ゆずり、ゆずられること
今日は貧血で足がフラフラする。
そう言えば昨夜の車内アナウンスで「体調が悪い方の救護を行っていますので、しばらく停車します」があったことを思い出す。これは負の連鎖だろうか。いいえ、たまたまだろうと頭を振って両足を踏ん張った。
朝の通勤時間は時間を気にしつつ、車内のほとんどの人がスマホに釘付けになっている。スマホ以外には本を読んでいるか、寝ているかのどちらかでわたしのようにボーっとしている人は見当たらない。
一時的な貧血だから大丈夫、と自分に言い聞かせて横を見ると、優先席近くに80代くらいの高齢の女性が杖を片手に立っていた。
「あれ、誰も気がついてない。それとも、気がついていても譲りたくないのかな。。。」
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女性の足元がおぼつかない様子で体が左右に揺れているのを見ていたら、わたしが体勢を崩してよろめいた。
「あなた大丈夫? あら、顔が真っ青じゃないの。座ったほうがいいわよ」の言葉に周囲がざわざわし始め、優先席に座っていた男性がすっと立ち上がったが途端、「あ、わたしは大丈夫なので」と咄嗟に言ってしまった。
「年寄りに気を遣って、あなたが倒れたら元も子もないじゃないの」
もっともだと思いながら、足が不自由なお年寄りに座っていただくのが第一である。
「それではありがたく」と女性が座って一件落着と思ったら、次の駅で赤いヘルプマークを鞄につけた若い男性が乗ってきた。
先の女性は男性に気がついた途端に席を立ち、「この席にどうぞ」と言い、男性は少し戸惑いながらも「どうも」と一礼しながら着席する。
この流れるような光景はどういうことだろう。
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わたしは優先席という概念に捉われて差し出された親切を断り、逆に心配をかけてしまった。
高齢の人、体が不自由な人、こども、妊婦さんが優先。
前提はそうであるが、その時に必要な人にゆずり、ゆずられればいい。
そして、ゆずられた人はありがたく受けとる。
善意が、厚意が、つながっていく姿を目の当たりにしたわたしは、このような場面に遭遇したら行動しようと心に決めた。
遠い未来ではなく、次に乗車した時から。
貧血はいつの間にか治まって、足取り軽く歩き始める。
書き続ける楽しみを感じています、その想いが伝われば嬉しいです~