小さな空き箱たち
小さな空き箱
ぼくは小さい頃からものを捨てるということが苦手でした
お菓子が入っていた小さな空き箱や、壊れてしまったおもちゃ、役目は終えて使うことはなくなったもの
邪魔だと言われ、捨てて片付けてしまえばいいものかもしれないけど、かたちや素材が気に入っていたり、工作の材料として取っておいたり、たくさん遊んだ想い出があったりで、頭では分かっていても、なかなか捨てる踏ん切りがつかない
妻は「別れを告げるところまでが大切にするということ」素敵なことを言ってくれますが、それでも今も苦戦しています
僕は空き家を所有した経験はないけど、すごく軽い気持ちで捉えると、僕が小さな空き箱たちに抱いてた気持ちは、空き家に対して大家さんが抱いている感情と少し似ている部分もあるのかなと思っています。
本当の意味で共感できなくても自分の中で似た感情を探して、少しでもその人と僕の気持ちが繋げられるように。
なんとかしたい空き家
僕は現在、住んでいるまちの建設会社に勤めています。
そこには、「空き家になっている実家をどうにかしたい」という相談が届きます
最初から解体したいとおっしゃる方もいますが、そんな方でもお話を聞く中で感じるのが、やっぱりその家を大切にしたいという気持ちです。
その家はもう誰も住んでいなくて、ご自身たちも別な場所に所帯を構えていて、帰ってくる予定もない状態がほとんどです。
それでも、なんとかして”続かせたい“と。
それもそのはずです、生まれ育ち、自分の親たちが生涯のほとんどを過ごした大切な場所です。
今回、THEDDO.を立ち上げるきっかけのひとつとなった福留家もそんな空き家のひとつです。
ご先祖代々続く、築120年ほどの瓦屋根で平屋の家です。
離れて暮らしていたお父さんが亡くなり、空き家になってしまった実家をなんとかしたいと相談してくれたのが、去年の春頃でした
ぼくも、何度かみんなやお父さんと一緒にお酒を飲んだ思い出があったり、
空き家となってしまったけれど、お父さんが過ごした気配が残る家をできるなら残したいという気持ちに応えたいと思い、足を運ぶようになりました
家の状態は、決していいとは言えなくても、お父さんがここで余生を過ごした場所で、
その気配を感じると、同じように“なんとかして続かせたい”という気持ちになります
何人かでちょこちょこ足を運びながら、草を払ったり、竹を切ったり、荷物を片付けたりしていく中で、一緒に汗をかきながら僕たちにとって少しずつ想い出が増えていってます
ちょっとした活動によって想い出が共有され、その家を大切に思う人が家族以外にも広がっていけたら
なんか暖かい感じがしていいなと思います
空き家になってしばらく経った家を、なんとか続く状態に持っていくためには、お金も時間も労力もかかるものです。
それでも、そこで誰かが暮らし、生き抜いた想い出の場所をどんなかたちであれ残したり、続かせることは、
本当の意味では本人たちしか感じられない価値だとしても、それに値するものだと思います
家の生き死に
人の生き死にと同じように建てた建物もいずれは寿命がくるものです
その別れの時には、送りだす人が、嬉しさや一瞬でも笑顔になれる手助けは、建てることを仕事としている僕たちにとっては、同じくらい大切な仕事なのかもしれません
改修して新たな役割を担うことで続いていく家もあるだろうけど、改修して続かせることが難しい家、解体して別れを告げないといけない家ももちろんあると思います。
どんな選択肢においても、人と家と幸せな関係が続くようなことができたら
空き家との向き合い方に困っていたり決断できずに苦しんでいる人の助けになると思っています。
なんとかすっど
空き家に関わったりする中で、
空き家と向き合う人が、色んな感情が渦巻き悶々とする中で、少しでも気持ちが軽くなったり、
泣きたい気持ちもあるけれど、笑顔にもなれたりする瞬間をつくることは、
家が建った時と同じようにつくりたい瞬間と思うようになりました。
「空き家から地域課題を解決する。」
クリエイティブディレクターの田中淳一さんが、僕たちや、地域課題に取り組んでいる人たち、そしてそこで暮らす人たちのために書いてくれた言葉です。
暮らしていく中で、嬉しいことも悲しいことも、出会いも別れも、複雑でいろんなことが起きると思います。地域課題も複雑にいろんなことが絡み合っています。
空き家をただ課題として捉えるだけでなく、もう少し広く暮らしの中の一部と捉え、暮らしに寄り添うような活動ができたらと思っています。
僕が幼い頃大切にしていた、大小、素材もさまざまで、何か使えそうだと思わせてくれる魅力があった、小さな空き箱たちのように、そこで誰かが暮らしていた跡に満ちた空き家たちとその家を大切に思う人たちを大切にできるように。