続・生きる意味って... long ago

前記事と関連してもう少し書きたい。というか書くべきことがあるなと思い
続編を書いてみる。このテーマを考察していくと最後に自分がどうかということを書かないと完成しない気がしている。

「生きる意味って…」という悩みに対しての端的な回答的なものは「人によって違う」「意味というよりも自分がどう納得するか」がポイントだと思う。と前記事でまとめました。

では改めて自分に矢印を向けてみよう。おまえはどうなんだと。何を思って生きているのか、どう生きたいのか。こういうことは改めてじっくり考える時間を取らないと意外と本人もわかっていないものだったりすると思う。ましてや言語化するのは難しい。いろいろ考えていたら今の自分がどのように形成されてきたのかを語らねば、この話にはオチがつかない気がしている。

何故かというと、幼少の頃の育ってきた家庭環境とか死生観によって形成されるところが強いのかな?と自分は思うからだ。大多数の方とは違ったレアな事情があって、今の自分が形成されていると思うからだ。なので本記事では私がどう育ってきて、何を経てここまで来たか。それを書いてみようと思う。全くもって自己満足な自己紹介的な記事になると思うがご勘弁頂きたい。書いていこう。

私の育ってきた環境は母親が熱心なキリスト教信者で親族に牧師がいる。という環境で23歳辺りまでその環境で育った為、人生観とか死生観がキリスト教的な感性で良くも悪くも刷り込まれている。なので前提として基本的な人格形成にはキリスト教概念がインストールされている。

20代前半まではわりと真面目にキリスト教していたので、一般的に言ったらお堅めで真面目に生きようと頑なに生きていた。

今になって振り返って本音を言ってしまうと、いわゆる青春時代は棒に振ってしまった感がある、なにか縛られていた気がしている(笑)別に後悔とかは無いが、もっといろいろやっておけばよかったと思うこともある。でも今が一番若い日なのだから、今からやれば良いとも思ってる。

話が反れたが、40代半ばとなった現在。約6年前に白血病を経験して1年間闘病して、2年半前に離婚し小学生の娘がいて、仕事もいろいろあっての現在。最近人生の岐路に立っているような気がしている。

自分が現状の置かれている状況を整理すると、独り身、娘の養育費を払う立場、仕事に対しても立場・ビジネス・負担的に意欲が薄れてきている。
振り返ってみると、これだけネガティブなことが重なってくるとその直後は必至だからもがいて、もがいて突っ走ってきた。

近年一番のネガティブが起こった時点から2年半位立った。時間がたって落ち着いてきたから、反動もあって若干燃え尽きている感があって、ふと感じる孤独感と人生の折り返しな年齢になったのも相まって、これからの人生をどう生きるかを考えるタイミングが訪れたのかもしれないとも思っている。

前記事で書いたような「生きる意味とは…」みたいなことで悩むことは今まで殆ど経験したことがなく、生きること自体に疑問を持った記憶はない。
でも最近よぎるのは寂しさと虚しさ、いわゆる虚無感に浸食されることがある。仕事もプライベートの趣味等もそこそこ忙しくて充実しているハズなんだが、何故かつまらなく感じてしまうことが増えてきた。今はこの原因を今回は探っている。

ちなみに周りを見渡すと、この「それなりに充実しているのに、虚無感を感じてしまう。」という感覚をもつ人は、実はわりと多いのではないかと最近思っている。

比較にならないかもしれないが、まわりにあれだけチヤホヤされている芸能人でも、自分で人生終わらせてしまう人が居たりする。また例え金銭的には恵まれている富裕層と呼ばれる人たりも、必ずしも幸せに生きているかと言ったらそんなこともないらしい。ちなみにある調査では、ある程度以上の年収を超えてくると幸福度は大きく変わらなくなるそうだ。詰まるところ、お金で幸せになれるわけじゃないのはデータでも見えているということだ。

ともすると、生きることに疑問をもつのは幸福感・充実感が足りないから。言い換えれば「私にとっての幸せを感じる生き甲斐」とはなんなのか。これを詰めていくとその答えが見えてくる気がする。

続く


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