何をもって
本当にお久しぶりです。nadoです。
何かと忙しない日常を過ごしておりまして、なかなかここに戻ってくる心持になれずにいました。
最近、また書きたいなと思うようになって戻ってきました。
匿名だからこそ、こうやって自分の気持ちをそのまま自由に記す場所があるのはとてもありがたいことだな、と思います。
私は、誰かの人生を変えるような大それた文章は書くことができない。だけれども、嘘偽りなく、太宰治のような人間らしい文章を書くことはできると考えているのです。だから最近あったこと、話していきますね。
まず、前記事でも言及したヨルシカを勧めて会えず仕舞いだった彼に会ってきました。帰国して、最初で最後でもいいから会おうと思って浅草に一緒に行き、お寺でお願い事をしてホッピー通りで小一時間ほど一緒にホッピーを飲んで帰りました。正直、彼は私が出会った頃の彼とは明らかに違っていました。というのも、彼自身私と出会った頃から色々あったらしく現在お仕事も退職して自分の人生を見つめ直す期間に入っているそう。
ギターが好きで、書き物をしていたのも全て今はもうしていないと言っていました。正しくセットされていない無精な長髪で、歌舞伎町にいそうなだるっとした服装で、タバコを吸っていました。こんなにも、人は変わるんだと。思いました。
最悪、私は彼の外見なんてどうでもよかった。ひたむきに書きものを続ける彼がいればなんでもよかったのに、それも辞めていました。
浅草線に一緒に乗ってもう会うことはないだろう出会いに対して私たちは、「またね」を告げました。
きっとそんなものなんだろうと、思います。
どれだけ憧れの目があって、どれだけ想像していた理想的人物であってもいつか簡単に別人になってしまう時があるんです。
私は、愛が何なのかついにわからなくなってしまいました。
一旦、誰かを好きになることは諦めようと思いました。
それを友人に言ったら「むりだろう」と言われました。
私もそうだと思う。だってそれでしか寂しさを埋める方法がわからないから。うわべだけでの「友人」でもなくて、ただ自分のことを無条件で好きだよと言ってくれるそんな人が欲しいと思っていた。
でもやっぱり、こんな私には無理なんでしょうか。
最近、自分の将来についてもとてもよく考えるようになりまして。
「やりたいこと」がわからないんです。
兄には、私が働くことだけが目的だと伝えると
「そんなの親に失礼だ。なめ腐っている。本当にやりたいことはなんだ。」と言われながら私が漠然と持っているやりたいことと「甘い」と言われるんです。
働くことを目的としちゃだめなんでしょうか。
私は、猫がいて、1LDKくらいの部屋で、あわよくば好きな人と一緒に、仕事帰りはたまに友人とお酒を飲みに行ったり、家でワインを飲みながらアニメやドラマを見て、休日はキャンプやショッピングに行ったり。大好きな作家さんの新刊を本屋さんに買いに行ってそこで新たな本と出会ったり。困らない程度に暮らすことができればそれで幸せなんじゃないかと思うんです。
それは彼からしたらなめているんでしょうか。親に失礼なんでしょうか。やりたいこと、仕事で何かをやり遂げることがそんなに必要なことなんでしょうか。
だとしたらごめんなさい。私はわからない。燃え尽き症候群なのか、留学を経て日本に帰国して、感情が薄れていったんです。もうほとんどのことに対して感情を感じなくなった。何をもってやりがいを感じるのか、何をもって仕事で楽しいと感じるかわからないのです。なぜなら今までの私の人生で仕事を好きだと思ったことが一度もないから。悲しいものです。本当に私はかわいそうなひとなんです。もう何も一生懸命になれる自信がない。もう人に対してもなんとも思わなくなってきて、それが血縁関係のある家族でもそうなんです。ドラマやアニメを見てもまるで感動しないつまらないハッピーエンドばかり。でも見る分には何にも支障をきたさないハッピーな気持ちになれるじゃないですか。クラシック音楽を聴いても、村上春樹さんを読んでも、聖書をよんでも、仏教を学んでももうなにもわからないんです。
もう私には、感情がないのかもしれない。