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十代後半、女性とはじめてお付き合いをして、互いに深く踏み込むので、お互いのこれまで生きてきた人生ががっつり流入し合う。文脈の交感だ。

育ってきた環境で大切にされていた事や、しつけられた事や、生活の知恵。そういったものが、ともに時間を過ごすなかで少しずつ開示されて、影響を与え合う。

今まで知りもしなかった事や、関心も寄せていなかった事に対して、自分自身がひらかれていく。スポンジのように相手を学ぶ。真似ぶ。

離れて過ごしている時に、フと、学んだことや、知りえた知識が身についているのが判る。友人と話すとき、さも前から知っていたかのように、彼女から教わった事をひけらかす。そんな時、「これは大切な人から教わった、ぼくだけが知っている、大切なものごと」のような気がして、たいそう誇らしい。

無論、いい時ばかりではない。関係も変わる。終わりも来る。けれどもそれは寄せては返す波のようなものだ。大きくみたら生命の循環の1つのサイクルのようなものだ。また恋をして、そのつどそのつど作用し合っていく。

「ポスターはこうやって丸めると、小さく丸められるんだよ。」
と、人差し指を筒の中に入れながら、クルクルと丸めていった女性を思い出す。その技はとうの昔に僕の技になった。

今となっては思い出せないくらい、些細な物事から、決定的な出来事まで、すべての縁が堆積して、今のじぶんを形作っているのだ。

今日ふとポスターを丸めながら、その頃の思い出して、笑みがこぼれた。


<了>


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