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「1人暮らし長いのにどうして家事ができないんだろう?」

家事が苦手、という話は様々なところで聞くことがある。
私もどうやら苦手な方である。難しい。
家事というのは膨大な量があり、全てをこなしながらも毎日タスクは増え続ける。続けていかねば、衛生は保てない。パートナーも私も体が強い方ではなく、特にパートナーはアレルギーやハウスダスト持ちのため、掃除は欠かせなかった。
だが、できない。
やり方がわからない、というわけではない。洗濯、食器洗い、ゴミ出し、毎日の献立、買い物、料理。1つ1つを考えて潰していくことはできる。だが、いちいちする度に腰が重い。そろそろ布団を洗わなくては、季節ものをしまったりクリーニングに出さなければ、靴もいい加減洗いたい、トイレもいつの間にか黒ずんでいる、部屋の隅にはほこりが溜まり、だが体が動かない。そういったことをいつも見る度考える度に思う。やらなくても死なないからいいか、と。
なんでだろう、といつも思っていた。
1人暮らしを5年もしていたのに、一向に家事が上達しない。
私にとっては、家事は苦痛であったからだ。

大学の講義で聞いた、とある話を覚えている。
児童養護施設に入った少年。そこで、休みの日に学校で使う上靴を洗うことになった。流しの前で職員は靴用の洗剤とブラシを渡し、すこし目を離した。その後に少年を見ると、洗剤を丸々一本使い切ってしまっていた、という話だ。
これを聞いたとき、どういった反応が正解なのだろうか。中には、「洗剤を全部使うやつがあるか!」と怒鳴り散らす人もいるかもしれない。少年がわざとしたのかも、と怪訝に感じる人もいるかもしれない。
教授は「想像」という言葉を使ったように記憶している。そもそも彼の境遇を知っているはずの職員であるならば、「想像」に難くない、と。


私は、1人暮らしへの願望が人一倍強い子どもだった。
はやく1人になりたい、両親と別れて生活したい、孤独に生きていきたい、と常々思っていた。大学に進学し、憧れの1人暮らしを充実させるのだ、と意気込んだ。
現実は酷かった。意気揚々と買い物に行き、大量に買った食材を何度も腐らせた。食器洗いをするのがつらく、ピカピカだったシンクは水垢で汚れ、夏には絶対小バエや腐敗臭がするようになるのが苦痛だった。ポイントに釣られスーパーでプリペイドカードを作ったが、目に見えないお金の扱いに慣れておらず、何度も残高を不足させた。お金の管理方法がわからず、家事についてのブログやネット記事などにかじりついた。洗濯物を回す頻度もよくわかっておらず、バイトの制服が二着しか貸与されなかったためにようやく行動した。掃除機は安いものを買ってしまったせいか、吸込み口の首がうまく動かず、かけるたびに腹が立つ。また、カーペットに使えないタイプの掃除機だったのを買ってから気付く。掃除してもしても床に落ちる髪の毛を、見て見ぬふりをする。体調面が安定せず、朝8時30分のゴミ出しにいつも間に合わない。玄関にゴミが溜まっていき、生ゴミが匂ってくる。そういえば靴も数ヶ月は洗っていない。朝の講義にも行けなくなった。
当時の付き合っていた人に、がんばって振る舞ったご飯は、「洗剤の味がする」と言われた。

ショックだった。所詮こんなダメな人間なんだと、自分を責めるしかなかった。

1人暮らしをしている友人も半数ぐらいいるのはいた。時々親が心配して家にきてくれるんだ。この前両親に食料を送ってもらった。お金足りなくなったからお願いしたんだよね。家族LINEにいつも連絡がきててうるさい。彼女に掃除してもらってる。
耳を塞ぎたくなった。県外の学生は、会話のカードの一枚目に、「出身は?」「1人暮らし?」なんてところから始まる。そこから始まる地元の話。家族の話。仕送りの話。お金の話。自炊の話。
惨めだった。私は家族のLINEなど知らなかったし、連絡といえば、親のサインがいる書類や、金銭面のやりとりのみだった。困ったときに連絡できるほど気楽な関係ではない。お金の催促などできるわけがない。

6月。入っていたサークルで、急に「合宿費」と称して数万円が徴収された。私の仕送りは4万5千円。足りる訳がない。バイトを始めたのは5月だったため、給料日には間に合わないし間に合っても足りない。貯金などない。泣く泣く親に1万5千円をお願いする。結局その合宿には参加しなかったが、「合宿費」は帰ってこなかった。

お盆か年末年始に一日だけ帰省をしたものの、母親が「使わないから」というものを大量に持たされる。両親の20数年前だろう結婚式の引き出物で、箱に入ったままの食器。贈り物用にラッピングされている入浴剤。母が使わず余った生理用ナプキン。中に入っていた食材や乾き物は、賞味期限が切れている。大きな紙袋を持ちながら、まるで在庫処分に利用されているようだと、気持ちが悪くなった。
「もらえるだけいいじゃないか」と自分に言い聞かせながら、アパートに戻ったとき、半数以上を捨てた。


友人との温度差にいつも辛くなる。それでも、当時の私には、それを説明できる能力も語彙もなかったし、辛さを打ち明ける人もいなかった。友人の話に頷きながら、どこかで苦しい自分を、遠目で見ていた。
別にゴミ屋敷になるほど物に溢れていた訳でもない、飢えていたわけでもなく、頑張ればできる。人前に出られるぐらいには清潔は保てる。人とは話せるし、どうも外ではしっかりしている人に見えているらしい。それが余計に、自分を苦しめた。


ここ最近、おそらく、多くの人がいろいろな環境で獲得してきたものを、自分はうまく獲得できていないことに気付いた。今のパートナーと出会い、生活を共にする時間が増えていくのにつれて、自分のそういった部分が欠けていることに自覚した。


「家事に苦手意識がある」というのは、元々パートナーに話してはいた。パートナーは実家暮らしだったが、1人暮らしで家事をうまく回せない私の代わりに、アパートに来ては様々なことをやってくれた。食器洗いが上手だったし、食器や調理器具に残った油汚れなどは直ぐに拭き取るとよい、と教えて見せてくれる。洗濯機のゴミ取りも指摘してくれたり、靴を洗う習慣があることを知った。一緒に暮らすようになった今も、揚げ物は率先してやってくれるし、ゴミ出しも毎日行ってくれる。ここを掃除しよう、これを洗おう、これはやろう、と積極的に動いてくれる。様々なことを教えてもらったと共に、私にとっては衝撃の連続だった。
私は、「1人暮らしが長いから、私のほうが家事はやろう」と思っていたが、全然そんなことはなかった。美味しいご飯を作ろうと試行錯誤して私が作った料理より、パートナーがつくる味噌汁や、初めて作ったという鮭のホイル焼きのほうが美味しかった。洗濯物をきれいにたたむのも上手だった。
それに加えて、私はなにもかもがへたくそだった。恥ずかしかった。がんばってもがんばっても、献立のレパートリーも増えない。トイレ掃除もお風呂掃除も先延ばしにしてしまう。洗濯物だって平気で二日ぐらい干しっぱなしにしてしまう。


ある日パートナーに、「食器用のスポンジをそろそろ買い換えない?」と言われた。びっくりした。ある程度の頻度(恐らく2,3ヶ月ぐらい、気付いた時)で買い換えてはいたのだが、どれぐらい使って買い換えればいいのかよくわからなかったからだ。私は全部感覚でやっていたし、正直汚いと思っていなかった。パートナーは「色も悪くなってきたし、油も吸ってきたしそろそろ…」と言った。
初めてその時、食器用のスポンジは早めに買い換えなくてはいけない、という意識が芽生えた。


私の実家では、私が物心ついたときぐらいからすでに食洗機を導入していた。が、食洗機から食器を出して棚にしまうということをしていなかったため、食洗機が半食器棚状態になり、それに伴ってシンクにも食器が溜まって、無限ループ状態というのが常だった。
そのため、恥ずかしながら、食器洗いを手でほぼやったことがなかった(家庭科の授業ぐらいか?)
1人暮らしを始めた時、手で食器洗いをするとき、洗剤とスポンジを使ったら良いのはそれなりに知っていたが、どれぐらいこすれば良いのか、どれぐらい水を流せばいいのか、いつ食器洗いを行えばよいのか、食べた後なのか、次の日の朝で良いのか、毎食後なのか、夜まとめてしたらいいのか、よくわかっていなかった。食洗機もいつかけているのかよく覚えていないし、常時お皿が溜まっている状態なので、いつどのタイミングでどの皿が洗われているのかもわかっていなかったのだ。
水切りカゴを購入して使っていたが、定期的に洗う必要があることを知らず、いつの間にか受け皿は、水垢でひどい色になっていた。泣く泣く洗う、だけれど忘れ、また水垢が酷くなり、泣く泣く洗う、ということを数回ぐらい繰り返した。
食器洗いがつらいなぁと悩んでいたとき、当時ミニマリストがブームになっていたこともあり、布巾の上に洗った食器を置いて乾かす、というやり方を知った。水切りカゴは場所を取るからスリムじゃないし、水垢や菌の温床になるため、不潔だ、という意見を見て、同意した。布巾を使って乾かすという方法を試し、これで解放される、とうきうきしていた。結果、布巾と食器を常時置きっぱなしにしてしまい、布巾の下や布巾自体がカビてしまった。布巾の漂白も知らなかったし、乾いたら食器棚に直すという習慣がなかったからである。


1年間の、パートナーとの共同生活を通して、ようやく自身の苦手なことの輪郭がはっきりした。
多分自覚しているものも、無自覚なものを含めると、私の生活に対する知識が不足している側面がたくさんあるのだと思う。恥ずかしい話ではあるが、自分の無知を知ることは辛い作業であるが、無知なままでいることもまた辛いので、本を読んで自分なりに文化を獲得していきたいと思い、前を向こうとしている。

だが、なにも状況は変わっていない。つらいのはつらい。
それ以上でも、それ以下でもない。

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