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娘が産まれた日のこと

ことしの8月に、娘が産まれた。
娘が産まれてからは、とにかく娘中心に生活が回っている。
3ヶ月も育休をとってくれた夫や、
「推し活」と称して日々手伝いに来てくれる母のおかげで
最近は自分の時間も作れるようになってきている。

そんなふうにゆったりと、でも忙しなく生活しているうちに
出産は私にとって人生で最も痛くて辛くて、幸せな体験だったはずなのに
気がついたらあっという間にあの日の記憶が薄れ始めている。

側から見ればありきたりな出産体験記だけど、
娘や私にとって忘れたくない大切な思い出として
文章に残しておこうと思う。

出産予定日は、8月17日だった。
出産予定日の2週間ほど前に「子宮口が1センチほど開いている」、
1週間前には「いい陣痛の波がきているね」「前駆陣痛きてるけど気付いてない?」(気付いてなかった)
と言われた私はなんとなく「予定日の前に産まれるんだろうな」
「痛みには比較的強いタイプだしスルッと産まれちゃうかもな」
なんて、初産婦によくあるナメた妄想をしていた。

「いい陣痛の波がきてるね」と言われてから私は
定期テスト1週間前の中高生よろしく、急に陣痛体操を始めてみたり
夫に付き合ってもらって散歩に出掛けてみたり
夏はシャワー派だけど毎日湯船に浸かってみたりした。
時々、キューっと子宮が収縮して生理痛が強くなったような痛みがあり
陣痛かな?!と何度も陣痛タイマーで感覚を測ってみるものの
それが規則的になることはなく、ヤキモキしながら予定日は過ぎてしまった。

予定日から2日経った8月19日、この日も日中は変わらず不規則な痛みがあり
張りや痛みを気にしすぎて「陣痛」がゲシュタルト崩壊してきていた。
もはや何が陣痛の痛みなのかわからなくなり、何度も何度も
「陣痛 痛み 特徴」「陣痛 痛くないけど張っている」「前駆陣痛からどれくらいで陣痛」と検索窓に入れてはそれらしき体験レポを読み漁る検索魔に成り果てていた。
これも初産婦あるあるだと思う。この時に読んだ大量の体験レポでももれなくほぼ全員が検索魔になっていた。

日付を過ぎたあたりで
もう今日は寝よう、と夫とベッドに入りしばらくすると
痛みがなんとなく強くなり、定期的にきている感じがしてきた。
今までは「これは・・・陣痛か・・・??」みたいな痛みだったのが
「いやこれは流石に陣痛だよね!!!!」という明らかな痛みになっている。
生理痛の痛みではない、確実に子宮が収縮して赤ちゃんを押し出そうとしている感じ。
陣痛タイマーで感覚を測ると5〜7分。
病院には10分間隔になったらきてください、と言われていたので
急いで病院に行き、深夜3時ごろそのまま入院となった。

「予定日の前に産まれるんだろうな」という想定は外していたものの、
この時の私はまだ「痛みには比較的強いタイプだしスルッと産まれちゃうかもな」という妄想は捨てられておらず
入院した当初は「日中には産まれるかしら」なんて思っていたが甘すぎた。

入院時に「子宮口が3センチ開いている」と言われたのに
4時間経った7時の時点でも「子宮口は3センチだね」と言われた。

・・・意味がわからない。
子宮口は10センチで全開と言って、赤ちゃんが出てこられるようになる。
その頃には陣痛の感覚は1分ほどになると聞いていた。
痛みは確実に強くなってきていて、陣痛の感覚も3〜4分になっている。
なのにまだ3センチ?!?!嘘でしょ・・・

そこからさらに6時間が経った13時ごろ。子宮口5センチ。
痛みと疲れで出された食事はほとんど手がつけられなかった。
エビフライだけ気合いで食べた。2本。味はあまりわからなかった。
そもそも「そろそろ寝ようか」のタイミングで病院に来たもんだから
眠気もすごい。でも寝たいのに痛みで寝られない。

私の病院は、陣痛の時間は4人部屋で待機しなければならない。
お互いの陣痛に耐えているうめき声が部屋中に聞こえるし
助産師さんの声もまる聞こえなので、お互いのお産の進み具合もバッチリわかる。
私が入院した時には1人だけ妊婦さんがいて、私が来た1、2時間後に分娩室に運ばれて行った。
分娩室は待機室のすぐ目の前だったので、お母さんが絶叫している声が部屋中に響いていた。
最初こそ一緒にいる妊婦さんたちの存在に「お互い孤独な戦士として戦おう…!」と勇気をもらえていたが
戦いが長引いてくると他人の呻き声は騒音でしかないし(もちろん自分もうるさい、むしろ私が1番うめいていた気がする)
私のあとに来た経産婦さんがあっという間に私を抜かして出産していくのを見て(聞いて)、イライラしないわけがない。
何度もナースコールを押して「もう無理です〜〜〜〜〜〜」と弱音を吐いた。
1人で気が張っているのか、うまく泣くこともできなくて、とにかく辛かった。

いよいよ14時ごろ、促進剤を打つことになった。
勝手に安産であろうと踏んでいた私は、少しショックだった。
出産に強いこだわりがあるタイプではないので、促進剤に対する拒否反応はないものの
薬に力を借りる形になる出産に己の力不足を感じてしまった。
このあと死ぬほど頑張るので全然そんなことはないと今では思っているけど。

促進剤は若い看護師さんが点滴をつけてくれた。
なんだか慣れていないのか、得意でないのか、
左手でしっかりと失敗されてしまった。
その後に来た先輩看護師さんが右手に点滴を打ってくれた。
意識が朦朧とする中で「いってえ〜〜…」と思ったのは覚えている。
出産後に左手を見たら手の平より大きなあざになっていて
産後1週間経っても消えていなかった。
どうせ消えるし、あまり気にしていなかったが周りがすごく心配してくれた。
むしろ大きな勲章である。

15時ごろから促進剤の投与が始まったが、そこからもかなり時間がかかった。
「はい、この痛みは絶対に10センチ開いてま〜〜〜〜す」と思ってナースコールを押して見てもらうも「う〜〜〜ん、6センチ…いや5センチかなあ」
などと言われ絶望する…というのを何度も繰り返し
19時ごろ、子宮口7センチ(まだ7センチ?!?!?)で
分娩室に行くことになった。

立ち会い出産を希望していたので、分娩室に行くタイミングで夫に連絡した。
その時のLINEがこちら。

余裕のなさが見て取れる。「ない」には(いいからはよ来て。励ましてくれ。)という気持ちが入っているが当然そんな長文を打てるわけがない。

分娩室への移動も、普通に歩かされたがそんなの無理だ、と思った。
どうやったかわからないがなんとか分娩台にのぼり、痛みに耐えていると
夫がやってきた。約15時間ぶりの夫。ほっとして涙が出た。
後から「あの時泣いちゃってさあ〜」と言ったら
「え?泣いてたっけ?」と言われた。おい。見てくれよ私の涙。

夫が来てからは、腰をさすってもらったり、お尻を押してもらったり
ゼリーやチョコレートを食べさせてもらったりした。
ここまでの孤独な戦いとは打って変わり、2人で頑張っている感じがした。
読んできた体験レポには旦那さんのサポートについて
「腰をさする場所が違った」「テニスボールの押し込みが足りない」
「何をしていいかわからずオロオロしていた」など
サポート不足に苛立った皆さんの体験が書かれていた。
それもあり、実用的なサポートは大きく期待していなかった。
そもそも夫も妊娠・出産は初めてで、ましてや女の私と違いなんの体の変化も起きていないわけで
その状況の中、痛みでほとんど話せない妻のサポートをしてくれと言われても難易度が高すぎる。
とにかくそばにいて、精神的に支えてもらうだけで十分だと思っていた。
実際、顔を見た瞬間に涙を出せただけでもその役割は十分に果たされている。
ただ、夫はほとんど話せない私に対して、様子を見ながら
的確に腰をさすり、十分な力でお尻を押してくれた。
出産の瞬間も、助産師さんの言葉に習って「目開けて!」「大きく息吸って!」「はい、深呼吸、深呼吸!」など
余裕のない私にたくさん声をかけてくれたのだった。
立ち会い出産にして、本当に良かったと思った。

分娩台に登って2時間ほどで、破水をした。
突然、パチン!!と音がし(た気がした)て、ざばあっとあたたかい水が流れ出た。
ブワアッとお漏らしのように水が出た(でも水量は尋常じゃない)ので
「ああああ〜〜」という声が止められなくて恥ずかしかったのを覚えている。
分娩台以外の場所で破水をしてしまったら、結構大変だっただろうなあとぼんやり思った。

いよいよ子宮口が9.5センチほどになり、いきみがスタートした。
陣痛がきた!と思ったら大きく息を吸って一気にいきむ。
おへそを見て、口を閉じて、目は開けて、いきむ。
これを3回繰り返したら休憩。
1回のいきみで、人生でこんなに力を入れたことない、
こんなに力を入れたらお尻から内臓全部出ちゃうよ?!と思うくらい
かなり強くいきむので、3回連続でいきむなんてできるわけない!やれたとしても1セット!!!と思ったが
結果的に3回を10セット以上繰り返した。すごい。
自分にこんな力があったのか…と改めて出産というものが末恐ろしくなる。

長引いてきたのもあり、今まで助産師さんだけだったのが
産科の先生もやってきて、会陰切開になった。
覚悟はしていたが切るのかと思うと怖かった。
麻酔もしていたので痛みはなかったけど、切られたというのはわかった。
けっきょく、会陰切開の傷に加えて少し裂けた箇所がいくつかあったらしく
産まれた直後にたくさん縫われた。

息が上がってきて短い呼吸になると、赤ちゃんの心拍がわかりやすく落ちてしまう。
心拍が落ちたことを知らせるアラームが鳴ると怖くなって必死に深く息をした。

そんなことを繰り返しているうちに、いよいよ最後、
何度も何度も何度も繰り返したここまでのいきみとは明らかに異なり
ずるずるっと赤ちゃんが出てくる感覚があった。
ニュルンっと何かが通った感じがして、足の間から血と羊水にまみれた赤ちゃんが登場した。
22時1分。約24時間の大激闘だった。
出てきた瞬間、感動で涙が出るのかなと思っていたけど、
最初に出た感想は「やっと終わった…」だった。
終わったら全ての痛みから解放されると思ってここまで死ぬ気でいきんできたのに
終わった後も、お股が痛くて、腰が痛くて、寒くて、眠かった。
会陰切開の傷に加えて、避けているところもあったからか
異様に長い間傷を縫われていて、麻酔は効いているものの、妙に痛くて辛かった。

赤ちゃんは出てきたはずなのに、少しの間泣き声が聞こえなかった。
後から聞いたら、自分で臍の緒を掴んだか、産道と頭の間に臍の緒が挟まったかで、心拍が落ちてしまい、時間がかかって羊水を大量に飲み込んでしまったらしい。
機械で羊水を吸い出す音の後にやっと泣き声が聞こえた。めちゃくちゃほっとした。
その後も、小児科の先生も来て、ずっと羊水を吸い出されている音がしていた。泣いているのにガボガボと管を突っ込まれている音がする。
なかなか顔が見れず不安だったが、夫が先に顔を見て「元気だよ」「可愛いよ」と教えてくれて安心した。

やっと赤ちゃんを連れてきてもらって、肌に直接、赤ちゃんを置いてくれた。(早期母児接触というらしい)
ほわりと温かく、うにうにと動いている。生きてる、と思った。
10ヶ月私のお腹の中にいて、さっきまで本当に出てくるかわからなかったものが、私の胸の上で動いている。
本当に、本当に頑張った。私もこの子も。
辛かったし、痛かったけど、会えた。やっと会えた。
産まれた瞬間は出てこなかった涙が、自然と出てきた。

その後も、何度か心拍のアラームのようなものが鳴っていて
不安に思っていたら、看護師さんに「赤ちゃんはね、みんな呼吸が下手くそなの」と教えてもらった。赤子、不器用すぎる。
羊水のこともあるので、赤ちゃんは小児科で入院となったが
こうして、私の人生初出産は概ね無事に終わったのだった。

これからも、娘のことや家族のこと、思ったことなどを時間を見つけて文章にしていこうと思う。
飽き性なのでこれが最初で最後のノートになるかもしれないけど。

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