」の
プロモーションを
渋松対談の「出張編」という形態で
行ったのは
「照れ隠し」もあったんじゃないでしょうか。
Wikiでは
松村雄策は
「音楽評論家、文筆家」と記載されています。
たしかに
残した
仕事量からいえば
こうなるのでしょう。
しかし
個人的には
松村雄策は
まず「ミュージシャン」であり
その著作は
「ミュージシャンが書いた」ものという
とらえ方で
接してきました。
(本人がどう思っていたかは
分からないです。)
このアルバム
世間一般(笑)では
決して評価が高いとは言えません。
(セールスも非常に芳しくなかった模様。。。)
理由(原因)は
いろいろあると思いますが
わたしが思うに
一番は「ヴォーカリスト」としての
声質じゃないかと。
ヒリヒリするような歌詞、
「わざと(でしょう)」荒々しさを残した演奏と
歌が釣り合っておらず
だからなおさら
「歌だけ」が
分離して聞こえてくるように
感じるのは
わたしだけでしょうか。
(松村雄策が存命なら
「お前に何が分かる。」と
鼻で笑うでしょうか。)
パティ・スミスの名盤を
連想させるようなジャケですが
時代はすでに
パンクを過ぎて
ニュー・ウェーブへ
移っていました。
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あまりそのような視点で
語られることがないようですが
このアルバム
四人囃子ワークスとして
「金太の大冒険」(大名曲!!)と並んで
評価されて然るべきと
超個人的に思います。
アレンジとキーボードは
茂木由多加。
ギターが佐藤満と佐久間正英。
ドラムは岡井大二。
つまり
フルメンバーですね。
四人囃子は
「凄腕揃い」なので
レコーディング・セッションだけでなく
フォーク・ミュージシャンの
ライブに駆り出されたりしてました。
わたしのトモダチが
「ふきのとう」のライブに行ったとき
「ギターは佐藤満。」と
メンバー紹介があって
思わず
「四人囃子!!」と叫んだそうです。
※四人囃子は
オフィシャルのHPがあるのですが
微妙に素人臭くて(失礼)
手作り感があって最高です。
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佐久間正英というヒトは
毀誉褒貶の激しい語られ方を
してきたと思います。
「売れる音楽を造る」ということからすれば
これ以上はない手腕をふるった
超一流のプロデューサー。
しかし一方では
「日本のロックを
「ガラパゴス化」させた張本人」だと
揶揄されてもいます。
これ
大筋では
間違ってはいないように思います。
ただし
わたしは
必ずしも「ガラパゴス化」が
いけないことだとは思っていませんが。
音楽以外の物事に対するスタンスについて
むかしのバンド・メンバーから
「茶化されて」いたり。
大昔の「プレイヤー誌」に
レコード・レビュー書いてましたけど
(言ってることが正しいかどうかは
別にして)
「言わんでいいこと言うヒトだなぁ。」と
思うことがよくありました。
きっと
言わずにはいられなかったんでしょう。
利発なヒトにはよくあるハナシですね。
「ポール・マッカートニーより
(自分の方が)ベースが巧い。」という趣旨の
文章を読んだときは
さすがにこれはいかんだろうと
思いましたが。
(それが正しいかどうかの
問題ではありません。)
どこかのインタビューで
「売れたくない(と本人が希望している)ミュージシャンは
そのようにプロデュースする。」という趣旨の
発言をしたらしいですが
こういうの
「カチン」とくるヒトは
いるだろうと思います。
有名なハナシですが
細野晴臣が筒美京平に
自分は「くれないホテル」が好きだと伝えたら
「あの売れなかった曲ね。」と
素っ気ない返事だったとか。
「流行歌」の職業作曲家として
すがすがしいまでの
立場表明だと思います。
だからこそ
山下達郎の「仮想敵」と
なりえたのでしょう。
佐久間正英の発言は
もっと
相手(プロデュースする対象)を
突き放した冷徹なものだと
理解していました(過去形)。
晩年
「あの」早川義夫をサポートして
キャパ50人くらいの会場を
廻ってることを知り
何か大きな勘違いをしていたのではないかと
思い始めたころ
佐久間正英は「空飛ぶ円盤」に乗って
「ネッシー」を探しに
旅だってしまいました。
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さて
まとまらないハナシを
まとめなくてはいけません(笑)。
「Private Eye」は
松村雄策のセルフ・プロデュースなのですが
もし佐久間正英がプロデュースしていたら
どうなっていたでしょうか?
佐久間正英は
1978年にプラスチックス
1979年にP-MODELを
プロデュースしています。
ゲイリー・ニューマンの
「カーズ」みたいな
サウンドになっていたりして。
ちょっと
聴いてみたくなりませんか?
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橘川幸夫のnoteの記事
読んで泣けてきました。