手放して手に入れたもの latter half
前回のお話の続きです。前編はこちらから⇩
良く晴れた一年前の冬の土曜日、家族総出で七段飾りのお雛様を出した。
本当に久しぶりに顔を見たお雛様たちはどことなくほっとした表情をしていたような気がする。
鬼の形相に変わっていたらどうしようと密かに心配もしていたから。
次の日、某査定屋さんが来てくださった。
結果は残念ながら0円。
申し訳なさそうに箱ティッシュ(でも鼻に優しいエエやつ)を置いて行ってくれた。査定に関しては予想が出来たので落ち込んだりはしなかった。
それよりも久しぶりにお雛様たちを外の空気に触れさせてあげられた安堵感の方が勝っていた。
問題はこれからである。
お雛様を飾ったと同時に、空の桐の箱には子どもたちの思い出の品物を入れてしまったので、彼らを収納する時の箱が、なくなってしまったのである。
正確には、道具類の箱はあったのだけれど、人形の居場所がない。
とりあえず道具類は箱にしまい、お人形はプラスチックケースに隙間なく座っていただいた。
その時にふと、フリマアプリで出品したらどうかな?と思った。
だが、フリマアプリ上級者の主人に相談すると「出品する時期もあるし、細かく出すと送料が意外にかかるからね」とやんわりと、今じゃないと止められたのだ。
時は二月下旬、こういった品物が売れる時期は過ぎていたのだろう。
私はまた倉庫にその者たちを、そっと戻したのである。
そして今年の冬、ふとアカウント登録だけしていたフリマアプリで、子どものシーズン物の服を売ろうと思い立った。
主人にあれこれ指導してもらいながら、セット商品であっという間に二着が売れた。
ちらっと去年の事がよぎった。
売るなら今なのかな?売れなくても、とりあえず出品してみよう!
そう思ったら、私のお尻にはもうごうごうと火が焚かれていた。
売れそうなもののリサーチをかけて、値段の査定をして、娘のお雛様の道具をお借りしてそれを背景に写真を撮り、出品した。
段々と夢中になっていく自分がいて、なんだかおかしかった。
フリマアプリ初心者の私だが、結果品物は次々と売れていった。
出品のタイミングとか、値段設定とかいろんな要素が重なったのだろうが、あっという間に売れていく様に、あっけにとられている私がいた。
実際はあっけにとられている場合なんかじゃなく、購入者さんとのやり取りや、品物を丁寧に梱包したりすること、発送作業などで慌ただしい日々が過ぎていった。
今回の記事を書こうと思ったのは、私の気持ちが変わって行く様を忘れないようにとどめておきたいと思ったからです。
最初こそ、お金になった!という達成感がありました。
ですが、私の気持ちはそこから徐々に変化していきました。
私の中ではネガティブな思いしかないモノたちへ、評価や感謝の言葉を頂けた事。
私はとても不思議な気持ちになりました。
もちろん、品物のバックグラウンドは知らないにせよ、人によって見方って違うんだという気付きを持たせてもらいました。
購入者さんとのやり取りも、また私を温かい気持ちにさせてくれました。
主人はそれが楽しいんだよと言います。
お金じゃないやり取りを楽しいと思える事。
ギスギス痛んでいた私の気持ちを包んでくれました。
匿名発送でない品物たちは、場合によっては何処へ送られていくのかを知る事が出来ます。
そういった品物たちが、例えば航空便で送られていくことが分かると、「そんなに遠くに行くんだね」「元気でね」と思うようになりました。
査定屋さんによって運よく全部、サッパリといなくなってしまったら、こんな気持ちにはならなかったかもしれません。
自分で手をかけて売った。
だから実感できた気持ちがたくさんあります。
発送の段階で失敗してしまったこともあったけれど、購入者さんに謝りのメールを入れて、また手順をふんでやり直す。
小さなことですが、私の自信につながりました。
心の角度、とらえ方によって私の気持ちはこんなにも大きく変わるんだということを、今回の事で実感しました。
そして、やっぱり人ってあったかい。
手放して手に入れたことは、これでした。