言葉の温度。
誰にでもある、とは言い切れない事だけど
本当に不意に涙が流れる事がある
何かを思い出した訳でも、何か悲しい事があった訳でもなく
不意に、何もなく涙が流れる時がある
言葉をそんなに知らないので、その時は決まって今は明るくなっちゃいけないって
心が勝手に命令してんだな、とか思っていたりした
そう思ったらスンっと心に落とし込めたりして
納得していたりしてた
そんな時に乃木坂46の曲「シンクロニシティ」に出会って
そういう言葉があるのを知った
昔からあほな癖に知識欲だけは強くて知らない言葉をすぐに国語辞典とか英語辞典とかで調べていて
今はスマホでちょろって調べたら出てくるから便利ね
これで全部を片付けられるとはもちろん思っていない
それでも何故かこの言葉を知れた事でスッとした記憶がある
自分が悲しくなった時に、何を自分ごときが、とかネガティブにする材料にしか考えれなかったけど
周りが言う感受性の高さがもしぼくにあるのだとすれば
誰かの悲しさを受け取っちゃったんだな、って
なんとなくプラスに受け取れるようになった
といっても別にポジティブにはなってないけども
言葉の温度については
出会いってものはいつだって突然だと思う
それは言葉も同じで
出会った事でやたらめったら使いたいひけらかしたい、とは思えない
はてなが頭に浮かぶ言葉、それを調べればいい、と片付ける事も出来るけど
その時その時に伝わらないと言葉の温度は死んでいくと思う
世に流行っていった言葉だから、と使ったりするより
その折角蓄えた言葉の知識を自分の中の言葉として溶け込ませて
相手にちゃんと伝えられるように、温度を宿して伝える
そうして生きたい。