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TOTO考古学的考察①/ジェフ・ポーカロの名言

(敬称略)

どこかの誰か
「それってあなたの感想ですよね?」

わたし
「はい、そうです(きっぱり)。」

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歴史について調べるとき
資料の選択って重要ですよね。

wikiには「歴史資料」として
詳細に記載があります。

「ひとつの事柄について
複数の資料を比較検討する。」のは
基本中の基本。

まぁ
そうなんですけど。

書籍(雑誌)に書いてあるから
それが事実ということは
あるはずがなく。

裏をとれないこともままあるわけで。

インタビュアーをからかって
遊ぶのが趣味みたいな
ミュージシャンもいますから
インタビュー記事も
すべて真に受けるわけには
いきません。

ということで
あくまでも
「手持ちの資料」に基づく
「素人の推察」レベルだと
お考えください。
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ジェフ・ポーカロが
インタビューなどで
パンク、ニュー・ウェイヴの
ミュージシャンに
厳しい発言をしていたことを
TOTOの古くからのファンなら
知ってると思います。

「ロッキンf」1980年3月号に
ギタリスト水谷公生の
署名記事があります。

ジェフ・ポーカロの発言として
以下のように記載されています。

技術は内容より大切なだけでなく
技術は内容そのものなんだ。

みんななパンクを聴いて
いい気分にはなるだろうけど
真剣に受け取る気になれない。
ただ大きな音をだせばいいってもんじゃ
ないんだ。
ヘンドリックスは今の馬鹿どもと同じくらい
乱暴だったが、
凄いミュージシャンでもあったんだ。
ボク達はパンクやギミックではなく
音楽で何かを起こしたいんだ。」

原語(英語)で
どのように語っているのか知りたいと
ネットを漁りましたが
ヒットしません。

これは
独白のようなものではなく
何らかの問い(質問)があって
それに答えたものと思います。

どんな質問だったのでしょうか?

まず
考えつくのは
「パンク~ニュー・ウエイヴ(のミュージシャン)を
どう思うか?」という質問ですよね。

「ジェフ・ポーカロが
スタジオ・ミュージシャンであり
TOTOが同様の素地をもつミュージシャンの
集合体であること。」

「TOTOの音楽性が
高度な演奏能力に裏付けされたものであり
さらに
(当時)前時代的ととらえられていた
ヘヴィなロックやプログレの影響を
漂わせていること。」

このような前提をもとに
TOTO(のようなバンド)を
「仮想敵」としている(であろう)
パンク~ニュー・ウエイヴの
「テクがなんぼのもんじゃい。」
「アイデア一発で勝負じゃ。」みたいな
発言(態度)に関する
反論を引き出そうとするもの。

もう一つ考えられるのは
「あなた方(TOTO)の音楽は
技術的には優れているが
内容に乏しいと言うヒト(評論家とか)がいるが
どう思うか?」という質問です。

「聖なる剣」でグラミーを受賞したとき
壇上から
批判的なレビューを書く
高名な評論家に毒づいたというハナシがあるくらい
TOTOは音楽評論家受けしないバンドでしたから
これもありだと思います。

たしかに
TOTOの楽曲には
「政治的」「社会的」に
何か明確な意見を述べたり
異議を唱えたりするものは
見当たりませんが
そんなこと言えば
当時の
アメリカ産のロックなんて
ほとんど全部そうじゃなかったでしょうか。

ことさら
TOTOがその類の批判の対象となったのは
(おそらく)
スタジオ・ミュージシャンに対する
ある種の
「蔑視」が背景にあるのではと
思います。

スタジオ・ミュージシャンは
「日々スタジオで
黙々と
誰が歌うのやらわからない曲や
何に使うのか見当もつかないジングルとかを
いわれるままに演奏して
生活の糧を得ている」
卑しいやつら。

「高い理想を掲げて
社会正義実現のために歌っている
誰かさん」や
「若者の焦燥感を代弁する
熱い思いのロックンローラー」のほうが
ずっと尊いと。

その「誰かさん」や「ロックンローラー」の
レコード録音現場で
稚拙な鉛筆書きみたいな曲に
陰影をつけ
彩りを加え
世間に出しても恥ずかしくないレベルまで
持ち上げているのは誰なのか。

音楽評論家ならば
当然知っているはずなのに
そんなこと書いても
彼らのレコ評は売れないですから。

いまでこそ
「レッキング・クルー」
「ファンク・ブラザース」
「セクション」などの
映画がつくられたりしてるけど
これ
裏を返せば
「一般的にはほとんど
その存在が知られていなかった」ということ。

スタジオ・ミュージシャンが結成したグループが
レコードを出したとしても
(匿名性の高い「リズム・ヘリテッジ」の
ヒット曲のような例外を除き)
大きな売上げをあげることなどなかったわけで。

本人たちも
「ヒットチャートを狙ってやろう」なんて
ほとんど考えていない
「内輪の楽しみ」レベルのものが
多かったのでしょう。

TOTOが
お偉い「音楽評論家」の
癇に障ったのは
それまでの
スタジオ・ミュージシャンと違い
彼らが
最初から「NO.1ヒット」を
狙っていたからだと思います。





































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