水車 第三章 第3話

 水上機母艦の司令は苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。この危急の時に何機かの水戦のエンジンが不調なのだ。酷いのになると離水すら出来ない。離水出来ても高度を取るのに難渋するようでは、とても戦闘に使えない。
 訊けば魔素の吸い込みが悪くなっていて付与のブレイクもまるで機能していないと言う。やむを得ず、無事な水戦だけで編成し変則二個中隊十五機で発進させた。が、すぐに戻ってきて着水するものが一機。
 エンジンの不調は同様の症状だった。

 敵には十分な備えがない。録に戦闘らしき事もせず、王国軍機動部隊は首都を指呼の間に捉えた所で停止した。後続を待つのだ。空軍の飛空艇が交代で上空援護をしてくれている。
 うちの空軍は強い。かつては手も足も出なかった敵羽ばたき気球を苦もなく叩き落とす。強敵と言う敵飛空艇も王都防衛で打ち破っている。空襲は危機ではない。
 陸軍にとってそれは奇妙な感覚でもあった。空襲とそれに続く強襲に苦しめられた経験しか無いからではあった。戦闘車両を円形に配置し陣を敷く。それはまるで鉄壁の城塞のように見えた。

 何度か目の、近付く事も出来ない羽ばたき気球の空襲の後で、二十機程の敵飛空艇が現れた。と、見る間に撃ち落とされ、僅か数機の味方飛空艇に追い払われた。陣地内の歓声は敵王城にも届いたことだろう。
 翌日後続の一部が到着すると程なくして敵軍から使者が来た。こうして王国軍本隊の到着を待たず、敵首都は陥落した。
 兵を跨乗させた戦車の隊列が入城し、市民は戦闘を回避できた事に安堵した。とても打ち破ることの出来そうにない軍に見えたのだ。翌日三艦の飛空艦が飛来し、王国軍の将軍と空挺隊それと空軍司令が降り立った。
 勇者でさえ打ち破れなかった英雄は、にこやかに微笑み意外に優しげに見えた。
 武装解除を確認し城下の盟を結ばんと入城した王国側に、しかし、隣国はもう一つ隠し玉を用意していた。

 交渉は城内の中庭に設えた東屋で行われた。陸軍は弁務官を寄越し王国側の筆頭は空軍司令と言うことになるが、勿論口出しするつもりはない。隣国の方は宰相補佐が出向いていて、弁務官が鼻白んでいた。
「一体、テイコクは本気で交渉する気はあるのか」
 司令は外に大きな影が差してきたのに気が付いた。
「羽気球だ!」
 差程厚くもない東屋の屋根を無数のボルトが貫く。弁務官が死に、宰相補佐が大怪我を負った。それぞれに付いていた従者と書記官にも死者が出た。
 司令はと言うと、咄嗟にテーブルの下に潜り無事だった。羽気球は上空を警戒していた鷲型に撃墜されたが、急降下速度の極端に遅い王国飛空艇の欠点が露呈した事件でもあった。発見から補足撃墜迄が遅すぎて凶行を許してしまったのだ。
 この事件はしかし、大勢には差程の影響は与えなかった様に見える。隣国王家は被害を受けた事を盾に関与を否定し、概ね王国側の条件を受け入れたからだ。
「意外だねー、水上戦闘機引渡し同意するなんて」まあ、王国空軍に完膚なきまでにヤられちゃってるけどさ、他の戦線なら全然行けるっしょ。勇者いないし、増産出来ない筈……!もしかして高性能水車独自開発に成功した?
 悪い予感がした。

 なぜ、あると思うのだろうか。シャオは不思議で仕方がない。勇者はもとの世界に帰れると信じているようだった。異世界とは刹那の時空に凝縮された無数の平行世界、この時間軸の過去から分岐した世界の事だ。それは概念上の物でしかなく何処にも存在していない。
 ただアカシックレコードを通じて、何処かの分岐の何れかの過去の幻影を具現化する事は出来る。膨大なエネルギーを必要とはするが精密な式を書いてやれば同じ質量の土塊を消費して例えば勇者を召喚出来る。勇者にギフト為るものが附加されるのはアカシックレコードを通じて具現化するためのコードが除去されずに残っているからだと考えられる。
 深層下でレコードと繋がっているとも言える。
 義塾で教えている術式だと無駄が多すぎてしかも符号があちこち逆だし、とんでもない事になるが。
 つまり、勇者の故郷は始めから存在していないのだ。
 どうしてもそれらしき物を探すなら、アカシックレコードその物が故郷だろう。シャオは、そう思う。

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