自分の事を知るということ
新年度が始まり、もう4月が終わろうとしてる。
去年の今頃の私は、逃げるように仕事を辞め、家事はやれていたけどはっきり言って心はボロボロになっていた。
でもそれは『私を知る』という事の始まりでもあったんだと思う。
先月の終わりに、母親からの親戚の訃報の電話があった。
その際に私は、叔父の葬儀には出ないと断りを入れた。
そして、ずっと母親に対して思っていたことを吐き出した。
結果母親からは電話をガチャ切りされた。
それ以来母親からは連絡はない。
電話をガチャ切りされた時に感じた私の感情は、言いたいことを言えたという安堵感と、解放感。
それからあれ?なんかこれデジャブ?という思い。
多分私の中の母親との思い出の中で、無かったことにしたかった記憶の一つに、電話のガチャ切りだったりその場から急にいなくなるなんて事があったのだろう。
私ということを知りたいと思ってから、時々出てくる昔の嫌だった思い出。
小さな私はその記憶をなかったことにして、母親の前ではいい子を演じていたのだろう。
主人に事の顛末を伝えると、「今お母さんは、ガチャ切りという形でしか答えられないんだろうね」と言った。
そうだろうな。
自分が家族よりも大事にしてきた親戚付き合いを娘に一刀両断されるなんて。
娘が金輪際関わりたくないと言い放った親戚付き合いの一番の癌が母親だなんて事実。
認めたくないだろう。
思えば、私は母親を傷つけないようにたくさん自分に嘘をついてきた。
そういう環境だった。
母は、母自身と同じようにバリバリ仕事をこなして、親戚衆の面倒を見て、自分の傍にずっといてくれる、そんな娘に育ってほしいと思っていたのだろう。
私は母を傷つけない嘘をついているうちに、自分の本当の気持ちが分からないまま大人になってしまった。
結婚の報告を両親にした時、母親の口から最初に出てきた言葉が『三年やそこらで仕事をやめて』だった。
この言葉は、未だに私を苦しめる呪いの言葉になっている。
そして二言目には『自分の傍を離れるはずないと思ってた』と言って、母は泣いたのだ。
これには私はびっくりした。
え?そんな態度私とっていたっけ?
おめでとうの言葉もなく。
私は、呆然としてしまった。
後の主人になる彼は、私の気持ちを察したのか、机の下で手をぎゅっと握ってくれていた事は覚えている。
あの頃の私に伝えたいな。
もっと自分の好きなように生きていいんだよ。
怖かったけれど、母親に自分の気持ちを吐き出せた私は今、とてもスッキリしているよ。
ネガティブな気持ちを伝えるのは勇気がいる事だけれど、自分の中のネガティブな気持ちを認める、そんな気持ちがあっても良いんだという、自分の感情を今、私は味わっています。