2017年6月 川崎鶴見エリア鉄道散策
今回は川崎・鶴見臨港エリアを鉄道でふらっと散策した時の記録です。
京急大師線
初めに京急川崎駅から京急大師線に乗車しました。
京急大師線は1899年(明治32年)に関東で初めて電車が走った歴史ある路線であり、鉄道敷設の目的はもちろん川崎大師への参拝客を運ぶためでした。
今でこそ専用軌道で終点の小島新田側は他の鉄道に接続しない鉄道路線ですが、昔は路面電車で大師から先も海岸電気軌道線へ乗り入れ(後に鶴見臨港鐵道軌道線となる)、鶴見まで線路がつながっていた時代がありましたが、並行して建設された現在のJR鶴見線の旅客化や産業道路の整備等で昭和12年に大師から先は廃止されました。大東亜戦争時は工場地帯への労働者輸送を目的に廃線部分の一部復活や延伸先で戦中に整備された川崎市電と接続するなどした時期もありましたが、1964年に小島新田駅付近での貨物操車場設置の影響で、京急大師線は現在の路線になり、川崎市電は廃止されました。
古地図はこのサイト(今昔マップ)で手軽に見ることができます。
川崎大師
大師線で小島新田まで行った後は折り返して川崎大師駅で下車し、鉄道建設の目的になった川崎大師を参拝しました。
川崎大師(平間寺)の御本尊は弘法大師(空海)様です。
平間兼乗という方が海で大師様の木像を引き揚げてこの地で供養したことが川崎大師のおこりで、そのためかお堂は海側(東側)を向いて建っており、山門も東側にあります。一方で川崎大師駅は境内の西側にあるため、回り込むように参道が整備されています。
浜川崎駅(鶴見線・南武支線)
川崎大師参拝後は京急線・JR南武支線に乗りJR鶴見線方面へ向かいました。
川崎大師→京急川崎→八丁畷→浜川崎
浜川崎駅は大回り乗車時に駅の外に出ることができることが有名です。
南武支線と鶴見線のホームは離れているため、乗り換える際は道路を渡る必要があります。1918年(大正7年)に貨物駅として開業したことが始まりです。
猫だらけの扇町駅
JR鶴見線は鶴見駅を起点に扇町までの本線?と途中で分岐する海芝浦支線と大川支線の3路線から成ります。もともとは鶴見臨港鐵道という私鉄線でしたが、大東亜戦争時に国有化されました。戦後に路線返還を求めたものの実現しなかったそうです。なお、鉄道が買収された後も不動産業などで会社は存続しており、2019年3月末まで鶴見臨港鉄道という会社名が残っていたそうです。
扇町駅は鶴見から見て2つの支線が分岐し終わった本線の末端区間となり、浜川崎からは昭和、扇町と2駅で到着しました。駅には猫がたくさんいました。
時が止まっている国道駅
折り返しの鶴見行に乗車し、国道駅へ向かいました。
国道駅はその名前のとおり第一京浜(国道15号)にあり、鶴見駅へ向けて鶴見川、第一京浜、東海道線を越えるための高架橋の途中にある駅で、1930年(昭和5年)に旅客営業を開始した当時の美しいアーチを描く戦前のコンクリートや鉄骨構造物が現役です。
京浜工業地帯の父 浅野駅
国道駅散策後は有名な海芝浦駅へ向かために工業地帯方面へ戻ります。
ひとまず扇町行に乗車し、海芝浦支線が分岐する浅野駅で下車しました。
浅野駅は、京浜工業地帯の埋め立て事業に着手し、鶴見臨港鉄道の創始者でセメント王(浅野セメント)と呼ばれた浅野総一郎が駅名の由来となっています。海芝浦支線は駅の手前で分岐し、それぞれの路線にホームがあります。
富山地方鉄道の寺田駅のようなホーム配置になっています。
海芝浦駅
海芝浦駅は説明不要な超有名駅です。(関東の駅百選)
浅野からは途中に新芝浦駅があるだけですぐに到着します。
駅の外は東芝の私有地となっており、観光客は隣接する海芝公園(こちらも東芝の敷地)を散策することだけが許されています。
この後は鶴見駅に戻り散策を終了しました。
鶴見線の鶴見駅自体もレトロでとてもいい雰囲気なのですが、人が多いため写真撮影は控えたのだと思います。また、大川支線は本数が少ないので今回は乗車できませんでした。
今回は行っていませんが、鶴見には総持寺もありますので、川崎鶴見エリアで一日楽しめると思います。
読んでいただきありがとうございました。