日本語の特殊性から考える、この国でマンガが発展した理由。

※この記事は、2017年1月16日に著者の旧ブログに書いたエッセイを加筆修正したものです。


「マンガ表現が、どうして日本でこれほどまでに発展したのか」という問いは、マンガ好きの人なら一度は考えたことがあると思う。
しかし、きちんと答えにたどり着いた人はなかなかいないと思う。
(バンド・デシネやアメコミのことを考えると、日本でだけ発展したわけではないが、少なくとも日本独自のマンガ文法の発展ということは言える)

仕事柄この質問を受けると(*1)、
「私は、手塚治虫が日本に生まれたからだと思っています」と答えるようにしているのだが(これは、もともとは『ブラックジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~』の原作者である宮崎克さんの言)、さすがにそれだけが決定的な理由だと思っているわけではない(でもこの答えはとても気に入っている)。
(*1 このエッセイを書いた当時は、京都国際マンガミュージアムで司書として働いていました)

京都国際マンガミュージアムの館長でもある養老孟司氏(*2)がよく言っているのは、
「日本人は、表意文字である漢字と表音文字であるかな(カナ)を、脳の別の箇所でそれぞれ認識している(これは、難読症という脳の器質疾患の研究から明らかになっている)。しかも、ひとつの漢字に複数の読み方(音読みと訓読み)があることにより、漢字にルビをふるという文化がある。日本人がマンガを読む時には、ルビのふられた漢字を見るような脳の使い方をしている。だから日本でマンガ文化がこれほど発展したのです」みたいなことだ(かぎ括弧内は、なんとなくまとめただけで、何かの引用ではないです)。
(*2 2017年当時。現在の館長は荒俣宏氏)

でも、この論は、きちんとした実験や研究を経たものではないようなので(おそらく養老教授の暗黙知的な解なのでしょうね)、私は根拠を持ってこの説を人に伝えることができないでいる。
「マンガについて話す時のいいネタ」程度の信憑性である。


話は変わるが、このあいだ、友達がFacebookでシェアしていたとある記事がとても面白かった。
「なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか?」という、まぐまぐニュースの記事だ。



内容は、タイトルから想像してもらえれば十分なのだが、東京医科歯科大学の角田忠信教授という人が、キューバで開かれた学会に参加した折に、激しい虫の音が気になって話に集中できず、周囲の人にそのことを話すのだが、周囲の人は「だれも何も聞こえないという。教授には「蝉しぐれ」のように聞こえるのに!」というくだりが、衝撃的に面白い。

その後、角田教授は、日本人の脳が他の民族の脳と違う点を生理学的に研究し、「西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめる」「このような特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけに見られ、中国人や韓国人も西洋型を示す」「日本人でも外国語を母国語として育てられると西洋型となり、外国人でも日本語を母国語として育つと日本人型になってしまう」といった研究結果を発表したそうだ。
非常に興味深い。

この記事を読んだ時に私の頭に浮かんだのは、もちろん前述の養老氏の「日本人マンガ脳論」である。


今日この記事を書いてみようと思ったのは、たまたま職場で目に入ったので読んでみた「新潮45」2010年1月号の養老孟司氏と内田樹氏の対談内容が、これまた面白かったからだ。
内田氏が『日本辺境論』を出したタイミングでの対談だったらしく、日本人の言語脳の特殊性とマンガの成立についても語っている。前述の養老氏の論の再確認のような内容だ。
「漢字とかなを、脳内の二箇所で並列処理しているように、マンガを読んでいるときにも、日本人は絵の部分と吹き出しの部分を、脳内の二箇所で並列処理して読んでいる」

これを読んで、やはりこの説はいろんな人に知らせる価値がある!と思ったのだ。

内田氏は、自身のブログでも「マンガ脳」について語っているので(そして収拾がつかなくなっているので(笑))、興味のある方はそちらも読まれたい。角田教授の著作からの引用もある。ミラーニューロンの働きによって、私たちはマンガを読んでいるときに「仮想的身体運動」をしているという説は、個人的な実感からしてみても、すごくワクワクする話だ。だって、マンガを読んでいるときって、自分がその世界に入り込んじゃった感じになるじゃないですか。
内田樹の研究室「マンガ脳」
http://blog.tatsuru.com/2008/06/18_1048.php

日本語の特殊性についての記事もあった。マンガとアニメについても触れられている。
内田樹の研究室「日本語って変かも」http://blog.tatsuru.com/2008/04/23_1545.php

竹宮惠子氏との対談をまとめた『竹と樹のマンガ文化論』(小学館新書)も、読みやすいのでけっこうおすすめだ。
(このタイトル、『風と木の詩』にかけてるのかなと思うんだけど、わかりにくいよねw)


話がとっ散らかるが、この内田センセーのブログ記事を読んでいたら、「ミラーニューロン」の話のところが、私の中で「エンパシー」という単語とつながった。

超能力の一種で「テレパシー」というのがあるのはよく知られているが、同じような感じで、「エンパシー」という能力がある(テレパシー能力を持つ人を「テレパス」と呼ぶが、エンパシー能力を持つ人のことは「エンパス」と呼ぶそうな)。
エンパシーとは、簡単に言えば「共感能力」のことで、レベルの高い人になると、近くにいる人の身体的な痛みを自分の身体の同じ部位に感じたりもするそうだ。セルフコントロールできないと、つらい能力でもある(どんな能力もそうかもしれないけれど)。
日本人のエンパシー率は、高いらしい。

参考URL:日本人にエンパスは多い?
http://www.empath.org.uk/empath/japan.html

日本人の5人に1人はエンパスだという話もあるらしい。
明治時代に日本を訪れた西洋人が、「日本人はテレパシーが使えるのか?」と驚いたという話をどこかで読んだことがある。
海外で暮らしている友達が、現地人の友達に同じようなことを言われたという話も聞いたことがある。
「空気を読む」「言葉で言わなくても理解し合える」ことを良しとする日本の文化は、エンパスを生み出しやすいのかもしれない……などと妙に納得してしまう。
( このブログ記事も面白かった。
  In Deep (旧)「宇宙が羨むことば」
  http://oka-jp.seesaa.net/article/190690861.html )

エンパスについても、根拠を持って話せるほどの知識や経験を持ち合わせていないのだが、今後フォローしていきたいと思っている話題だ。
もしかしたら、内田センセーが書いていた、ミラーニューロンによる「他人の身体動作の模倣を通じて、自分の脳神経回路の組織化」と関係があるのかもしれない。
誰かもっと詳しいことを知っていたら、教えてほしい。

私もだんだん収拾つかなくなってきた(笑)。
いつかもっと上手くまとめるための備忘録程度に読んでもらえたらありがたい。


最後に、日本語の特殊性を感じるつぶやきを見かけてうれしかったので、シメにリンクを貼っておく。
10番と12番が該当ツイートだが、それ以外も面白い。

外国人「日本語に出会ってプライドが粉砕した」日本人だからこそ気づけないこと12選


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