できる行動は二択ある
何かしらの出来事に対して、必ず2つの行動があります。
それは仏教用語でいう「対治」と「同治」です。
発熱した時に氷で冷やして熱を下げようとする行為は「対治」です。
逆に発熱した時に毛布に包まり汗をかいて熱を下げる行為は「同治」です。
日頃、皆さんがとっている行動は「対治」が多いのではないでしょうか?
「自分の欠点を無くそうと努力する」
「落ち込んでいる人を応援する」
「害をなくそうと頑張る」
このような行動は、すごく立派で尊敬します。
しかしこのような行動が、必ずしも好転するわけではありません。
「もっと頑張れ」と自分を追い立てている人はたくさんいると思いますが、焦燥感を感じたり、目標に至らないことで自己肯定感が下がったりしていませんか?
辛い時に「頑張れ」と言われて「うるさいな、頑張ってるわ!」と感じたことはないですか?
対治だけでは、どうしても反発が起きてしまいます。
そこで「同治」を意識して欲しいのです。
悲しんでいる友人がいたといます。
その友人に対してあなたは2つの行動をとる事ができます。
対治では「悲しんでも仕方ない、前に進むしかない」と叱咤激励を飛ばします。
同治では「悲しかったね」と寄り添い、一緒になって悲しみます。
自分が悲しんでいる時に、どちらの対応をして欲しいですか?
僕が離婚前で人生のどん底だと感じていた時に、助けられたのはそばにいてくれる友人でした。
アドバイスや励ましは迷惑だと感じていました。
ただ一緒に悲しんでくれて、静かにそばにいてくれた友人に救われました。
常に戦うことばかりでは疲弊してしまいます。
慰めや慈悲が必要な時があるのです。
この2つの考えは孔子と老子に似ていると思います。
孔子は「徳をもって人民を治めるべきだ」とより高みを目指す意識高い系です。
しかし老子は「欲を持たなければ平常心でいられる」と何も持たない方が良いというミニマニスト系です。
どちらも正しく、どちらも必要な時があるのです。
やる気と元気にみなぎっている時は「対治」、弱っていて休息が必要な時は「同治」と使い分けてもいいと思います。
ただ「頑張れ」「努力しろ」と言っている世の中では、同治の方が需要が高い気がします。
慰めは必要です。
まずは自分を慰めて、欠点も失敗も許して、ありのままの自分を受け入れてあげましょう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。