世の中の構図はほぼこれ
私が学生の時に読んで以来
世の中で起こることは、
だいたいいつもこれに当てはまるなぁと
思っている話です。
安部公房の「良識派」という小説から
簡略掲載します。
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昔は、ニワトリたちもまだ、自由だった。
自由ではあったが、しかし原始的でもあった。
ある日そこに人間がやってきて、しっかりした
金網つきの家をたててやろうと申し出た。
むろんニワトリたちは本能的に警戒した。
すると人間は笑って言った。見なさい、私にはツメもなければ、イタチのようなキバもない。
そう言われてみると、たしかにそのとおりである。
決心しかねて、迷っているあいだに、
人間はどんどんニワトリ小屋をたててしまった。
ドアにはカギがかかっていた。
いちいち人間の手をかりなくては、出入りも自由にはできないのだ。こんなところにはとても住めないとニワトリたちがいうのを聞いて、人間は笑って答えた。
諸君が自由に開けられるようなドアなら、ネコにだって自由に開けられることだろう。
なにも危険な外に、わざわざ出ていく必要もあるまい。エサのことなら私が毎日はこんできて、エサ箱をいつもいっぱいにしておいてあげることにしよう。
一羽のニワトリが首をかしげ、どうも話がうますぎる、人間はわれわれの卵を盗み、殺して肉屋に売るつもりではないのだろうか? とんでもない、と人間は強い調子で答えた。私の誠意を信じてほしい。それよりも、そういう君こそ、ネコから金をもらったスパイではないのかね。
スパイの疑いをうけたニワトリは、そうであることが立証できないように、そうでないことも立証できなかったので、とうとう仲間はずれにされてしまった。
けっきょく、人間があれほどいうのだから、
一応は受け入れてみよう、もし、具合がわるければ話し合いで改めていけばよいという『良識派』が勝ちをしめ、ニワトリたちは自らオリの中に入っていったのである。
その後のことは、
もうだれもが知っているとおりのことだ。
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これは寓話なので、
解釈は色々あると思います。
まあ、大丈夫だろう、と
何の疑問も持たず、
何も調べずに、
何の根拠もなく、判断した一つの決断が、
もう後戻りできない取り返しのつかない決断だったりすること。
無償で、良いことしか提案しない相手に対して
何の疑問も持たない大勢がいること。
しまいには、仲間や自分の身を守ろうとその問題と真摯に向き合い疑問を持つことができたニワトリに対してスパイ容疑をかけ、仲間はずれにするという愚かさ。
誰かがどうにかしてくれるだろう
と思っていて、
みんなが選ぶなら大丈夫だろう
と思っていて、
誰かに判断して欲しいと願っている。
そういう人たちが、全体の多くを占め、良識ある(物事を正しく判断できている)と言われるようなこの世界。
良識派は一度は人間の提案を受け入れるけど、
不具合があれば、また今までの生活に戻れると思っている。
最後の、
'その後のことは、もうだれもが知っているとおりのことだ。'
一度受け入れたら、元に戻ることはない。
ニワトリが、今どんな運命にあるか
みなさんご存知の通りです。
どうして、大丈夫だろうと思ったの
でしょう?
そこでもっと、
話し合いをしたり、
疑問をもったり、
意見を言ったり、
調べたり、
反対することもできたはずなのに。
一度受け入れたことを後になって変えることは
ほぼ不可能。
自分だけでなく、これから先に続く世代の自由と命と健康を奪うような選択を強制されるわけでもなく、脅されるわけでもなく、
自ら選択していった。
この話では、人間がイタチを例にしてニワトリにとっての違う脅威(敵)を見せつけて、恐怖を覚えさせ、人間たちはその敵から守ってあげると提案してくる。
そのあと分かる通り、
本当の敵であり悪は人間だった。
でも、もっと大きな悪がいると思っている。
それは、
誰かがどうにかしてくれるだろうと思い
みんなが選ぶなら大丈夫だろうと思い
誰かに決めて欲しいと自らの頭で考えようと
しない大勢の良識派。
世の中のだいたいの出来事は、
だいたいこの構図だと思っている🤔