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旅の終わり、プシュカルでの日々
ゴアからの長い長い過酷な道のりを経てたどり着いたラジャスターンのプシュカル。
私よりも一日先にプシュカルに着いていた地元の友達みっちーと昔泊まった事のあった宿ダイヤモンドのマーヴィーが出迎えてくれた。ゴアから重症の状態で死に物狂いで移動してきた緊張感が一気にほぐれて解放されてほっとした。「あぁ、ただいま」そんな気分になるくらい、プシュカルという町は私にとってはホームタウンなのです。コロナが始まる3年前まで毎年通い続けた大好きな町。
3年間で変わった所もあったけれども、町を歩けばみんなが「おー!!おかえり!元気だったかい?」と嬉しそうに私に挨拶してくれる町の人達の姿に全ての人が経験した3年間の大変だった日々の長さを感じた。
なんとかプシュカルに来たものの、腰の状態はかなり痛くてちょっと体勢を変えるだけで激痛が走るので完治するまでプシュカルで静養する事にした。
とはいったものの、プシュカルでは毎日が再会ラッシュで会いたい友達や行きたい場所、やりたい事がたくさんありすぎて毎日がパーティーのように楽しくて嬉しくてあっという間に過ぎていった。
これまで何度も訪れて長い時で4ヶ月間もいた事のあったプシュカルでのたくさんの思い出を経て、今またこうしてプシュカルにいれる事は私にとって何よりの幸せであったし、やっぱりここが好きなんだって再確認することができた2週間となった。
腰の状態も日に日に良くなって念願だったサヴィトリー寺院(ブラフマー神の奥さんサヴィトリー寺院の山)にも登る事ができた。
これでまた旅が再開できると思ったのも束の間、母の健診結果がよくなくてこれから手術する事になったので付き添いするために帰国する事が決まった。
これまで何度も母に心配かけながらも続いてきた旅。旅ができるのも母が健康でいてくれたからなので、すぐに帰国する事を受け入れる事ができた。
旅はいつでも来れるけれども、母との時間には限りがあってかけがえのない存在だから母の元へ早く帰りたいと思ったので後悔はない。
3年ぶりに1ヶ月ちょっと、思いっきり旅できて最高に幸せな旅だった。
最後の最後まで楽しみ尽くしたプシュカルのインドでの時間は、忘れかけてた自分を取り戻すかけがえのない時間となった。
またここに戻ってくると心に決めて🇮🇳間もなく日本に地元に帰ります。
まずはお母さんを支えて、新たに始まる今年の日本での日々が楽しみです😆
早くみんなに会いたーい❤️