【超短編小説.14本目】一度無くした信頼

 「一度無くした信頼は、元には戻らないんだよ。」
そう言って、岡田先生は悲しそうに笑った。
 俺は、岡田先生のことを本気で天才だと思っていた。先生の書く小説はどれも人間感情がリアルで、小説の登場人物の息遣いが聞こえてくるようだった。しかし、最近の先生の作品は、正直質が落ちているように思える…言葉を選ばずに言うなら、登場人物達が薄っぺらい。おそらく、出版の頻度が高まっているのが問題だと思う。出版社が多くの作品を先生に要求するせいで、一つ一つの作品に向き合う時間が取れなくなっているのだ。
 「大丈夫です。読者の人たちは、先生が新たな傑作を生み出すのを待ってくれてますよ。」などと適当な言葉を投げかけたのが間違いだった。
「一度無くした信頼は、元には戻らないんだよ。もし、今後私がこれまで以上の傑作を世に生み出したとしても、私の作品に幻滅した人達はもう二度と私の本を手に取ってはくれないだろう。一度でも読者を裏切った作家は、読者に裏切られて当然なんだ。」
ゆっくりと静かに、そう語った。
「先生は、後悔してますか?」
「え?」
「納得のいかない作品を、大量に世に出したわけですよね?後悔してますか?」
「納得のいかない作品…?君は、私が納得のいかない作品を出していると思っていたのか?」
「え?」
先生の眉間に皺が寄る。私は、自分の背中から汗が噴き出ているのを感じる。
「いや、でも、先生は、出版社から大量の作品を要求されて、現に一冊ずつの売り上げは落ちてますし…。」
すると、先生は少し笑った。
「確かに、質が落ちたと言われても仕方ないのかもしれないね…。でもそれは、量が増えたからじゃないよ。」
「え?」
「模索してるんだよ。新しいものを。」
「新しいもの…?」
私は首を傾げる。
「正直、これまで通りの作品をこれまで通りのスパンで出版しようと思えばできなくもないんだよ。でもね、それだと前進しないだろ?私はね、新しいものを見つけたいんだ。今のところ、評価はされていないし、面白いものになってるとは言い難いが、決して納得いかない作品などではない。私の経験としてしっかりと蓄積されてるんだよ。」
正直、その時の私にはあまり先生が言っていることの意味がわからなかった。

 数年後、岡田先生は、とてつもない量の小説を各出版社から同時に発売した。それらの小説は、どれも傑作としか言いようがなかった。そして、それらの小説を読み上げると、全ての物語が繋がっていることに気づかされた。
「先生、これ!なんですかこれ!」
私は、興奮気味に先生の部屋を訪れた。
「面白かったかい?」
私は、深く頷いた。
「まあ、色々模索した甲斐があったようだね…。」
外から、ホトトギスの鳴き声が聞こえてきた。
「一度無くした信頼は、元には戻らないけれど、新しく信頼を得る力は、誰もが持ってるんだよ。」
そう言って、先生は嬉しそうに笑った。

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