日本人の英語に厳しすぎる「身内の潰し合い」
英語学習に関して、日本人が一番日本人の英語に厳しいという現象は、永遠のテーマかもしれません。実際、誹謗中傷や批判に苦しむ人も多く、それが原因でSNSを辞める人もいると聞きます。
しかし、このような状況の背後には、日本人特有のメンタリティが大きく影響していると感じます。
「出る杭を叩く」というのは、日本社会に深く根付いた価値観です。誰かが目立ったり、少しでも周りと違ったりすると、そこに批判の矛先が向けられます。
特に英語が得意な人に対しては、そのコンプレックスから批判や嘲笑が生まれることが多いです。
他国の人々であれば、「この人はすごい、自分も頑張ろう」という前向きな反応が一般的かもしれませんが、日本では「優れた英語力」がしばしば嫉妬やネガティブな反応を引き起こします。
英語力の優劣が、しばしば人間の優劣と結びついて語られるのは不思議なことです。言葉に個人が紐づいているからこそ、その人のバックグラウンドや努力を知らずに、ただ発音や文法を批判するのはナンセンスだと思います。
言葉はその人の人格や考え方を反映するものです。だからこそ、言語をきっかけに他人を批判する行為には何の意義も感じません。
たとえば、発音や文法の違いを指摘する人の多くが、「正しい発音とは何か?」「自然な英語とは何か?」という根本的な問いに対して明確な答えを持っていないことが多いです。英語は世界中で話されている言語ですから、発音や表現に差異があるのは当然です。地域ごとに異なるアクセントや使われる語彙は、言語の多様性を示すものであり、誰かの英語を嘲笑する理由にはなりません。
こうした状況下で僕が提案したいのは、「過去の自分より成長できているか」に目を向けるということです。他人を基準に自分を判断するのではなく、過去の自分と比較して成長を感じられるかどうかが、真の学びの指標です。他人はあくまで参考に過ぎません。他人の英語力や発音を批判するよりも、自分がどれだけ成長しているかを見つめ直すことで、学びの本質に近づけるはずです。
僕たちが目指すべきなのは、お互いの努力を尊重し、英語を学ぶ喜びを分かち合うことです。英語を学ぶプロセスは、それ自体が大きな挑戦です。
その中で、批判や嘲笑ではなく、他者の学びを支える環境を作っていくことが、これからの日本の英語学習にとって重要なステップだと思います。