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⭐️医学部受験の思い出⭐️

ひな祭りを過ぎると、今でも大学受験の合格日のことを思い出し、そわそわしてしまいます。

今日は私の医学部受験にまつわるお話を書きたいと思います。

医者になろうという決意は小学生時代にしていました。
なりたい職業を早くに決めてしまったことは幸いであり、 医者になるために勉強するのだと目的が明確だったので勉強が苦であるどころか、 当時は勉強すれば夢がかなうと毎日勉強が楽しくて仕方なかったのです。
参考書を買ってきては自分で勝手に飛び級して勉強し、 学校では教室の最前列の席であるにも関わらず、授業を無視して独学に励みました。
そんな私を先生も上手に見逃してしてくれたものです。

やんちゃで活発な私でしたが、高校生になるとホルモンの影響か一転して内気になってうつうつとしていました。
そんな中どうしても医師になりたいと思っていた私にとって、医学部受験は大きな節目でした。

受験シーズンに入ると、受験は一発勝負であることからプレッシャーも強く感じていました。
本命、滑り止めと複数校受験しましたが、ある滑り止め校の試験の際、想定外の出来事に直面しました。
試験会場に行き、問題用紙と解答用紙が配られ、極度の緊張の中で、試験開始の号令がなされました。
問題用紙を開くと、それが白紙に見えて、まったく頭に入ってこないのでした。
問題用紙の角度を変えたり、問題用紙を顔の前に近ずけても変わらないのです。
今でもよくわからないのですが、おそらく極度の緊張による一種のパニックやヒステリーに相当する現象であったのではないかと思います。
私はとまどいながらもその日すべての科の解答用紙を空欄のまま提出したのでした。
当然、試験結果は不合格でした。

私にとっては予想した通りの結果だったのですが、母は驚愕したのです。
そして、私が気落ちしていると思ったのでしょう、 「なでしこちゃんを合格させない大学なんてこちらからお断りですね。」と私を前に本気で怒ったのです。
親ばかそのものですが、私は母に申し訳ないと心底すまないと思ったと同時に、自分を信じてくれることに励まされました。

私はその後無事医学部を合格し医師になることができました。
長い目で見れば一時の失敗は取り返すどころか、よりよい大学に進学したり、活躍することはいくらでもできたのです。

1つの失敗が人生の失敗と諦めてしまわないでほしいと心から思います。
そして志を貫いてほしいと思います。

ご参考にしていただければ幸いです。


※写真は保育園の校章です。私にとって一番高い倍率のお受験は保育園でした。今はなき保育園の校章が私の宝物です。


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