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100名城RTA(005~006/100): 武田氏館・甲府城

 この記事は「100名城RTA」シリーズの構成記事です。いきなりこちらの記事にたどり着かれた方は、Indexページも適宜ご参照ください。


'25/2/11: 武田氏館(No. 24) - 005/100

 仕事の都合で4連休を仕立てることは出来なかったし、更には寒波もあって大したお出かけも全然出来なかったのだけど、流石に1城も行かないのは悔しいので、比較的近場の甲府へ。甲府へはあずさ1号。車でも行ける距離だけど、八王子の渋滞を避けようとすると、早く着きすぎるレベルの早起きが必要で、ちょっと割に合わないのでね。

 さて、朝一番の甲府駅に降り立ったら、まずは南口で信玄公にご挨拶。

実は公衆トイレに行きたかっただけ
甲州だけに

 北口に戻り、当時の城下町のメインストリートを北上する。

甲斐駒ヶ岳かな
武田菱

 歩けてしまうレベルの緩い上りで約30分。非常に微妙に鬱陶しい距離。バスが適正なのだけど、ちょうどあずさ1号とは接続しない。

 さて、武田氏館(躑躅ヶ崎館)。居館なので、天守やら櫓やらといった、よくイメージするようなわかりやすい「お城」ではなく、滅亡してからは拠点機能は甲府城に移ってしまい、長らく捨て置かれた跡地に明治以降に神社が建立されたという場所なので、ちょっと写真的には苦しかったのが正直なところ。

 神社だし、まずはちゃんとお参りをする。願い事というよりは、本当にご挨拶ね。信玄公も摂津の民に願い事言われても困るでしょ。

神社入口
ただの神社じゃないことを示している
二の鳥居&本殿
しっかり武田菱

 お詣り終わったらお城巡りモード。東側に出て、反時計回りにぐるっと巡る。

北側虎口跡(この奥の神社の東入口が大手門跡)
土塁跡
外堀から土塁跡
北側にも神社敷地の倍くらいの曲輪があった
発掘調査中
破却後の地域の神様かな
北西のお掘り跡
西の曲輪北側虎口跡
西の曲輪跡
絵面としては空地になってしまう
西側から神橋を

 ぐるっと一周回ってきたので、もう一回神社へ。今は能舞台が建っているところが、庭園跡地で、富士山を借景としていたとのこと。

富士山見えますね

 社務所の左後方にどうも天守台跡があるらしい。確かに、方形に石垣による高台が見える。

天守、ヨシ!

 最後、社務所の横でスタンプを取得。

やったぜ。

 実はこれで引き上げる気満々だったのだけど、ちらっと次のページも確認すると、武田氏館の次に甲府城が割り当てられていることに気づいた。いや、全国根室半島・沖縄も含めてかなり均等に割り振られている100名城が、同じ市内の歩ける範囲の2城に割り当てられるはずがないという先入観ですね。危ない危ない。

 駅までの帰り道は眼の前でバスが出てしまったので、課金した。口車に乗って、三条夫人墓所や、信玄公墓所を巡るルートで駅に出てもらった。

信玄公墓所
北口には信虎公もいた

'25/2/11: 甲府城(No. 41) - 006/100

 うっかり帰りそうになったけど、駅北口の山手御門からお城巡り再開。

山手御門
樋渡門
実は撮影時系列は逆 この奥から出てきた

 こちらの門といわゆる城趾の間は中央本線で分断されているので、跨線橋を渡って移動。

金網が残念 稲荷櫓が見える

 素直にたどり着く内松陰門から登城。

内松陰門
門から石垣を伺う

 入ったところが本丸跡の広場。そして正面に天守台。

天守、ヨシ!

 天守からの見晴らしは好天なので良好。

富士山、ヨシ!
西側 白峰三山と甲斐駒ヶ岳
ちなみに前来た時の記憶で、左前のオベリスクの場所を天守台だと思い込んでいた
北東側 稲荷櫓

 天守台から降りて稲荷櫓内でスタンプを取得。

やったぜ。

 稲荷櫓から出て、城の東側から時計回りに見て回って退出。

北から天守台と本丸エリアを望む
内堀
南側の鉄門と本丸エリアを見上げる

 ここで昼前くらい。馬刺しとかほうとうとかを食べて帰る手もあったけどちょうど駅に向かうと、ほとんどノータイムで「かいじ」に接続するタイミングだったので、駅弁を昼ご飯とした。お安い非日常としてはこれでも最上ですよ。

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 2/17の週を全部休みにして、列島縦断100名城RTAの旅をして、一気に18城倒したので、相当のストックが出来た形。季節の写真記事も入れつつ書いていきますね。

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