N国党スラップ訴訟の事例
千葉地裁松戸支部判決令和元年9月19日(判時2437号78頁)
*評釈として、加藤雅之・民事判例21-2020年前期102頁、須加憲子・私法判例リマークス62号58頁がある。
1.事実の概要
平成30年6月の東京都立川市議会議員選挙に、NHKから国民を守る党(N国)所属候補者として立候補し当選したXは、インターネット上に各地の選挙活動に関するブログ等を掲載しているフリージャーナリストYに対して、インターネットの記事で名誉を傷つけられたとして、慰謝料200万円の支払いを求めて訴えを提起した。Xが問題にしたのは、平成30年6月にネットに公開された「Xが立川市にほぼ居住実態がない」とするYの記事である。
これに対しYは、「スラップ(嫌がらせ)訴訟だ」として、慰謝料50万円、弁護士費用約60万円の合計120万円余りの賠償を求めて反訴を提起した。
2.判決
本訴棄却・反訴一部認容(弁護士費用ほぼ全額、慰謝料10万円)
◇本訴・判決理由
「本件記述は、Xを指すものと容易に特定できる記述で、立川市議会議員としての被選挙権に疑義が生じることとなる内容であり、Xの公職選挙法に基づく被選挙権の要件に係る事情に関わるものとして、Xの社会的評価を低下させる事実を摘示したものといえる。」
「ただし、Yが、Xの公職選挙法における被選挙権の要件に係る事実を摘示することは、公共の利害に関する事実であり、専ら公益を図る目的によるものと認めるから、本件記述が真実であれば、Yの違法性は阻却され、あるいは、本件記述が真実であるものと信じたことについて相当な理由が認められる場合には、Yの故意過失が阻却され、不法行為は成立しない。」
「・・・・・・そうすると、本件記述の真実性の立証を待つまでもなく、Yが、本件記述を公開した当時、Xに立川市における居住実態がほとんどないと認識したことには相当な理由があったものと認め、Yには故意過失は認められず、不法行為の成立を認めることはできない。」
◇反訴・判決理由
「民事訴訟の訴え提起が相手方に対する違法な行為といえるには、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」
「これを本件についてみるに、前記認定のとおり、①Xは、○○区のマンションでの動画の作成を継続し、自ら○○区のマンションに居住していることをうかがわせる発言も動画上繰り返していたこと、その際、Xは、自らが公開した動画上において、視聴者から立川市における居住実態があるのか尋ねる内容を書き込まれていること、②Xは、本訴請求において、立川市での居住実態を裏付ける資料として住民票以上のものは提出せず、Yからの求釈明に対しても応答しなかったこと、③Xは、一貫して訴訟遂行に意欲的ではなく、第三回口頭弁論期日の後には、本件放棄書を提出したりしたこと、④Xによる本件放棄書提出の直後には、N党代表が、本訴請求は、スラップ訴訟であり、Yに経済的ダメージを与える訴訟である趣旨を、覆面をしたXに説明する動画を公開していることなどの事情によれば、Xは、Yが、少なくとも、本件記述を真実と信じたことについて相当な理由があることを知りながら、又は容易に知り得たにもかかわらず、あえて本訴を提起したもので、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認めざるを得ず、Yに対する不法行為を構成するというべきである。」
3.本判決のチェックポイント
(1) スラップ訴訟とは
名誉毀損訴訟に名を借りて、批判的な立場をとる否とを黙らせようとして提起される戦略的訴訟をいい、アメリカでの、”SLAPP(strategic lawsuit against public participation)”「公的参加を妨げるための戦略的訴訟」の日本版である*。
*松井茂紀・メディア法判例百選158頁。
わが国でも、被告が行った原告に対する批判的言論について、原告が名誉毀損訴訟を提起するという事例が頻発しており、本件は、そのような事例の1つである。
(2) スラップ訴訟への法的対応
DHCからのスラップ訴訟で被告となった澤藤弁護士が全面勝訴を勝ち取るまでの記録として、澤藤統一郎『DHCスラップ訴訟 スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利』6頁[日本評論社、2022年8月]が公刊されている。同書には、「スラップ訴訟」の主たる目的が、被告の言論を萎縮させようとする意図をもって行われるもので、訴訟が敗訴に終わっても、訴訟の提起自体で目的を達したことになる、との指摘があり、訴訟本来の目的と相反する意図を持つものであることは疑いない。
名誉毀損訴訟を提起された被告側の対応としては、通例、その言論が真実であれば「真実性・真実相当性の法理」を、論評であれば「公正な論評の法理」を主張して争うことになるが、その立証負担は大きい。
そのため、スラップ訴訟は、批判的言論を躊躇させるという意味で、表現の自由に対する弊害も大きいことは、広く指摘されているところである。
そこで、被告側は原告に対し、「不当提訴」として、不法行為責任を問題にすることが考えられる(名誉毀損訴訟の反訴として行われる場合が多い)。名誉毀損訴訟の提起が、「訴訟にかかわらしめられないという法律生活の平穏ないし自由」を侵害として違法性を有し、応訴を強いられ、これに伴い様々な経済的・精神的負担を負うことを損害として構成することになる。
具体的に、応訴の負担が不当であるとされるのはどのような場合か、その判断をどうするかが問題になる。これについて、スラップ訴訟の事例ではないが、最高裁は、「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるとき」(最三小判昭63・1・26民集42・1・1)に違法性があるとする。スラップ訴訟の裁判例においても、現在のところ、この判断基準が踏襲されている*。
*以上については、法学セミナー2016年10月号「特集・スラップ訴訟」などで、詳しく検討されている。
(3) スラップ訴訟の問題点
本判決は、昭和63年の最高裁判例に準拠し、結論として、訴えの提起が「著しく相当性を欠く」とする。そして、「本件記述の真実性の立証を待つまでもなく」とした上、反訴・判決理由④で認定された「スラップ目的」を根拠に、原告の不法行為責任を認める。Xの「スラップ目的」が、非常に分かりやすい形で認められており、本件記述の真実性について判断するまでもなかったのであろう。
しかし、このように「スラップ目的」が容易に認定されるのは例外的な事例と考えるべきだろう。つまり、本判決の論理を一般化することには慎重でなければならないと思われる。
そうすると、表現者としては、「真実性・真実相当性の法理」に堪えうる表現、「公正な論評の法理」が主張できるだけの論評に留意すべきであり、これをもって正当性を主張するほかないのではないか。いずれにせよ、応訴の負担が大きいことは事実であろう。
損害賠償額については、本判決の控訴審・東京高判令和2・3・4(判例集未登載)も、本判決と同様に、弁護士費用と慰謝料10万円が認容された。応訴の負担が被侵害利益とされ、弁護士費用が認められるのは当然として、きわめて低い金額の慰謝料しか認められていない。10万円では、スラップ訴訟の抑止効果は期待できないばかりか、十分な救済といえるか疑わしい*。
*前記・法学セミナー特集においても、全般的にスラップ訴訟の慰謝料額が低額であるとの指摘がある。
このように、スラップ訴訟を提訴されると、応訴の負担、また、これに伴う金銭的負担の救済は勝訴しても填補されないものと覚悟しなければならないだろう。そうすると、実際問題として、相手方からの訴訟提起の威嚇があれば、その時点で撤退して、スラップ訴訟を回避するケースも少なくないといわれている。
しかし、民主主義社会の健全性維持のためには、批判的言論の有用性も積極的に肯定しなければならず、そのためには、スラップされた側への公共のバックアップを充実させること、また、表現の自由の観点からスラップ訴訟の提起自体を規制する立法の策定も考えられ*、このような観点からの議論の進化が望まれる。
*前記澤藤220頁所収の光前幸一弁護士の解説、法学セミナー特集でもその必要性が主張されている。