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自分の心の声、聴こえてる?

怒りや悲しみ、
できれば感じていたくない感情。

その裏にはいつも自分の大切な想いが隠れている。


”分かって欲しい”
”理解してほしい”
”聞いてほしい”


そこから


”なんで分かってくれないの”
”なんで理解してくれないんだろう”
”聞いてくれてもいいのに”


こんな風に怒りや悲しみとなって現れる。

根本にあるのは自分の本当の想い。
満たされていない欲求。


そこに気付いて満たしてあげられたらいいのだけれど、気付くために心の声に耳を澄ましてあげられたらいいのだけれど、そんなに簡単なことではない。少なくとも私は、その術を知らなかった。

怒りや悲しみってとても強い感情だからつらいし、感じたくない。
浸っていたくない。

そんな気持ちが先行して、見ないようにと蓋をしたり、感情が収まるまで時間が解決するのを待ったりして、自分の心と向き合わないまま終わってしまう。

そしてまた、同じような状況に陥る。
同じように感じたくない感情が湧き出てくる。

何度も、何度も。

その裏にある大切な想いに気付いて欲しくて、
その欲求を満たして欲しくて。
そう心は望んでいるから。


でもどうやって対処すればいいかもわからない。

とにかく見たくない、感じたくない感情を
その場凌ぎでなんとかしようとする。

時に誰かに八つ当たりしたり、
時に誰かに慰めてもらったり。




私がその負のサイクルにいたとき、いつもその感情をぶつける相手は当時付き合っていた彼だった。
生まれて初めて人生を共にしたいと思えるほど深く愛した彼。


喧嘩の原因は大概、とても些細なことだった。
今思えば全ての喧嘩の原因、根本にあったのは私の”いじけ”


”どうせ私なんか愛されない”
”どうせ私には価値がない”


常にそんな風に自分を否定して、蔑んでいた。


喧嘩の度に、

”私には価値がない”
”生きる意味がない”

そんな言葉を彼にぶつけていた。
喧嘩の原因とは全く関係ないにもかかわらず。
自分の心の深い奥底にある癒えていない傷を自分でほじくり出しては、それを彼に突き出していた。
今思えば、まさにそんな感覚。

彼からしたら意味が分からないだろうし、なぜそこまで話が飛躍するのかも分からなかったと思う。

彼は毎日私へ愛を伝え、とても大事にしてくれていたから。
彼の言葉からも行動からも、自分がどれほど彼から愛されているかは十分過ぎるほど分かっていた。

それでも、自分ではコントロールできない感情がいつもそこにあった。
心の奥底に。

そして些細なことをきっかけに、それが浮き出ていた。


今ならわかる。

自分の存在価値を彼に認めて欲しかったということ。
自分をありのままに愛し、全肯定してくれる存在が彼だったから。
自分ではそれができなかったから。
自分をありのままに受け入れ、肯定するということを。

それまでの人生でそんな存在に出逢ったことがなかった私は、彼に心の傷を癒やし、満たしてもらうことを無意識にいつも望んでいたのだろう。


どんな行動でも、彼ならいつだって絶対に許し、受け入れてくれる。
そう思っていた。

だから喧嘩する度、そんな唯一無二の存在の彼から”否定された”と受け止め、勝手に傷ついていた。


”彼なら私のすべてを受け入れ、愛してくれる”


共に過ごす日々を重ねていけばいくほど、その思いだけがどんどん強くなっていった。

自分自身の心と向き合うことをしないままに。




ーまた同じことの繰り返し。

喧嘩をする度、ことあるごとに自分の存在価値を引き合いに出し、最終的にいつも彼が私をなだめ、深い深い愛情で包んでくれることで収束する。

根本は何も解決していないまま。
心の中では分かっていたんだ、いつも。
自分の中に何か、向き合わなければいけない問題がある。

でも、何がどうなっているのかわからなかった。

なぜいつもこの感情が湧き出てくるのか、自分を否定し、蔑み、終いには一番大切で傷つけたくない人につらく当たってしまうのか。
自分でもわからなくて、どうしようもなくて、ただただ苦しかった。


ー抜け出したい。
 でも、できない。




日本では、少なくとも私がこれまで生きてきた人生では、自分の感情について、付き合い方やコントロールの仕方などを教わることは一度もなかった。

学校などの教育機関はもちろんのこと、両親からも学ぶ機会はなかった。
むしろ、自分の感情を出さないようにすること、制御すること、押し殺してでも他人や周りを優先することを学んだ。
自分を大切にすることよりも、誰かを大切にすること。
誰かのために生きることが美徳とされていた。


小学校くらいまでの私は、常に自分の感情をありのままに表現する子供だった。自分の心に正直でいることが当然だと思っていたし、それが人間の本質であると子供ながらに感じて生きていた。
自分の心に従って行動することに自由と喜びを感じていた。私が私でいられる感覚、それでいいと思える感覚が常にあった。
そして自分をありのままに表現し、相手に気持ちを伝えることも臆せずしていた。


そんな私もいつしか、学校教育や社会の中で生きるにつれて、他人の気持ちを押し図ることや他人を優先して生きることに違和感を感じることがなくなっていった。


自分の心は、後回し。

自分がどうしたいかよりも、
相手がどう感じるか。

自分を出したいのに、出したらいけない。
常に葛藤があった。
窮屈だった。


ー生きづらい。


生きることに窮屈さを覚えながらも相手の表情や周りの空気を敏感に察知し、自分の立ち回りを考えて行動するようになっていった。
いつしかそれが得意と思えるほどまでになっていたことに気付いたのは、決して好きではない営業職でいつも業績が良かったことを振り返った時。

相手の求めるものや考え、感じていることがなんとなく分かってしまう。
好きではない仕事も含め、大抵の仕事は卒なくこなししていた。


一方で、幼少期と比べて自分の気持ちを表現する機会を失ってしまったことで、自分の心と向き合うこともなくなり、自分の気持ちや感情がわからなくなっていた。
自分の心がどう感じているのかも、そしてそれを人にどう伝えたらいいのか。
相手にどう思われるかという不安が先行し、思ってることを素直に言えず、伝え方に悩んでいた。

いつしか、自分の気持ちを表現することが苦手になっていた。

あれこれと、自分の外側に注意を向けることに慣れすぎて、いつのまにか自分の心の声が聴こえなくなっていた。




そんな中、人生を共に歩みたいと思える存在に初めて出逢った時、自分が今まで蓋をしていた感情がどんどん浮き彫りになっていく。

誰かを深く愛するということは、それだけ感情が強く揺れ動くことだから。
そんな相手との関係性では、見せたくなくても見たくなくても、嫌でも様々な感情を目の当たりにすることになる。
愛の対極にある恐れの感情も同時に深掘りされていく。

同時に、彼を愛せば愛すほど、失う怖さが増していく。


ーこの幸せは一生続かないんじゃないか・・・

頭に浮かぶのはいつも、彼がいずれ離れてしまうのではないかという不安。
いつしか私への愛が冷めてしまうのではないかという恐れ。


これが常に私の心を支配していた。

いくら彼から愛していると言われても、愛を行動で示されていても、いつも心の中には恐れがあった。


それでも私は見ないように、ずっとその感情に蓋をしていた。

怖かった。
感じたくなかった。


ーこんなにも彼からも愛されているのになぜ不安を感じるの?
なぜ恐れるの?


自分へ問いかけるも、それ以上は進まなかった。
不安の原因が分からないまま。


それはもっともっと、心の奥深いところにあったこと、当時の私にはそれが見えなかった。
その不安や恐れの原因を探れなかったのは、その術を知らなかったから。



ずっと私の心の奥底にあった思い



”私には価値がない”
”私は愛されていない”



まさか原因が、幼少期に満たされなかった思いからきていたなんて。

これを真実だと思い込んでずっと生きてきたことで、人からどんなに好かれても、愛されても心にはいつも虚しさがあり、何をしても満たされない自分がいた。
心から愛してくれる人からの愛でさえも真実として受け止めることができなかった。


そんな思い込みを書き換える必要があった。

そして自分へ愛を向ける必要があった。
自分を愛することができなければ、誰のことも愛せない。
この言葉の意味がやっと腑に落ちた瞬間だった。


そのためにまず、自分で心の傷を癒すことが必要だった。
誰かにしてもらってはいけない。
自分で自分へ愛を向けること。

自分で自分を癒し、満たすこと。


自分では気付けなかった心の傷。
それが実はこんなにも根深く、心の奥底にずっとあり続け、そして今の私にも強く影響していたこと。これを初めて理解できたことでようやく、私の傷は癒えていった。


”私は愛されていない”


そんないじけの状態から、自分を救ってあげる必要があった。
幼少期のいじけていた自分へ愛を向けた。




ー自分は充分に愛されていたんだ。
そこにはいつも愛しかなかった。


愛に溢れ、感謝に溢れた瞬間だった。


と同時に ”ごめん” という気持ちも。

それまで向き合わずにいた自分に対して、
自分の心に対して。
そして、両親へ対して。


両親も一人の人間。
親である以前に、私と同じ一人の人間。
悩みだってある。
苦労だってしてきた。

そんな中、精一杯、愛を注いでくれていた。
私が求めていた形とは違うかもしれない。
それでもその時の親なりに、子供にとっての最善だと親が思う形で与えてくれていた。
その時の精一杯の愛情、気持ちで。


愛の形は様々。
表現の仕方も様々。

親も一人一人、違う。
価値観も違えば、愛し方も違う。

その親ですら、どのように愛されてきたか、
どのように育てられてきたかさえ分からない。


当時の私は幼く、そんなことにも気付けない。
周りの兄弟たちと比べて、他の家庭と比較していじけてしまった。



”どうせ私は・・・”


きっと些細なことだったかもしれない。
でも一度抱いてしまったそんな気持ちから、両親が送ってくれていた愛に目を背け、受け取らずにいたのかもしれない。
傷付いたことにばかり目がいって、本当は愛されていたのに、大事にされていたのに、親の愛を受け取ることを拒否していたのかもしれない。


そんなことに気付けた瞬間、愛と感謝と共に涙が溢れた。

当時の自分に癒しを与え、
ようやく前に進むことができた。



そんな、自分一人では気付かなかった、いまだ癒えずにいた心の傷の存在や心の奥底にある自分の想いに気付かせてくれたコーチング。
自分の感情との向き合い方、そして心の声に耳を澄ませることの大切さを教えてくれ、私の人生を180度変えてくれた。


だからこそ私はコーチングを通して、

”自分の心に正直に生きる人”
”自分の本当の人生を生きる人”

をこの世界に増やしたい。

心のままに生きる。
これが人間の本質であり生きる喜びだから。
自由、そして豊かさに繋がる。

そして誰もが、自分の望む人生を創造できる。
これは私の信念であり、真実。

私にもできたし、あなたにもできる。
可能性は無限大だから。



自分一人では気付かない心の奥底にある想い、
それに気付くためのセッション(対話)。

私のコーチングでも最も大切にしている部分。
自分の心の声に気付く瞬間。


”気付けば、変わる”


あなたも絶対に大丈夫。

もっともっと、自分の心に正直に生きていい。
あなたがあなたの人生の主役であり、創造主だから。



自分の可能性に蓋をしないで。



With love and gratitude


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NANA|セルフラブサポーター🌻
人生を豊かにするセルフラブコーチング🌳

心と体の栄養学【ホリスティック栄養学】を取り入れたセルフケアと心の対話を通じてありのままの自分を受け入れ、愛の自給自足をするお手伝いをしています。

⁡心身ともに健やかに、自分の心に正直に、
自分の本当の人生を生きる人が増えますように🌱

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