精神病院入院(閉鎖病棟・開放病棟)8日目
閉鎖病棟8日目。2020年9月1日。
転棟と、保護者との意思疎通の大切さ。
同室だった宮田さん(仮名)の病棟移動(転棟)がありました。
宮田さんいわく「開放病棟にいけるかもしれない」と言っていて自分もそれを信じ、自分もそうなるよう期待しました。
しかし後で記するのですがNMさんが移ったのはもう一つの閉鎖病棟の西3でした。
そして、同じく同室だった前島さん(仮名)も病棟移動になりました。こちらも後で判明しますが西3の閉鎖病棟です。
私が入院した埼玉の病院では男性には閉鎖病棟が2つあり、一つ目が東3で、まずここに入院患者は入ります。ここは隔離室と身体拘束できる施設がある病棟です。一般に、東3は入院したての人間と症状の重い人間が入り、30日程度経過したら西3の閉鎖病棟へと移るシステムになっていました。
西3で早ければ2週間ほど、遅ければ数年単位、開放に移るか退院するまで閉じ込められます。
東3は1棟に26人が限度でしたが、西3と西2の開放病棟は倍の52人まで詰め込まれました。
この日の日記には、
・めんぼうはOK、耳かきは駄目
・カチャーシャ、ヘアバンドは駄目
・リップクリームは許可制
・クリアポーチ←親がもってきてくれたのでOK
・トイレの紙を使いすぎと叱られる。
・「面会でもらったじゃないか!」と怒鳴られる。私は面会でそんなことは話していない。つまり患者への偏見がある。クリニカルパス「患者-看護者の関係」ができていない。
と記されています。
入院一週間が過ぎて耳がかゆくなってきたのですが耳かきはNGと伝えられます。めんぼうでは満足にとれず、退院するまで耳かきは我慢しました。
洗顔するのに髪がミドルだったので邪魔になるのでヘアバンドをしたいと申し出ますが却下されます。
看護師が職員が分かっていることを、患者が全て把握している前提で話しが進められます。けっこう傲慢だと思います。
意思疎通の大変さ。
医療保護になるような行いが悪いのだとしても、着の身着のままで入院が決まり、そのまま家に戻ることも許されず、病院のしかも精神病棟という特殊な場所でのルールを当たり前に求められる、初期はこれが苦痛でしたし、両親も精神病棟への入院なんて初めてだったのでお互い大変でした。私の他の人はだいたい市内在住の人で、電話は気兼ねなくできるし、面会にも週1できてくれる、それが羨ましかったです。
私は実家から直線50キロ離れていたし高速を使っても1時間40分かかる距離がありました。両親がもってきた服の中には高価な服もあって「そんなものを持ってこないで欲しい」と思いましたし、私が欲しいものを両親に正確に伝えるのに苦労しました。
スマホが使えないのでテレホンカードに頼るしかないのですが50キロ離れていると市外局番になるのでカードの消費が激しいです。
1000円が25分程度でなくなります。
なにより両親との意思疎通が大切だと思ったので、テレホンカードは常時3枚くらいもっていました。無くなったら封筒で送ってもらいました。
私は絵心が少しあったので、欲しいものはイラスト付きで手紙に書いて、それを封筒に入れ実家に送りました。その大量の封筒が今わたしのてもとには残っています。
別ノートで持ち物について記します。
9日目に続きます。
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