写真というフェチズムを発揮した落合陽一の「質量への憧憬」
落合陽一さんの「質量への憧憬」展へ行ってきました。結論から言うと、言葉にするのは野暮、です。ブルース・リーではないけれど、"Don't think. Feel." という感じ。写真や作品を心と体で感じようよ、と言いたいです。
そもそも、「憧憬」という言葉をご存知ですか? ぼくは知らず、ネットで検索しました。デジタル大辞泉には次のように書いてあります。
[名](スル)《慣用読みで「どうけい」とも》あこがれること。あこがれの気持ち。
そう、落合陽一さんは「質量にあこがれの気持ちを抱いている」ことがわかります。確かに、個々の展示に対しての説明で、質量があるものに対してリスペクトしている感じが伝わってきました。展示の説明の中に次のような一節があります。
きっと今の時点での僕はここに右脳で捉えたい世界があって、それは質量とデータの間にあるある種のノスタルジアなのだ。憧憬でもある。
そう、落合陽一さんの展示を読み解くヒントはここにあると思っています。展示にはたくさんの写真が散りばめられていました。世界を捉えたいからこそ、写真を撮っている。切り取り方の一つが写真なのでしょう。
落合さんは写真を撮ることが好きだとご自身でおっしゃっていますが、今回の展示を見て、次の一節を思い出しました。著書『超AI時代の生存戦略』の中で次のように語っています。
「趣味性」は、生まれ持った肉体にひもづいたフェチズムのことだと僕は考えている。それは自分が拭い去れない、個性の裏返しだ。物理的なハードウェアや幼少の環境に起因している。
写真は生き方。写真は個性。ぼくは展示を見ながら、「こんな風に世界を見ているんだ」「こんなところを切り取りたいんだ」と落合さんの生き様を見せつけられた気がしています。写真という好きなことで価値を見出すのは、落合さんの提唱する「ワークアズライフ」そのものです。好きなことを価値に変えて生きていきたいと思わせてくれる素晴らしい展示でした。
最初に申し上げたように、ぜひ肌で感じてほしいと思っています。もしそれが難しい方は Twitter や Instagram で検索をすると、いろいろな写真が出てくるので、そこから落合陽一の生き様を感じ取ってほしいと思います。
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渡邉 淳/ぽるぽる(英語学習コンシェルジュ)
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