映画マトリックス初見時の感想(ネタバレ注意)
太陽エネルギーで動いていたコンピュータが人類に青空を壊され電力源を奪われて、死体を液化した養分で人間の胎児を大量に栽培して成長させ、その生体電気をコンピュータを動かす電気にするようになった、という現実を見せられるところまでについて。成長しきって廃棄された人間は胎児の養分になるのか……時代のせいなのか、マトリックスに捕まえられたネオが取り調べ中に押さえつけられて、へそから手乗りサイズの昆虫型コンピュータウイルスが入れられるシーンも、機械で電圧かけてそれを退治するシーンもそうだし、この映画ってアクションの多さでスタイリッシュなイメージあったけど結構描写がグロいな。
仮想空間の描写は時代を感じるかなあ。発表された1999年ってまだコンピュータのモニタが薄型じゃなくて箱型だし、携帯電話、家電話の子機型で厚みがあってでかいのね……しかも固定電話は(映画に出てきたやつは黒くないけど)黒電話が現役だし。いろいろメカ・ギミック回りがごつい感じ。24年前だしな。
エージェント・スミスの言ってることは、半分は当たってる。つまり現実の現象だけ見れば当たってるけど、原因の解析は的外れ。動物も、ある種の熱帯魚とかハトとか、狭い場所に閉じ込められると歯止めの利かない同士討ちをする種もいるし、環境のバランスが崩れると自ら生態系を崩すようになってくから。
彼が言うように人間という種自体が自然との調和とれないわけじゃなくて、教会制度によってこの世の貧困をなくすこと・象牙の塔を築くことを至上課題とした原初キリスト教から始まる現代文明が、心理的に極端に集団文化と外向に優勢になってバランスを崩しているから際限なく外に膨張していくんだよね。
本能は環境や置かれた状況、学習にも発現の仕方を依存するし、壊れやすいものでもある。人間を地球を損なうウイルスとする見方は、心理的バランスを崩した人間の中の無意識的な補償としてよく表れるけど……詳細な観察には基づかない幼稚で単純素朴な自然理解・本能理解・無理解が根底にあるように思う。規制のない世界、際限のない自由だけを求めるって、それじゃ結局AIに指摘されてることは当たってるからね。だってさ、制作側がそう自覚したらしいその証拠に……と言えるかはわからないけど、最新作のリザレクションでネオは救世主じゃなく仮想現実で私利私欲を追求する人間として描かれることになるって初期プロットだったんでしょ。
まあサイファーの裏切りが本作の答えのすべてな気はするけど……支配者のAIは自分たちが提供している嗅覚とか味覚とかマトリックスの感覚的なものを嫌っていて、バランス取れない感じだけど、外に向かう欲望全開・全肯定でうまく制御するものを考えない問答の持って行き方じゃすっきり結論描けないよね。外界に対置する内界、人間の内面的なものを無視して心理的にバランスがとれないままでは、資源を使い果たして自滅するまで膨張する傾向は修正されないままだし、AIにはバランスをとる智恵のないウイルスと扱われるだけだからなあ。西洋で特にAIが人類に敵対するものとして想定されるってのも、そこが……
個人でも文化でも、外界や集合文化のみを尊重して個人の内面や自然の心を無視し省みない傾向があまりに強いと、無意識の補償が人間に敵対的なものとして現れるんだけど……西洋、特にアメリカでAIが人類を滅ぼすものになるって強迫観念に取りつかれがちなのは、外向性の過剰優越があるからな気がするよ。
おれ、制作側がストーリーの結末を明確にしなかった(できなかった)原因がわかるから、根本的な部分で突っ込んだけど、マトリックスという作品そのものはいいねの評価にしたよ!(`・ω・´)後半からはスタイリッシュアクションの連続で映画としてもとても面白かったし。やっぱ映画はいいね!
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第二次世界大戦後の西側諸国の統治手法がそうなんだけど……人間を繰り返しの日常の中に閉じ込めて好奇心を奪い、変化や新たな発見から遠ざけ飼い殺す、というのは、戦争を避けるためのひとつの重大な手段として扱われてる。極端な平和主義は、その本質として変化をもたらす新たな誕生を歓迎しないよね。不確実性を嫌い、否認し排除するから(本来的に不確実性のかたまりである)現実に適応できなくなっていくの、外国でドンパチしまくってるアメリカの政治エリートもそうだけど、現代日本は自分が犠牲を払わない分痛みを感じて修正する機会がないから特に顕著かもねえ。マトリックスはそれを抉ってもいる。
誰も平和を求めるあまり未来ごと殺して閉塞した社会なんていやなんでしょ。おれも人間が電池でしかないことを強制される社会なんて嫌だし、マトリックスの制作側の現状理解と描こうとしていたことは理解できるよ。でも、歴史理解が浅い、自然理解が浅いから適切な解を出せなかったのだとも感じる。世界大戦から70年以上たったけど、当時の課題は封印されただけで、実際には適切な解が見出せず与えられず課題が前に進んでいないのは何も変わってないんだよね。だからまだ鎖を解かれても、同じことの繰り返しになるだけ。作中に出てくるAIやエージェントは、アメリカの政治エリートのデフォルメかもね。
あるいは作中で語られるとおりにアメリカを動かすシステムの擬人化か。マトリックスの擬人化、代理人。
でも、トリニティが愛した男性が救世主だという予言は、女性からの愛を得ることが救世主の条件だというのは、いい線を行っている。女性的なるものの助けを得て自然に対する洞察力を得ること、これはキリスト教文化では中世の聖杯伝説にまで起源をさかのぼれるけど……マリア崇拝で封印された面でもある。男性は誰も自分が選んで愛した女性に奉仕し愛を返されるやり取りをしていくことで、自然に対する洞察力や心が発達していく。でも、彼の心の中の女性が直接体験よりも美しい宗派のイメージ・集合的シンボルにとってかわられると、彼にとって現実の女性の価値は地に落ち、精神的発達の機会も奪われる。
まあ、教会の提供するイメージ・シンボル群は神の直接体験という原危険から精神が崩壊するのを防いでくれるわけだけれど。自分がやりとりできる現実がないわけだからね……この結果、心の中のマリア様に適しない現実の女性に対して中世の最大の汚点たる魔女妄想・魔女裁判が成立するようになった。
でも、宗教改革で教会のシンボル群(それはもともと社会が不安定だった原初キリスト教時代の心の内奥の観察から生まれたものである!)を破壊した結果、キリスト教文化内の人間はヌミノースや神秘的融即に対して無防備になったよね……その精神的破局の最大のものがナチスドイツであると思うけど。答えを出せれば自然に前に進んでいけるけど、枠を壊しただけでは以前の状態に戻るだけ、下手すれば自分を守っている防壁をすべて壊してしまって破局的な状態に陥るだけなんだよなあ。でもアニマと信頼・愛情関係で結ばれて自然に対する洞察力と理解力を得ることは必要条件。十分条件ではないけど。
結局、それができない人間、マトリックス的表現で言えば「救世主になれない人間」との争いになってしまうのは避けられないのかもね。教育能力がない、教育できる集団がないと。他の人の中にある創造的な芽を育てていく力がないと、さらに争いの程度はひどくなって収拾がつかなくなるよね……