孤
私は、この孤独と向き合わなければならない。
孤独になるのが怖くて怖くて、いつのまにか私を好いてくれる人や、私を肯定してくれる人の中で甘えていた。ぬるま湯に浸かっていた。
私は孤独を飼いならさなければならない。
そうすれば私は変われる気がする。そんな気がするのだ。
この、他人にしか依存しない人生を、この大嫌いな人生を変えれるような気が。
孤独から逃げて、彼を利用してしまっただけではないだろうか。
孤独からの寂しさを愛と勘違いしていただけではないだろうか。
だから私はまだ愛を知らない。
私は、孤独と向き合う時間を作る
私はもうひとに頼り、利用したくない。
私が今まで愛だと思っていたものを勘違いとする。
性行為を未だにしていないのがその証明だ。
私はいつか愛を知ることができるのだろうか。
私はいつか”ふつう”の人間になれるのだろうか。
ふと思った。CMに出てくるような、部屋がきれいで、趣味があって、やかんのお茶がわいた合図を示すピューっていう音や、朝起きて一日を始めるためにベランダにある植物に水をあげて、普通に友達がいて、普通に生活できて。
孤独や愛など考えず、純粋に好きだと思う人に出会い、その過程での性行為があり、結婚して子供ができる。
そんな普通で純粋な女の子に私はなれないと思った。
そして、そんな友達をうらやましく思って下手に興味のない映画を見たり、趣味はギターや映画を見ることだと言っておしゃれな趣味をもつ女を演じてみたりする。
イチャイチャしすぎないカップルに憧れて、出会い系サイトを始めて、会った男と付き合って失敗した。
もう私はだれにもなろうとはしたくない。私は、自分を見つけたい。
私は、周りに流されたくない。
そんな願望を胸に秘めながら、それが一瞬にして崩れていく毎日をまた送り、死にたいと思うようになる。
私の人生は、そんなものだ。
傲慢だろうか。
したいようにすると、傲慢と言われ、他人に優しくしすぎると自分に損がつく。
どちらがいいのだろうか。
世の中では自分に得になる前者は悪者になる。
人間はめんどくさい。
感情はめんどくさい。
そう。めんどくさいものなのだ。