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伊弉諾の伊奘冉が祀られた古社。宮崎県/江田神社/九州は日本人の礎か?【神社を楽しむ#002】

まだ、日本の神話に対しては興味がさほどなく、ただ神社を巡るのが好きというだけで訪れた場所ですが、折角なので考察しておき、再び訪れた際にさらに深掘りしていこうかと思います。

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日本の神話とは縁深い日向の地。宮崎県。927年に云々というお話があるので、約1100年前にはあった神社ってことでしょうかね。海岸沿いにある神社です。


黄泉から戻った伊弉諾(イザナギ)が穢れを払った場所がココだということではありますが、神武天皇に至る古事記の物語は真実を織り交ぜた古代日本の足跡と各種神話を織り交ぜて綴った創作だと自分は考えていますので、まぁ、ココと言われたら。そうですか。と思う反面、なぜ、この土地と神社に縫い付けられた話なのかという事については興味がそそられます。


まだ、自信の整理がついていないため、そういった整理のためにもこう言った日記めいた記事を投下している部分がありますので、なにか面白いお話があればぜひ知りたいところです。

日向の地は、いわゆる天照大神、天孫族の系譜のゆかりの地。少し遡って妄想含めて書き記しておきます。

この天孫族の土台となった一団ってのはなんだ? おそらく古代日本縄文の文化まで遡れば面白い話にはなっていくとは思いますが時系列的には古来土着の縄文人がそもそもこの地にはいて、さらにやってきた(※戻ってきた)、台湾や東南アジア方面からこの地に辿り着いた、海洋移動に長けた技術を持った一団がいたのではないかと各種説などを拝見、拝聴した上で考えています。

※汁酢移動・流入のフェーズはいくつか時代的に別れていると仮定。

<TOLAND Vlogさんの考察や、考え方の学校さんのYoshiさんなどの考察は学びや発見、調べてきていたことの合致などが見られて相当、整理がつきました。感謝>

※九州ほか各地にある神代文字の出土などから、日本の縄文人というのはかなりアクティブな行動力を持った古代人だったという説を個人的には推しています。

約6300年から7000年前前後に起こったと推定される喜界島のカルデラ大噴火の影響で土着の縄文人は一旦、日本界隈から離れざるを得ないイベントが起こり、どこかのフェーズで日本に戻ってきた一団があると推測すると、古事記などの時系列がどこに納められているかという部分は考察に値します。


さらに遡り3万8000年前。日本列島に人の文化圏が誕生する第1フェーズ

海部陽介さんの、ホモサピエンスの移動の足跡に関する考察を以前読んだことがありまして、非常に気になっているところにTOLAND Vlogさんが動画でこの本の内容をわかりやすく考察してくれました。おかげさまでモヤモヤしていた部分が整理できた気がしています。


まず、大陸を大移動し、対馬ルートで北部九州に根付いた一団。遅れて南部九州に台湾、東南アジアの海洋ルートを攻略して根付いた一団。時系列的には最後になるのか、同時期だったのか考察がすんでいませんが、現在の北海道界隈に上陸し日本を南下しつつ勢力を広げていった一団。この3集団があったと整理しています。

時期的には最初の上陸は最初期が3万5000年から3万8000年前後と仮定。このころに渡ってきた日本人の一団は、早い段階で往復航海を達成できるような航海技術を身につけていることがわかっています。

むしろ、日本に渡る前段階で、驚異的な航海技術をもった一団だったと考えることができることから、昔、教科書で学んだギャートルズ的な石器を使った原始人的な装いではもしかしてなかったのかもしれませんよね。

正確な渡来のタイミングがどのあたりかはわかりませんが、この時期に日本人の祖といえるべき一団が日本にたどり着いたと仮定した場合、各地に残っている縄文の遺跡群の古さや文化の多様性にも説明がつきます。

日本の神話との整合性

日本神話に登場する神様は、ざっくり出雲系(北部九州由来)、天孫系(南部九州由来)などに区分されるのと、あとは北日本の一群(出雲系と近似)。

日本の天地開闢神話に登場する天之御中主神(あめのみなかぬし)、神産巣日神(かみむすびのかみ)<出雲系>、高御産巣日神(たかみむしびのかみ)<天孫系>。なんとなく、世界各地の神話を元にしながら、もともと日本にいた縄文人の一団とこの神様たちは関係があるのかな?と感じた次第です。

※天之御中主神はなんなんでしょう? 日高見国絡みなんでしょうか。

随分遠回りしましたが、この宮崎の江田神社の逸話について紐づけていきましょう。こちらにある伊奘冉(いざなみ)とのやりとりで、穢れを受けて、黄泉から戻った伊弉諾(いざなぎ)。伊弉諾が穢れを祓いつつ、天照大神(あまてらすおおみかみ)<天孫系>、素戔嗚(すさのお)<出雲系>、月読(つくよみ)を産んだ逸話と、九州のこの地が紐づいてるのある意味必然かもしれません。

結局のところルーツは等しいので、妙ないざこざはありつつも、ひとつにまとまっていくそんな流れが古事記に紡がれているのもこれも必然なんでしょうね。ただ、日本列島に流れてきた氏族のセカンド、サードフェーズの歴史的流れも恐らく古事記編纂時には組み込まれて整合性を持たせているのでしょう。

さまざまな情報を、さまざまな角度から考察できる時代になったので、日本の真の歴史を探っていく旅が楽しくて仕方ありません。








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