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2017年3月 青春18きっぷの旅5日目前編(三江線)

2017年3月に実施した青春18きっぷの旅。5日目はいよいよ最終日です。
今回は三次から翌年に廃止を控えたJR三江線に乗車しました。
よほど馴染みのある路線や車両しか葬式鉄というものはしないのですが、今回は100キロを越える路線が廃止されてしまうので、どんな路線なのかこの目で見て確認してみたかったので乗ることにしました。

三次→口羽

三江線は5:38の次は10:02の列車なので、この日も始発から動き出します。三次の三と江津の江で三江線ですね。

山陰本線直通の浜田行です
駅では千葉県のPR
広島から千葉へJRを利用していく人はどの程度いるのか
時刻表
安定のキハ120

車内は予想以上に混雑していましたが、ほぼ全員が同業者さんのようでした。皆さん考えていることは同じですね。

5:38発 三次 三江線 422D
霧の街三次を出発します。

三江線は終点まで江の川に沿って走っていました
朝霧の中国山地を進みます

線形の悪い路線を一時間ほど走り口羽駅(6:35)に到着しました。
ここでは浜原を5:56に出発した三次行と交換しました。

対向列車

この口羽駅ではなんと28分も停車しました。
この先の浜原での行き違いに合わせてダイヤが設定されていたようです。
列車を降りて駅を撮影しました。

石州瓦の素敵な駅舎
昼間の三次方面が無いです、、。
何とも言えません
中国山地の静かな山あいにディーゼルエンジンの音だけが響いていました

口羽→石見川本

口羽から浜原までは昭和50年の最後に開通した区間です。
開通するまでは口羽から南は三江南線、浜原から北は三江北線と呼ばれていたそうです。
昭和の後半に開通した区間は線形が良い高規格路線のため、列車はそれまでの鬱憤を晴らすかのようにかっ飛ばして走ります。

7:03発 口羽

川と山は鉄橋とトンネルで貫いていきます
線路はまっすぐ(伊賀和志駅にて)

列車は地上からの高さが日本一であった宇都井駅に到着。

地上からの高さは約20メートル
実に美しい集落です
もちろんエレベーターは無く、列車を利用する場合は階段を上らなければなりませんでした。

廃線になった後も時々イベントが行われているそうです。
しまね観光ナビのサイトを貼っておきます。
https://www.kankou-shimane.com/destination/21967

川を離れて走る区間もあるため、少し違った景色も楽しめました。
急に天気が良くなりました
半世紀も使われずに廃線となってしまった区間
時代の流れが早すぎたのでしょうか

現在この最終開通区間の一部区間では、廃線跡のトロッコ運行イベントなど行われているようです。地域の新しい魅力として生まれ変わったので、廃線も考え方によってはプラスにとらえなければいけませんね。

7:42 列車は浜原に到着しました。

江津を5:53に出発した三次行と行き違い

浜原は1分ほどで発車しました。

列車は再び川に沿ってそろそろと進んでいきます
美しい石州瓦はやはり普通の瓦よりお値段が高いそうです
難読駅名シリーズ

浜原から40分ほどで三江線の主要駅である石見川本に到着しました。
8:22着 石見川本

石見川本→江津

石見川本は大きめの病院や高校がある地域の中心地です。
こういう地域の路線に朝乗ると必ず学生さんの姿を見るのですが、三江線では地元住民はおろか、学生さんですら乗っておらず、鉄道マニア貸切列車になっていた記憶があります。(3月17日平日だったので、春休みには入っていなかったと思います。)陰陽連絡線として建設された三江線ですが、線形が悪くスピードが出せない、沿線人口も少なすぎることが廃止の原因でした。むしろこの状況で今までよく存続させていたと感じました。

日本の農村から都市部への人口流出については、地域によってその形態は異なります。高度成長期以降西日本では「挙家離村」と呼ばれる形での都市部への人口減少流出が東北地方などと比べ多かったとされています。挙家離村とはその名の通り、農地や山、家を手放し一家総出で都市部へ転居することを言います。日本人は先祖代々の土地を手放さない傾向が強く、都市部へ向かうのは子供世代だけで、将来的には地元へ戻る傾向があります。しかし、挙家離村をしてしまうとご先祖様のお墓参りに訪れるだけとなってしまい、地域の人口が右肩下がりで回復要素が少ない状況となってしまいます。
※家を手放さないで空き家の状態になっているケースもあると思います。
中国山地の山あいは挙家離村が多い傾向にあると聞いたことがあり、木次線や芸備線などの中国山地のローカル線が近年非常に厳しい状況にあるのもこのことが理由の一つかもしれません。

石見川本駅は江の川の堤防より低い位置にありました。
ここから江津までは昭和9年に開通した区間なので堤防は鉄道よりも後に作られたのでしょうね

8:23発 石見川本

戦前に開通した区間は土砂崩れや倒木などによる事故を防ぐため本当にゆっくり走ります
春は素敵な桜が咲く因原駅
江の川が氾濫しそうになると、この堤防の水門を閉じて運休にしていたのだと思います。
まるで城に入っていく感覚でした
気が付けば天気もまた良くなりました
川越と名乗る駅は「川越」「西川越」「川越市」「本川越」「川越富洲原(近鉄線)」
江の川の河口が見えてくると間もなく三江線の旅も終わります

9:31着 江津

乗ってきた列車はそのまま浜田へ向けて走り去っていきました

三次からの同業者さんは石見川本で僅かに下車されたような記憶がありますが、ほぼ全員江津まで乗り通しされていたと思います。
約110キロを約4時間かけて走るので、時速25キロ程度ですね。
全線開通前から廃線候補に上がっていた三江線。末期には輸送密度JR線内で最下位を連発して廃線になりました。青春18きっぷで乗車しても三江線などのローカル線の業績は上がりませんが、旅行者が下手に通常の切符で乗車しても廃線の判断が難しくなるだけかもしれません。地域交通の問題は当事者でなければあまり語ってはいけないと感じた旅になりました。

※青春18きっぷの売り上げは各JR路線の営業キロで按分するそうです。また、発売した場所のJRに少し手数料も行くそうです。青春18きっぷで北海道に行かなくても、JR北海道を支援することができます。

江津→出雲市

2日目に通過した江津にまた戻ってきました。
せっかくまた山陰までやってきたので、出雲など少し寄り道してから帰ります。山陰本線で出雲市へ向かいます。

9:35発 江津 形式不明(おそらくキハ120)

山陰は「陰」などではないと思います
太田市駅の跨線橋は古いそうです

跨線橋のいい写真が無かったので紹介されているサイトを貼っておきます。

11:09着 出雲市

後編では一畑電車に乗車します。

読んでいただきありがとうございました。

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