T.M.スティーヴンス/1986年ジャパン・エイドのリトル・スティーブンス
(敬称略)
T.M.スティーヴンスって
レッチリのフリーより早く
ミクスチャーしてたと思います。
R.I.P.
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「ジャパンエイド1st」
1986年12月。
真冬の神宮球場。
寒風吹きすさぶなかで
開催されたイヴェント。
大きなイヴェントだったわりに
今では語られることが
非常に少ないですが。
その開催意義などについては
いろいろな意見があって当然です。
正直
わたしは
当時も今も
理解できていません。
しかし
参加したバンド(ミュージシャン)は
「通好み(嫌な言葉だな)」が
ずらりと並んでいました。
ルー・リードと
ピーター・ガブリエルを
同じステージで観れるって
凄すぎます。
ユッスー・ンドゥール、
ノナ・ヘンドリックス、
ハワード・ジョーンズ。
ジャクソン・ブラウン&デビッド・リンドレー。
そして
マイアミ・スティーブン・ヴァン・ザント。
このメンツを
「人権派」とか揶揄する人がいるらしいですが。
そんなに人権が嫌いなら
ミノムシかなんかになって
どこかの木にぶらさがってたらどうだ、と
思うのです。
(ドウドウ)(笑)。
(ジャパンエイドって
2ndもあったらしいですが
謎だらけのメンツによる
ワケワカで悲惨なものだったらしいです。)
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1985年の
ブルース・スプリングスティーンの来日時には
すでにEストリート・バンドに
リトル・スティーブンの姿はなく。
ニルス・ロフグレンも好きだけど
やっぱりマイアミ・スティーブが観たいと
思っていたわたしは
このイヴェントの首謀者である
スティーブン・ヴァン・ザントの
短いステージを
しっかり楽しみました。
スティーブン・ヴァン・ザントのバンドで
主役を喰うような
暴れっぷりのベーシストには
見覚えがありました。
「この野蛮なヤツは
T.M.スティーヴンスに間違いない」と。
※いろいろ調べましたが
きちんとした
クレジットが見つかりません。
当時のTV放送がYouTubeに
(部分的ですが)あがってます。
それで見た限り
間違いないようです。
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1979年アドリブ誌の
増尾好秋のアルバム記事。
「Sunshine Avenue」か「 Good Morning」。
クロスオーバー(フュージョン)の
レコーディング現場(スタジオ)の写真といえば
じみーな恰好した
そのへんで犬の散歩でもしてそうなオジサン(失礼)が
楽器抱えて写ってるのが相場でした。
ところが
その記事には
パーラメント(ファンカデリック)にいそうな
強面な黒いサングラスかけた黒人が
ベーシストとして紹介されてました。
それがT.M.スティーヴンスでした。
増尾好秋のアルバムでの
T.M.スティーヴンスといえば
1980年のライブ盤ですね。
バックのミュージシャンは
「アニマル・ハウス・バンド」と
クレジットされてますが
「豪風」で7分ちかく
ドラム&ベースが
大暴れしてます。
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ベーシストのT.M.スティーヴンス(T.M.Stevens)が死去。
彼に近い人々がSNSなどで訃報を伝えています。
72歳でした。
パフォーマンス・アーティスト/ミュージシャンのキャリー・ビーハンは、スティーヴンスが先月末に肺に血栓ができて入院したとSNSに
書き込んでいましたが、彼女もSNSで訃報を伝えています。
彼女は以前、Trysetteという名でスティーヴンスと共演したことがあり、
スティーヴンスが2017年に認知症と診断された後も
彼を支え続けたミュージシャンの友人の一人です。
「1951年7月27日-2024年3月10日、
トーマス・マイケル・スティーヴンス(T.M.スティーヴンス)
-今夜午後10時に私たちの最愛のT.M.が亡くなりました。
眠るように安らかに息を引き取りました。
今すぐにご質問にお答えすることはできません。今
後、このページや@TC Tolliverのページでお知らせしますので、
そちらをご覧ください。
彼のファンとフォロワーには、できる限り最新情報をお伝えします。
喪に服している間、プライバシーを尊重していただき
ありがとうございます。
キャリー・ビーハン」
T.M.スティーヴンスは、ジャズ、ファンク、ロック、ソウルの
要素を組み合わせた独特の演奏スタイルで名声を博した
名ベーシストだった。プリンス、ジェームス・ブラウン、
ブーツィー・コリンズ、ティーヴ・ヴァイ、ビリー・ジョエル、
ジョー・コッカー、シンディ・ローパー、リトル・スティーヴン、
ティナ・ターナー、ナラダ・マイケル・ウォルデン、ビリー・ジョエル、
スティーヴィー・サラスなど、音楽業界の大物たちとコラボレートした。
ニューヨークで生まれたスティーヴンスは、ジェームス・ブラウンを
初めて聴いたときが、ベーシストとして、
そしてファンク・ファンとして目覚めた瞬間だったと以前に語っていた。
彼のキャリアは1970年代に始まり、ミネアポリスでいくつかの
ファンク・バンドで演奏し、ナラダ・マイケル・ウォルデンや
増尾好秋らとアルバムを録音した。
1981年にロサンゼルスに移り、すぐにセッション・ミュージシャンとして
愛されるようになり、数多くのアルバムやシングルに参加し、
様々なアーティストのツアーに参加した。
またセッション・ミュージシャンとしての活動に加え、
スティーヴンスはソロ・アルバムも数枚リリースした。
スティーヴンスは情熱的なミュージシャンで、
常に新しい音楽表現を模索していた。
彼はその独特な演奏スタイルで多くのミュージシャンに
インスピレーションを与え、ヘヴィ・メタル・ファンクという
音楽スタイルを生み出した。
2017年、スティーヴンスは進行した認知症を患い、
ケアハウスに入所していたことが発表されていた。
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スティーヴ・ヴァイ(Steve Vai)は、
共演したT.M.スティーヴンス(T.M.Stevens)の訃報を受け、
追悼コメントをSNSで発表しています。
「T.M.スティーヴンスはベースで天性の力を発揮した。
彼はカラフルで、強烈で、完全に熟達したプレイヤーだった。
彼のサウンドは驚くほど太くてラウドだった!
僕は幸運にも、僕の『Sex and Religion』のレコーディングや、
テリー・ボジオやデヴィン・タウンゼンドも参加した
“Down Deep Into The Pain”のビデオで彼に演奏してもらうことができた。
僕たちはパワフルな音楽を作り、大いに笑った。
彼は自分の技術に完全に打ち込み、頭の天辺から足の爪先まで
プロフェッショナルで、共演した無数の有名アーティストたちか
愛されていた。
彼はもう何年も認知症を患っていたが、今週その生涯を閉じた。
彼の家族、友人、ファンに哀悼の意を表します。
何年もの間、僕はTMのことを考えるのが大好きで、バンド仲間や友人として一緒に過ごした素晴らしい時間が大好きだった。
今、心の中で彼を思い浮かべると、あの巨大で温かな笑顔、
豊かな深みのある笑い声が目に浮かび、
彼の演奏時の総合的なパワーを思い出して壁が揺れるのを感じる。
安らかに眠ってくれ」