見出し画像

破産手続開始の申立てから1年以上前に行った弁済と偏頗行為否認

札幌地判令和3.7.15裁判所Web
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=91283

1.裁判の概要

 歯科医であるAは、北海道千歳市内の土地建物を購入し、サービス付き高齢者住宅の運営および介護事業を行うことを計画して、Y銀行から融資を受け、担保として、Aが所有する不動産に根抵当権を設定した。本件不動産は、高齢者向け施設として、Aが代表を務める株式会社Bが運営する介護事業に用いられていた。
 その後、この事業はうまくいかなくなり、AおよびBの債務整理を委任されたC弁護士は、平成26年10月17日、根抵当権者であるY銀行に対して受任通知をし(Aの支払停止)、本件不動産の売却代金からAの破産手続申立費用等を控除した金額を一部弁済することとし、平成27年10月26日、Y銀行が本件根抵当権を放棄して、Aから37,837,832円の弁済を受領した。
 さらに、Aは、本件不動産にかけられていた住居建物総合保険を解約した上で、平成28年10月13日、Y銀行にその解約返戻金436,350円を弁済した(以下「本件弁済」。これが問題になった。)。
 Aは、平成30年12月27日、C弁護士が代理して破産手続の開始を申し立て、令和元年12月25日に破産手続開始決定を受けた。破産管財人に選任されたXが、Y銀行に対し、Aが平成28年10月13日にY銀行に対してした「本件弁済」は、支払不能後の弁済であるとして、破産法162条1項1号イ(偏頗行為否認)に基づき否認権を行使し、弁済金436,350円とこれに対する平成28年10月13日から支払済みまでの利息の支払を求めて訴えを提起した。

*破産法162条1項1号イ
 次に掲げる行為(既存の債務についてされた担保の供与又は債務の消滅に関する行為に限る。)は、破産手続開始後、破産財団のために否認することができる。
 一 破産者が支払不能になった後又は破産手続開始の申立てがあった後にした行為。ただし、債権者が、その行為の当時、次のイ又はロに掲げる区分に応じ、それぞれ当該イ又はロに定める事実を知っていた場合に限る。
 イ 当該行為が支払不能になった後にされたものである場合 支払不能であったこと又は支払の停止があったこと。

これに対して、Y銀行は、破産法166条は、受益者を不安定な地位に置くのを1年間に制限した規定であると解されるから、支払不能を知った場合、あるいは支払不能の後にされたことを理由とする場合についても、同条の類推適用がされて然るべきであり、このように解さなければ、相殺禁止について定めた破産法71条2項3号および72条2項3号との平仄を欠くこととなり、不当である、と主張した。

 *破産法166条 破産手続開始の申立ての日から1年以上前にした行為(160条3項に規定する行為を除く。)は、支払の停止があった後にされたものであること又は支払の停止の事実を知っていたことを理由として否認することができない。

 本判決は以下の理由で、Y銀行の主張を斥け、Xの請求を認容した(本件弁済の破産財団への取戻し)。控訴審の札幌高判令和3.12.17においても追加的判断はされず、Y銀行の不服申立は棄却され、上告受理申立てがされたが、最決令和4.5.20において上告不受理決定となった。

2.判決理由

(1) 破産法162条1項1号イの適用(肯定)

 本件不動産は、高齢者向け施設として、Aが代表を務めるBが運営する介護事業に用いられていたところ、Y銀行は、当該介護事業が本件不動産の売却時点(平成27年10月23日)で既に破綻していたことを認めている。このことに加えて、その当時、申立代理人によってA及びBの債務整理が進められており、本件不動産の売却代金からAの破産申立手続費用等を控除することが前提となっていた(Y銀行もこれを是認していた。)ことや、その後にAの資力が回復したことをうかがわせる事情も見当たらないことを踏まえれば、Aは、本件弁済がされた平成28年10月13日時点で、客観的に支払不能の状態にあり、Y銀行もこのことを認識していた(悪意)と認めることが相当である。

(2) 破産法166条の類推適用(否定)

 支払停止は、一回的行為として支払不能である旨を外部に表明するものであり、支払不能の徴表としては不確実な事実であるから、破産手続開始の申立ての日から無制限に遡って支払停止を要件とする否認を認めた場合、取引を長期間にわたって不安定な状態に置くことになる。破産法166条は、このような場合における否認権の行使に1年という時期的な制限を設けることによって、取引の安全の保護を図る規定と解される。
 これに対し、支払不能は、弁済能力の欠乏のために債務者が弁済期の到来した債務を一般的、かつ、継続的に弁済することができない客観的な状態を意味するものであるから(破産法2条2項11号)、破産債権者が支払不能について悪意の場合に、破産手続開始の申立ての日から1年以上前に遡って否認を認めたとしても、不当に取引の安全を害することにはならないと考えられる。
 Y銀行は、破産法166条の適用を支払停止の場合だけに限定することは、相殺禁止の除外原因について定めた破産法71条2項3号及び72条2項3号とも平仄を欠く旨を主張する。
 しかしながら、相殺禁止と偏頗行為否認とは完全に同質の制度とは言い切れないし、それ自体が破産手続開始原因となる支払不能と、その徴表にとどまる支払停止とを、否認権行使の場面において当然に同一に取り扱うべきともいえず、Y銀行が指摘する点を考慮しても、支払不能の場合に、破産法166条を類推適用すべきものと解することはできない。

3.本判決のチェックポイント

(1) 偏頗行為否認とその要件

 破産法における否認権は、破産者の財産を減少する詐害行為(160条)や債権者間の平等を害する偏頗行為(162条)があった場合に、破産管財人がこれを行使することで、破産者の財産状態を原状に復させ、これを公平に分配することを目的とするものである。
 本件事案で問題になる偏頗行為否認は、①破産者が支払不能になった後の弁済行為のうち、②債権者が支払不能または支払の停止があったという事実を知っていた場合に、弁済の効力を否定ものである(162条1項1号イ)。
 本件でY銀行は、Aが歯科医師であることからこの稼働による将来の支払能力が認められるので、支払不能ではないと主張したが、本判決は、判決理由(1)で、本件弁済がされた平成28年10月13日時点で、Aは客観的に支払不能の状態にあり、Y銀行もこのことを認識していた(悪意)として、破産法162条1項1号イの要件を充たすので、否認できるとする。
 「支払不能」の判断が問題になるが、これについて破産法はすでに、2条11項において「債務者が、支払能力を欠くために、その債務のうち弁済期にあるものにつき、一般的かつ継続的に弁済することができない状態」をいうものと定義しており、この該当性が問題になる。本件事例のように客観的支払能力が問題になる場合は、債権・債務の相手方や金額および弁済期間等を具体的に特定して判断されることになるのが一般的なものとされているが、返済原資がたまたま返却されてきた住居建物総合保険の解約返戻金であったため、支払能力の判断自体を左右することにはならなかったものと思われる。

(2) 破産法166条の類推適用

 本件で否認の対象になった「本件弁済」は平成28年10月13日であり、破産手続の開始を申し立てたのは平成30年12月27日であり、否認の対象になる行為は破産手続開始申立ての1年以上前に行われたものである。このような場合に、破産法166条は、支払停止があった後にされたものであることまたは支払の停止の事実を知っていたことを理由として偏頗行為否認等をすることができないと規定し、否認リスクから相手方を保護して取引の安全を図ろうとする。
 (1)では、破産者が支払不能になった後の弁済行為の弁済行為を否認の対象とするもので、破産法166条の適用は文言上不可能であるので、同条を類推適用して否認の成立を否定できないかが問題になる。
 これについて、類推適用を肯定する学説は、支払不能または支払停止を知った後の債権者の債務負担・債権取得であっても、それが申立ての1年以上前に生じた原因によるものであれば、相殺禁止が解除されること(破産法71条2項3号、72条2項3号)との不均衡をあげ、否認も同様に、支払不能が申立ての1年以上前に生じた原因によるものであれば、その成立を否定するものである。
 しかし、判決理由(2)は、①相殺禁止と偏頗行為否認とは完全に同質の制度とは言い切れないこと、②それ自体が破産手続開始原因となる支払不能と、その徴表にとどまる支払停止とを、否認権行使の場面において当然に同一に取り扱うべきとも言えないこと等を指摘して、破産法166条の類推適用を認めない。
 本判決は、反対説もある中で、極めて明快に類推適用否定説を採ることを明らかにしたもので、その是非について学理上の問題は残るが、実務的には参照価値が大きい重要判例である。