【超短編小説】「ん」
「俺って【雨男】なんだよね。」
「申し訳ないんだけど、私『雨男』って単語嫌いなんだよね。」
そう言い放ち、由香は綺麗に盛り付けられた【イカの刺身】を一切れ、口に運ぶ。
「え…?」
店の外から、雨の音が微かに聞こえる。仕事終わりの彼女と、特に仕事も無い俺は、いつもの居酒屋で一緒にご飯を食べていた。
「なんで嫌いなの?」
「だってさ、『雨男』なんて嘘じゃん。」
「いや、嘘じゃないよ。」
「え、じゃあ、外に出たら毎回雨が降るってこと?」
「いや、それはないけど、大切な日とかは割と雨が多いよ。」
「え、私との初デート晴れてたけど、じゃあ、私との初デートは大切じゃなかったってこと?」
そう言って悪そうな笑みを浮かべる。
「いや、そんなことはないけど、雨の確率が高いってだけだよ。」
「絶対そんなことないと思うけどね。」
「え、じゃあ、俺の日記とか読んでみなよ。読めば俺がどれだけ雨男かわかると思うよ。」
「いや、日記なんていくらでも捏造できるでしょ。そんな【嘘日記】信用できません。」
「なんだよ嘘日記って。日記にわざわざ嘘書かないよ。」
「どうだかね…。」
俺に冷たい視線を浴びせながら【枝豆】を食べ、ビールをゴクリと飲む。
「まあ、どちらにせよ。雨男は、自己肯定感が低いから雨の日しか覚えてないか、構って貰いたいから嘘ついてる【狼少年】みたいな奴かのどっちかだよ。」
「絶対そんなことない。」
「てか、本当に雨男だったら最悪だしね。」
「なんでよ。」
「【家族】からしてみたら、無茶苦茶迷惑じゃん。」
「そう?」
「だって大切な日に高確率で雨降るんでしょ?沖縄旅行とか最悪じゃん。雨の沖縄なんて、何も楽しくないよ。」
「そんなことないだろ。」
「思い出残すために写真撮影とかしても、土砂降りなわけでしょ?良い写真全然残んないし、片手に傘持たなきゃいけないから【決めポーズ】も出来ないし…。家族の【黒歴史】しか写真に残らないよ。家族に【決別】されてもおかしくないよ。」
「言い過ぎだって。てか、毎回土砂降りってわけじゃないから。」
「てことはやっぱ雨男じゃないじゃん。」
ぐうの音も出なかった。【こんなはずじゃなかった。】
「いや、まあ…そうだな…はい。」
こんなにも論破されるとは思ってなかった。
「じゃあ、もう自分のこと『雨男』って言うの禁止ね。」
「ん…。」
「『ん』って何?」
「『うん』って言ったよ。」
「いや、『ん』って言ったじゃん。」
「だから、『ん』と『うん』は一緒だよ。わかるでしょ。」
「いや、わかんないって。ちゃんと『はい』か『いいえ』で言ってよ。」
「「だから、『はい』が『ん』で、『いいえ』が『ううん』だよ。」
「ややこしいな…!」
そんなくだらない話をした後、彼女を歩いて駅まで送り、家に帰る。今日も、彼女に奢ってもらってしまった。
「今日は俺が出すよ。」
「いいって、私の方が歳上なんだし。」
そう言って、彼女はいつも財布を取り出す。正直言って、「今日は俺が出すよ。」と言っている時も、ほんの少し奢ってもらえることを期待している自分が居た。そんな自分が、心底嫌いだった。
家に帰る途中に水溜まりに足をつけてしまい、靴下がびしょびしょになった。もの凄く気持ちが悪い。俺は雨が嫌いだ。自分のことを雨男だと思うのは、心底雨が嫌いだから…その分雨のことを強く覚えているからかもしれない。
俺は今日、彼女に別れを告げるつもりだった。「小説家として結果を残したら、プロポーズする。」そう決意して、三年が経とうとしていた。全く結果は残せていない。正直、自分に才能がないことに気づき始めていた。もうこれ以上、彼女の時間とお金を、俺が奪うわけにはいかない。今日で本当に、最期のデートにするはずだった。でも、言えなかった。彼女の笑顔を、壊したくないと思ってしまった…。いや、こんなカッコいい理由ではないな…。ただ、怖かった。彼女を失うのが怖くて、【最期の言葉】を…別れの言葉を言えずに居た。
家に帰り、熱い【シャワー】を頭から浴びた後、パソコンに向かった。とにかく書き続けるしかない。【少し立ち止まってみる】と、自分がいかに駄目な人間なのかを痛感し、未来が真っ暗に思えてしまう。【世界の終わり】に居るような、そんな気持ちになる。だから、ひたすら小説を書き、なんとか自分の心を保ってきた。だが、それももう限界かもしれない。自分が今書いているものが駄作だということに、もう自分で気づいてしまっている。自分の【存在感】をこの世界から消し去りたいような、そんな気持ちになる。【正しい小説の書き方】なんて、どうやって身につければ良かったのだろうか…。今までひたすら小説を読み、たくさん研究した。だが、自分が書き上げたものを振り返ってみると、どうしようもない、【稚拙な小説】の山だった。
「もう…やめよう。」
一人でそう【つぶやき】、パソコンを勢いよく床に叩きつけた。もう、小説家なんて諦めて、就職しよう。結婚して、安定した生活を彼女と一緒に送るのだ。パソコンを床から拾い、電源ボタンを押すと、パソコンは何事も無かったかのように起動した。そして、それを少し嬉しく思ってしまった自分に気がつく。そんな自分が本当に情けなくて、涙が出てきた。やはり、俺は書くことをやめたくないのだということに、気づいてしまった。【てんてんてん】という静寂が、胸を締め付ける。俺は徐に立ち上がって【トイレ】に入り、思い切り叫んだ。トイレには多少防音機能があるかと思ったが、隣の部屋の人が壁を叩く音が聞こえた。
23時過ぎ、彼女に電話をかけた。
「急にごめん…。」
「ん?どうした?」
「あの…俺と…。」
「ん?」
「俺と…別れて欲しい。」
「…え…なんで?」
「小説家の夢を…叶えたいから…。だから…。多分、由香と一緒だと、俺は甘えちゃって、多分、夢を叶えられないから。だから…。ごめん。」
もちろん、夢が叶わないのは、彼女のせいではない。自分の実力不足だ。そんなことは俺が一番わかっている。
「わかった…。」
声が震えていた。
「応援してるから、頑張ってね。」
「ん。頑張る。」
「また…『ん』って言ったね。」
そう言って、いつもの声で笑う。
「雄介の【名前】を知らない人が居ないくらい。有名になってね。私自慢するから。『この人のファン一号は私です』って。あ、キモイか…?」
「いや、キモくないよ。」
「バイバイ。」
「うん、バイバイ…。」
そして、電話を切った。絶対に結果を残す。そう心に決めた。これで売れなかったら、「人間失格」の烙印を押されてしまうような気がした。【人間合格】のために、何としてでも結果を残さなければいけない。もし、俺が売れた時に、彼女が独り身だったら…もう一度…。と、考えそうになったが、やめた。それは、あまりにも都合が良すぎる。
掻きむしった傷跡に、【塗り薬】を塗る。昔から肌は弱い方だったが、由香と別れてから、余計痒みが増した気がする。あれから、二年が経とうとしているが、まだ結果は出せていない。
【寝坊】したせいで、今日も朝食を食べる時間は無かった。ボサボサの髪のままバイト先に向かい、レジ打ちをして帰るだけの日々。バイトの帰り道、何気なくゴミ捨て場に目をやると、ルンバが投棄されていた。雨に濡れた【野良のルンバ】と自分とを重ね合わせる。その時、ポケットに入れていたスマホが震えた。大学時代の友達からの久々の連絡だった。
「もしもし…?久しぶり。」
「おう…。」
「あのさ…由香…結婚するらしいよ…。」
「そうなんだ…。」
「リアクション薄いな。いや、わざわざ連絡することでも無いとは思ったんだけどさ…。隠すのも変かな…と思って。」
「うん、まあ…連絡ありがと…。」
「あ、相手は【歯医者】だってよ…。勝ち組だよな…。」
電話を切り、ポケットにしまう。由香がずっと【一人】な訳がないとは思っていたが、もう結婚…いや、二年も経てば当然か…。きっと素敵な【夫婦】になるだろう。由香に、「結婚おめでとう」とLINEを送ろうかとも思ったが、逆に【偏屈な奴】だと思われるような気がしたので、やめた。苦しい気持ちも少しはあるが、【本音】を言うと、由香が幸せになってくれて、ホッとしている自分が居た。
家に帰り、なぜ俺の小説が売れないのか、売れている小説と見比べてみる。自分の小説と、売れてる小説との【まちがいさがし】…どこかに答えがあるはずなのに、【見えないものは見ようとしても見えない】。これまで、とにかくいろんな小説を書いてきた。歴史や【昔話】を題材に書いてみたり、恋愛物を書いてみたり、ミステリーを書いてみたり…だが、どれもうまくいかなかった…。もう、何もかも【めんどくさい】と思うようになってしまった。この【問題】の答えは、シンプルなのかも知れない…「俺には、才能が無い」ただ、それだけ。ドラマや小説だったら、なんだかんだあって、最終的には夢を叶えるのだろうが、これは現実だ。俺みたいな人間は腐るほどいる。天井を見上げ、もし【やり直すことができるなら】…と意味のないことを考えてしまう。もう、潮時かもしれない…。俺は、【夢の外へ】離脱することに決めた。
俺は、小さい広告会社で働くようになった。小説家として食べていく夢は諦めたが、小説を書くことは好きだったのでやめられなかった。小説といっても、2ページくらいで完結する超短編小説だ。皮肉なことに、以前よりも書くのが楽しい。「どうすれば【予測不可能】な展開になるか」とか「自分の小説がどうすれば売れるか」なんて考えなくて良い。純粋に、自分が面白いと思えるものを書けるようになった。自分が思いついたものをとにかく書きたいように書いた。
お腹が空いたので、昨日作った筑前煮に【ラップ】をして、レンジで温める。こういうちょっとした待ち時間で文章を書くのが楽しい。【理屈】とか、設定もあまり決めずに、自由に書き進める。今は、主人公が何度も時間を【ループ】する物語を書いている。レンジのピピピという音を聞き、執筆を中断して、筑前煮の入った皿とお茶碗をテーブルに運ぶ。味の染み込んだ【レンコン】を噛み締める。夢は叶わなかったし、【ろくな人生じゃなかった】と思うこともあるが…そんなに悪くはないのかも知れない。ただ、良さが【わかりにくい】だけだ。筑前煮のレンコンの美味しさや、小説を書く楽しみが完全に奪われたわけではない。もしループできたとしても、また俺は同じ人生を繰り返す気がする。ただの小説【ヲタク】も、悪くないのだ。
書いた超短編小説をネット上に公開していたのだが、ある日コメントが来ていることに気づいた。
「やっぱ面白いね。ファン一号より。」
そう書かれていた。あの頃の笑顔が脳裏に浮かんだ。
「ありがとうございます。」と打ちかけて、文字を消した。そして、「【ん】」とだけ打ち込み、エンターキーを叩いた。
エピローグ
数年後、突然の雨に降られ、俺は雨に濡れた顔をハンカチで拭った。
「俺って雨男なんだよね。」
隣にいた彼女にそう話すと、彼女はキョトンとした顔で俺を見つめ「え、雪女みたいなこと?」と聞いてきた。想像もしていなかった返答に、思わず笑ってしまう。雨男と雪女…確かに天気と性別という構成要素は似ているかもしれないが、全くの別物だ。ゲラゲラと笑う俺を、彼女は不思議そうに見つめている。
俺は、ちょっとだけ雨のことを、好きになれたような気がした。
あとがき
これにて、超短編小説(最後の小説は、そこそこ長くなってしまいましたが…。)ひとまず終了となります。読んでくださった方々、本当にありがとうございました!!
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