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さよなら夏休み
私の夏休みが終わった。今年はたった4日の夏休み。
ここ何年か夏になるといつも思い出すのが、小学生の頃の夏休みだ。
朝早く起き出してラジオ体操に行く。
上級生にハンコを押してもらって、お友達とぺちゃくちゃおしゃべりしながら
午後に遊ぼう!なんて約束して家に帰る。
「ただいまー」
家はドアも窓も開け放っていて、暑くても風が通る。
本が好きだった私は、午前中はよく読書をして過ごした。
扇風機をつけて、団扇で自らも扇ぎながら貪るように本を読んだ。
セミの声と、生温い空気と、あの部屋と。。。
夏休みの間学校はプールを開放していて、何日もプールに通った。
太陽が照りつける中友達と連れ立って学校へ行き、プールでしこたま游いだら、これまた太陽の下を大きな声で歌を歌いながら、
何がおかしかったのかケラケラ笑いながら帰った。
そして家に辿り着くと真っ先に冷蔵庫を開け、大好物だった愛媛のポンジュースをごくごく飲んだ。農協のみかんジュースも美味しかったけれど、何といってもあの、瓶入りでちょっと酸っぱい果汁100%のポンジュースが最高だった。
夕方近くになると、お豆腐屋さんの軽トラがやってくる。
妹とふたり、それぞれ手にボウルを携えてよくお使いに行った。
「木綿1丁と厚揚げふたつ」
その言い回しがなんだかお母さんぽくて、
少しお姉さんになったようなくすぐったい気持ちで立っていると、
豆腐屋のおじさんは「はい木綿と厚揚げ」と復唱しながら手際良くボウルに豆腐を入れてくれる。
夕食の前にはよくピアノを弾いた。
ピアノは何となく日中より夕方なのだ。普段学校から帰って練習するのが習慣だったから夏休みも何となくその流れで夕方だったのだろうと思う。たまーに日中ずっと通してピアノで遊ぶこともあったけれどね。
父が休みの日は、よく妹と3人外でバトミントンをした。家の中で五目並べや将棋崩し、オセロもやった。父は平日は帰りが遅く朝しか顔を合わせなかったが、
休日はよく私達と遊んでくれた。幼い頃の幸せな記憶。
夕食は、平日はご飯に汁物、メインと副菜というよくある献立。
そして関西ではわりと当たり前だと思うが、食卓は真ん中に鉄板が備え付けられているものでガスが引いてあったので、父がいる休日はよくみんなで鉄板焼きやお好み焼き、焼きそばをした。
夏の日、窓を開け放し、いい匂いと煙とを一緒にモクモク外へ送り出しながら、父は上半身下着姿で汗をかきかき、みんなのお好み焼きを焼いてくれた。
父も母も私たちも笑っていて、これから何が起きるかも知らなくて、ただただ普通に幸せだった。
夕食後は決まって果物を食べた。梨やプリンスメロン、桃にスイカ、ぶどう。
テレビを見ながらみんなで食べた。
お布団に入る時には、明日は何をしようかなーと、考えながら眠りに落ちた。
いつまでも続くと思った夏休み。
今年の夏休みはコロナ禍の影響もあって、いつもの夏とは少し様子が違う。
それもあるのだろうか、例年より鮮明に、異常な懐かしさを伴って、
あの夏、子供だった日々のいろんな場面を思い出す。
あの頃の私は今も私の中にいるんだろうか?
あれは現実だったんだろうか?
まるで夢の中のひとコマひとコマ、ドラマを見ているような。
そんな感傷に浸る夜も、朝陽が昇ればまた新しい一日が始まる。
夏はまだ続くけれど、
さよなら私の夏休み。
そして思い出の中のもう会えない懐かしい人たちも。
来年の夏また逢いにきてね。