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子どもに「勉強なんて何の役に立つの?」と言われたら?

「ねぇ、この勉強、将来何の役に立つの?」

子どもがいる人は一度くらい、このような質問をされたことがあるのではないでしょうか?

「そんなこと…今は考えなくていいから、とにかく宿題しなさい!」

どう返事をして良いか分からず、親も説得力なし、子どもにとっても納得いかない返事をしていませんか?

でも、私たち大人も子どもの頃、そんな風に疑問に思ったことってあると思うのです。

そして、大人になった今だから分かることがあるんです。

勉強する意義を誰も教えてくれない

私たちは理由も知らされないまま、保育園・幼稚園に入れられ、何の疑問も持たないまま小学校へ進みます。大人のような制服を着せられて、ランドセルを持たせられ、入学式というセレモニーを迎えます。

重たいランドセルから教科書を引っ張り出し、黒板を写し、ある日「はい、テストしますよ!」と有無を言わさず競い合いをさせられます。気がつけばクラスの中で成績カーストが生まれ、先生のエコ贔屓が見え隠れし、悪い点数を取った子は親に「なんでこんな点ばかり取るの?勉強しなさい!」と言われる日々に巻き込まれてしまいます。

勉強をする意義を大人は誰も教えてくれないのに、です。

大好きな野球より、宿題しなさい。
大好きなリカちゃん人形の髪のお手入れの前に、宿題しなさい。
学校から帰ってきてお腹がペコペコ、おやつが食べたいのに、宿題しなさい。
ランドセル置いたらすぐにゲームをつけて、前回セーブしたところから続きをしたいのに、宿題しなさい。

学校でも勉強しているのに、なぜ家でも勉強しなきゃいけないの?
学校で退屈な授業を眠らず頑張って帰ってきたのに、家でも勉強最優先なの!?
なんで、そこまでして勉強しなきゃいけないの!?


心の声(宿題片付ければ好きにさせてくれるし、とりあえず済ますか)

おそらく、あなたの家庭も似たような境遇だったかもしれませんね。

なぜ「勉強なんて役に立つの?」と考えるのか?

大人になって分かったことがあります。
子ども時代の自分を振り返ると「今、目の前にあること」 にばかり目がいってしまうのです。

今、ゲームをしたい!今、友達と遊びたい!今、ポテチが食べたい!
子どもの頃の私にとっては勉強よりも「今、一番やりたいこと」が何より大切でした。

子どもが「一番やりたいこと」を一番にさせてくれない、好きなことをしているだけなのに「ゲームばっかりしてないで勉強しなさい!」と怒られる。

子どもからすると、好きかどうかすらわからずやっていただけの勉強だったはずが、勉強は次第に「自分の好きを邪魔する敵」になってきます。

「私の好きなことを止めてまでさせる勉強、なんか役に立つのかよ!」
「どんなふうに役に立つのか、分かるように説明してよ!」

私は説明できる大人には出会うことなく、大人になった一人です。

私は成績はそれなりには良かった方ですが、決して好きでやっていたわけではありませんでした。また、その子が良い人間かどうかではなく、テストの点数で優劣がつけられることは納得していませんでした。みんな違う人間ですから、先生が行うたった1つの授業のパターンでは理解度に差が出てくるのは当然だからです。

誰も納得のいく答えをくれなかったし、点数システムを作った大人の方が「バカ」なのではないかと思っていた子どもでした。

親になって質問される立場に

そんな私も大人になり、2人の子どもに恵まれました。そして、来るべくしてその日は訪れました。親の登竜門です。

『ねぇ。なんで勉強なんかするの?』
『全然、面白くないんだけど、なんか役に立つの、これ?』

自分が子どもの頃に感じていたことなのに、その日が来るまで忘れているのですよね。
そして、私は情けないことに、初めて息子からこの質問をされた時に答えられませんでした。当時、息子は小学2年生でしたが、それからの成長過程の中でも何度か聞かれることがありました。その都度、

「なんでだろうなぁ。お母さんも同じこと思ったことあるわ」

という返事しかできなかったのです。

息子が小学校4年生になったある日、

『俺、ワーク、もうやらない。授業で間に合ってる。テストで良い点も取れてる。家に帰ってまで勉強して何になるの?』

学校から帰ってくるなり告げられた息子の決意。
私と似て一度決めると自分が納得いく答えが見つかるまではテコでも動かない性格の息子は、ワークを一切やらずにゲームっ子になりました。小学生の頃の自分が言いたかったことを言い放ち、ゲームをする姿はかつての自分のように見えました。そんな息子に私が伝えた言葉は・・・

「うーん、お母さんも未だにその質問に答えられない。アンタがやらないと決めたなら、それでいい」

普通ならここで「学校でやれと言われてるのだからやりなさい!」「いつか役に立つからやりなさい!」というのが親としてのあるべき姿なのかもしれません。
ですが、私は自分が子どもの頃に納得いかない回答を口にはしたくなかったんですね。

先生と「ワーク対決」が勃発

その年、1学期からワークを放棄。入学当時から忘れ物などで学校から電話が来るのはよくありましたが、勉強について電話が来るようになりました。

夏休み前の個別面談で担任の先生とわずか10分の間でこんな話になりました。

『○君の2学期のワークは買いませんよ。1学期、全くやってこなかったですから』

「2学期のワークを買わない場合、2学期にワークが必要になったら、その時には買えるのですか?」

『いえ、買えません』


心の声(うーん…先生も大人気ないな。それじゃ単なる意地悪じゃん。でも、先生を敵に回して喧嘩するのも賢くないしな〜)

「もし、本人がやる気を出した際にワークがなければ困ります。本人がやる気を出した時にワークがない場合、先生はどうしますか?」

『○君がやる気を出すんですか?今までやってないですよ?』

「確かに今まではしていませんし、いつやる気を出すかは親の私にもわかりません。だけど、やる気を出すかもしれません。その時にワークがないと子どもだけじゃなく先生も困りますよね。一緒に信じてもらえませんか?先生。だから、ワークは用意してください」

非常に面白くない顔をされましたが、しぶしぶワーク購入を承知してもらえました。(断れないオファーというやつですね)

その後、息子は1学期のワークを夏休み中に終わらせることを先生から強制されたようで、お盆まで学校に通っていた息子。
2学期に入り、ワークは用意されたものの…「2学期もワークをしませんでした」がこの話のオチです。

※後日談:先日息子に先生とこのようなやりとりがあったことを話したら、驚いて「そうだったのー!?ごめんね!」と謝られたのと同時に、「信じてくれてたんだ、ありがと!」と感謝されました。

勉強する意義は「夢」と密接

5年生となった息子は、どんどん成績が下がり始めていました。相変わらずワークもしない毎日です。ゲームばかりしている日々の中で、時々「まずいな…」と息子も自覚していながらも、習慣が変わることがありませんでした。

しかし、6年生になる春休みのこと。

『俺、勉強やるわ』

「・・・は?どうしたの、急に?」

『だって、俺、小学校の最上級生になるんだよ?小さい子のお手本にならないとカッコ悪いじゃん!』

呆気に取られている私の隣で、春休みの宿題をやり始めた息子を見て「勉強する動機って、そんなもんなの?」と笑いが込み上げてきました。

小手先のやる気アプローチは効かない

私は小学2年生の息子に「なんで勉強をするの?」と聞かれてから「どうしたら勉強へのやる気を引き出せるのだろうか?」と色々考えるようになりました。

また、子どもとのコミュニケーション術も学んでいたので、勉強に向かわせるためのアプローチ方法も色々試したこともあります。

しかし、子どもが小学3年生になった頃、全て捨てました。なぜなら、「小手先のアプローチ」はうちの子どもには通用しなかったからです。

『こんなふうに伝えれば子どもがやる気を出す!』

といったノウハウ本も、教材も役に立ちませんでしたし、子どもは親のそういう薄っぺらな対応の変化を簡単に見抜くからです。

それからの私が子どもたちに対してやっていたことは、超シンプル。
「そのうちやるだろう、必要だと思えば」
と、ただ信じるだけでした。

信じていたからこそ、先生とのワーク対決も頭に来ることもなく、頭を下げるわけでもなく、淡々と交渉できたのだと思います。

勉強が必要な理由があるかどうか?

6年生になった息子は自主的に勉強時間、ゲーム時間を決めるようになりました。
そんな息子に、「なぜ自主的に勉強するようになったのか?」を聞いてみたのです。

『俺ね、夢があるの。TOTO行きたいの。トイレの研究とか開発したいの』
『ということは、頭良くないとダメでしょ?高校で進学校行って、大学出ないとじゃん。今から準備しないと』

そう、息子は「勉強が必要な理由」を見つけたのです。

私はその言葉を聞いて、勉強を始めたことよりも「夢」を見つけてくれたことの方がとても嬉しかったことを覚えています。

小学6年生の息子と、小学6年生時代の私。

大きな違いは「揺るがない夢」があったか、どうか。

夢を否定された瞬間、勉強に無気力になる

少し、私の昔話になります。

私は勉強が好きではありませんでしたが、成績が悪いわけではなく上の下〜中の上をキープしていました。理由は「そこそこ成績が良いと先生に可愛がられたり、要求が通りやすいメリットがある」という子どもながらの勝ちパターンを知っていたからです。とはいえ、中学時代も「何のために勉強するか?」の意義は見つけられませんでした。

だからといって、夢がなかったわけではありません。
三者面談で、

「私、高校行かないで、大阪行きます。お笑いの養成所入りたいです」

と担任と母親を困らせた夢があります。私としては困らせるつもりもなく、真剣だったのですが、

「現実的ではない!後にも先にもそんなこと言う生徒は初めてだ!」

と担任は必死になって私を説得し、母親からは猛反対され断念しました。私は「夢は応援してもらえるもの」だと思ってたのです。
(父親は「俺の子だなぁ!俺もなりたかったんだよな、芸人」と面白がっていましたが、母の猛烈な反対に「高校は出ておけ」となりました)

ただ、15歳の私はこの経験を「夢を追いかけるって、怒られてしまうことなのか」と受け止めてしまったのです。

私は人を笑わせる、笑顔にするということが好きだったのですが、そういった私の思いは大人の世界では認めてもらえないんだな、と自分の軸が折れてしまったような気持ちになりました。

(それなりに勉強をして頑張ってきたのに、夢も追いかけられないなんて、意味ないじゃないか…)

それから、受験もどうでも良くなってしまい、受験勉強も「してるフリ」だけして、近くの高校へ進学しました。

お恥ずかしい話ですが、高校入学直後から何度も中退を考えていました。一番得意な体育の授業すらサボり過ぎ、単位を落として職員会議にかけられたこともあります。

高校を辞めなかったのは吹奏楽部の部長になってしまったからです。(変な責任感だけはあったのです)

大学受験もトロンボーンで音大に行くか、国立の医療短大を目指すかフラフラしており中途半端な勉強をしていました。ギリギリで的を絞った短大も受験当日に雪で電車がストップ!受験に遅れ、頭が真っ白になり、もちろん、結果は惨敗でした(笑)

今、振り返ると「本気なら家出してでも大阪に行けばよかったじゃない」と思うのですが、中学生の私はお金もなく、大阪に知り合いどころか親戚もいなかったので、どうやって夢を叶えれば良いのか思いつきませんでした。

夢は応援されるものだと思っていることも「甘い」のかもしれませんが、当時の私は「大人は子どもの夢を応援してくれるものだ」と信じていたんですよね。

夢がブレなければ勉強意欲もブレない

話は戻って、息子はというと…

「とりあえず、日本にいる以上、勉強できた方が選択肢が広がるよね」

自分が得た知識は、将来、どんな仕事を選ぶか、どんな生き方をするか、という大きな決断をするときに役立つということを本人なりに気がついたようなのです。

中学では成績上位をキープし、順調…だと私も担任の先生も思っていたのですが、高校受験でまさかの不合格となり、滑り止めに受けていた私立高校の普通科に。
(成績が良いことと、受験用の勉強の仕方は別物だということを学びました)

さすがの私も息子が不登校になるかもしれない覚悟をしましたが、「俺は結果を受け入れる、大丈夫」と最初の1年間はカラ元気で通学していました。
2年次で理系クラスへと進み、同じような境遇の友達と出会って、自分の「夢」を思い出し、そこから挽回し始めました。

家の事情もあり「指定校推薦はナシ、国立一択で」という条件を出し、高校3年・2学期から息子人生初の塾通いもし、先生たちの協力も得て、今は某大学の工学部で「目指せ、TOTO!」を掲げています。

また、大学合格後に息子が親の私が想像していなかったことを言っていました。

「俺さ、母校の希望になれたと思う?高校受験に失敗してこの高校に来たけどさ、<諦めなかったら遠回りしてでも夢に近づけるんだぜ>って同じ境遇でこの高校に来た子達の希望になれたら嬉しい。先生とかもいい人ばっかだったし、恩返しになってたらいいな」

この時も親としては息子が大学合格した嬉しさより、息子のこの言葉に強く感動したことを覚えています。

勉強は嫌いだけど、学習は好きだった

大人だって、子どもの頃は「勉強なんてつまらない」と思ったことがありますよね。だけど、学習は好きだったはずなのです。

自分が興味があるものなら、四六時中見ていたかったですよね?
自分の大好きなものについては知識を貪欲に集めていたはずです。

「自分の興味と一見関係がないように見える勉強」だから、好きではなかったのかもしれません。

でも、大人になって仕事をしていく中で、勉強が無駄ではなかったことに気づく瞬間があります。

例えば、新しい仕事に挑戦するとき、学生時代に学んだことが役に立つことがあります。

「うわ!学生の時はさっぱり意味わからなかったけど、勉強しておいてよかった!」

と理解ゼロの丸暗記ですら役に立つ時があります。
難しい問題を解決するために、過去の経験や知識を活かす場面というのがあるのです。問題の解決は知識の掛け算ですからね。知っていることが少ないよりは、多い方が掛け算がたくさんできます。私たちも生活のどこかで掛け算をして、学生の頃の「知らないよりは知っていて良かったこと」を活かしているのです。

大人になると興味の対象も変わってきますし、仕事を通して知識の追究が始まることもあります。

子どもから「勉強なんて役に立つの?」と聞かれた時に、

「いつか役に立つ!」
「大人になればわかる!」

ではなく、自分の体験と共に伝えてあげることが一番伝わりやすいのではないでしょうか?

少なくとも息子はそれができる子に育ったなと思いますし、今の私なら質問に答えられます。大嫌いだった物理が、今この年齢になって仕事の理解を深める基本的な知識になっていることに気がつけたからです。

子どもに勉強させる前に、大事な3つのこと

これまでお伝えしてきたのは、私と息子の経験ベースの話でしかありませんが、「夢」を一緒に育てるということがとても大切なことのように思います。

勉強をさせよう!と怒ったところで、勉強しない子はしません。
私から伝えたいのは、

・勉強させる前に、子どもの夢を親が一緒に見ること
・勉強は敵だと思わせないこと
・勉強は苦しい、という洗脳をしない

ということです。

子どもであろうと、大人であろうと「勉強と自分の将来」を繋げたいと考えたら自発的に情報を取得するようになります。(正確には、それは勉強ではなく「学習」なのですけどね)

子どもの夢を否定して勉強をさせたら、親が勉強を子どもの敵にしてしまっているのです。

「お母さんだって、嫌いだけど頑張って勉強したの!だから、あなたも我慢して勉強しなさい!」

と伝えれば勉強は苦しいものだと強力な洗脳をすることになります。

育てるべきは夢と、学習意欲。
自分の大好きなものに親が一緒に興味を持ってくれたなら、もっと調べてもっと親に教えてあげたい!という意欲が子どもの中で育ちます。
自分が学んだことが誰かを喜ばせたり、役に立つことは嬉しいと感じるものです。

自分が描いている夢を親が信じてくれているなら、その姿を見せたい!と実現するために必要な知識や技能は何か?と調べ、自ら勉強して習得するようにもなるでしょう。

子どもの夢を引き出すチャンスを見逃すな

勉強は、ただ単にテストでいい点を取るためだけのものではありません。

将来の夢を実現するための「ステップ」なのです。
梯子みたいなものです。
ただ、その梯子をどこにかけるか?を親が決めてはいけないと思っています。

「勉強させて、良い成績が取れれば良い!」

だけでは、いつか子どもは力尽きてしまいます。
夢という原動力がない状態で、勉強の意義は見出せません。

「なんのために勉強するの?勉強なんて役に立つの?」

という質問は、

お子さんの「夢」が何なのか?
引き出す絶好のチャンスでもあるのです!

一生の原動力を、お子さんから引き出せるかもしれないのです!

もし、
「子どもの夢を応援したい」
と心からあなたが願っている親であるなら、お子さんから夢を引き出してあげることに徹してください。

お子さん自身が安心して夢を追いかけて良いとわかれば、「勉強しなさい」なんて言葉を親は2度という必要がなくなりますよ。

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