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情報デザインを学術研究にする

背景

3年次ゼミで学生が発表した論文にRtD (Research thorugh Design) が紹介されていました.情報デザインの卒論や修論をどうやって学術的な(アカデミックな)研究にするのか,学会誌に投稿できるような論文にするのかは常々悩んでいたことなので,この機会に,RtDも含めて情報デザイン(Human-Computer Interaction,UI,UX,デザイン思考などなど)を学術的な研究にする工夫について,学部のゼミ生に伝える形で書いてみます.

実験室実験とフィールド(実社会)での実装評価

僕は元々実験物理学者だったので,実験室での研究を論文にすることには慣れています.物理学実験では余分な影響(剰余変数)が入らないように条件(独立変数)を管理し,実験装置を使って量的なデータ(従属変数)を取得します.取得したデータには統計誤差と(実験装置の特性による)系統誤差が含まれるので,統計分析して得たい情報を解析します.自然科学の研究はとてもシンプルです.心理学等の社会科学でも物理学のような自然科学に習った実験を実施する場合は,同じように量的データを分析することができます.自然科学と社会科学が違うのは,自然科学が自然を研究対象にしているのに対して,社会科学は人間や人間が属する社会を研究対象にしていることです.人間は多様なので正規分布だけではとらえきれない多様性があるし,数学で記述できる物理学とは違って人間を厳密に記述したり解析したりすることはまだできないので,実験を行った文脈において近似的に成立しているように見えるモデルを使って結果を得ていると思います.

でも,実験室での実験は,生き生きとした人間が生きる社会とは異なる状況です.自然科学のように社会科学も実験室に閉じこもっていて良いのでしょうか? 社会課題を解決することを研究目的に置く場合,社会の文脈で役に立つ結果を得る必要があると思います.そこでは量的データだけでは捉えきれない質的データを得て分析することが大事になってきます.『SAGE 質的研究キット3 質的研究のためのエスノグラフィと観察』の序文に「質的研究は『そこにある』世界(実験室のような特別に作られた研究状況ではなく)にアプローチし,『内側から』社会現象を理解し,記述し,時には説明することを意図する.」と説明されていますが,「そのやり方は実にさまざまである.」と書かれています.インタビューデータの分析に使われることが多い日本独自の研究法であるM-GTA(修正版Grounded Tehory Approach)の『定本 M-GTA』の副題「実践の理論化を目指す質的研究方法論」が示すように,インタビューで得た質的データを分析して得た理論を実践の場で応用することでその有用性を示すことも行われています.『新版 質的研究入門』本のカバーには,「量的にはとらえられない人間の現実<リアリティ>を調査・研究するための方法論」と書かれています.『質的研究法マッピング』が示すように,質的研究を科学する手法はいろいろなものがあります.ゼミ生は,質的研究の最初の勉強として『初学者のための質的研究26の教え』も是非読んでください.質的研究分野でのデータ収集の方法,データ分析の方法,論文執筆の方法が初学者にわかりやすく書いてあります.

研究と称するためには,科学的な研究手法が必要です.なにより求められるのは信頼性で,その手法で研究すれば再現性がある正しい結果を求めることができることがわかっている手法を用いる必要があります.質的研究のポイントの一つが再現性で,誰が分析しても同じ結果が出る再現性は質的研究にはないけれど,ある分析者が,ある研究協力者たちから得たデータを,論文に明記されている方法で分析したときに得た分析結果が論文に明記されていること,つまり研究の文脈に依存した再現性があること,が必要だと思います.

社会課題の解決のために科学的に研究するためには,量的な研究と質的な研究を組み合わせたトライアンギュレーションが有効だと思います.それぞれの利点を組み合わせた異なる方向から研究対象を見る(分析する)ことで研究対象のリアルな世界が見えてくるのではないでしょうか.

デザインを科学する

東京女子大学で僕が2018年から教えている情報デザインは,Human-Computer Interaction分野とデザインが重なる部分で,人間中心設計を軸とするデザイン2.0な分野です.美術大学などデザインを専門とする大学の先生方と違ってデザインの専門家ではない人たちが,社会課題を解決するためにデザインに取り組む,そういう分野を扱っています.デザインの専門家達も「デザインを科学する」ことに取り組んでいるので,そこからヒントを得たいと思います.

デザイン学会の論文誌

日本デザイン学会には,『デザイン学研究』という論文誌と『デザイン学研究作品集』という作品集があるのが興味深いです.投稿規定によると,『デザイン学研究』で「論文」として採択されるためには,「デザインに関する課題が理論的または実証的に論述され,独創性があり,目的・方法・手段・結論等が明記されており,学術的に価値ある知見あるいは結論を含むと認められるもの。もしくは,萌芽的な学術的研究であっても,独創性に富み,デザインに関する研究の過程や内容に新しい事実や価値ある考察を含み,その発展性が大いに期待できると認められるもの。 」と書かれていて,デザイン学以外の科学分野と同じ基準であることがわかります.『デザイン学作品集』の投稿規定には,「作品論文とは、自らが参加したデザインの成果物およびそのデザインプロセスに関する省察を論述したものである。すなわち、成果の具体的な内容と目的、その造形性、先見性、独創性、社会性などへの言及とともに、デザイン展開プロセスの構成とそれを展開した行為と思考の特性について論述されていること。合わせてそれらがデザイン学として価値ある知見を含んでいること。また、萌芽的なデザインであっても、成果物が先進性や独創性に富み、その展開プロセスに関する新しい探求や価値ある考察があり、その発展性が大いに期待できるものであることが求められる。 」,「作品集に掲載されたものは『デザイン学研究』に掲載される論文と同等の価値を学会として認める。 」とも書かれています.

一般に学術論文には,新規性・信頼性・有効性が必要です.『デザイン学研究』では,「独創性」という言葉で新規性よりも広い表現活動を示しているように思います.「学術的に価値ある知見あるいは結論を含む」はその研究がどう役に立つのかという有効性を示しています.実社会ではなくて「学術的に」価値があると限定しているところがポイントだと思います.「目的・方法・手段・結論等が明記されており」ことで信頼性が担保されます.『デザイン学作品集』の投稿規定にも,独創性と言う言葉で新規性を求めていて,「デザイン展開プロセスの構成とそれを展開した行為と思考の特性について論述されている」で信頼性を求めていて,「デザイン学として価値ある知見を含んでいる」で有効性を求めていると思います.論文誌とは違って「学術的に」とは限定せず,「デザイン学として」価値があることを求めているのが興味深いです.デザイン学はデザインに関する学術研究を示していると思いますが,学術的より広い範囲をカバーしているのかもしれません.

これらの投稿規定を読んで僕が疑問に思ったのが,「学術的」な価値を持たない創作活動や研究は学術研究として認められないのかということです.世の中には,「学術論文」と「論文」,「学術研究」と「研究」があると言って良いかもしれません.この分類で言うと,学部の卒業論文には「学術」的な価値を求めないけれども,修士論文には必要で,博士論文には必須なのだと思います.

Research through Design (RtD)

僕がResearch through Design (RtD)と言う言葉を知ったのは,3年ゼミで学生が発表したヒューマンインタフェース学会の論文「家族コミュニケーションを時系列で補完するデザイン: スクラップブックフォトウェアのResearch Through Design」(Vol23/No4,pp535-546,2021)だったのですが,この論文ではRtDを「デザインを通した研究と科学との間の性質と評価基準の違いから独立し,発展してきた研究アプローチである[3].RtDはデザイン対象そのものに学術的貢献を見いだすのではなく,文脈に依存した問題に対するデザインの実践から生成された概念的記述を,他の研究や人工物に適用できる理論を形成する『注釈(annotation)』として生成することを思考している[4].」と説明しています.この説明は,文脈やら理論形成やら,前述した質的研究のところで述べた表現と似ていると思いませんか.

東海大学の富田先生は,ブログ「デザインの研究を考えるその1 /『創る』ことと『語る』ことを往復する探究的なデザイン」で,「デザインを研究する」という行為を考察しています.富田先生は「デザインの研究は、自然科学や社会科学、人文科学の作法に従って明らかにできることも多いが、それでは抜け落ちてしまうことも多いのではないか。」と指摘されていますが,ここが大事なポイントで,「科学的」「学術的」なことだけを求めると抜け落ちる何かがあるのではないでしょうか.どうすれば,デザインの知を一般化して他者と共有できるのでしょうか.富田先生は,慶應大学の水野大二郎さんによる,RtDの特質や発展を説明した論文を引用していますがURLが切れているので,CHIの研究者ウィリアム・ ゲイバーの述べるRtDに関する引用を,富田先生のブログから孫引きします.

デザイン学を科学と同等に扱うことが評価基準の違いから困難である。
 科学的な分析に基づき一般化、標準化、理論化に向かうのではなく、特殊化、多様化へ、そして独創的な概念に基づく人工物の生成へ向かうことがデザイン学独自の知の貢献である。
 デザイン学が創造的飛躍を要請する生成的学問分野(generative discipline)として認知される 必要があることを一貫してゲイバーは指摘する。
 RtD における記述とは、デザインされた人工物の注釈(annotation)として、作品集(portfolio)の中に位置付けるのが妥当ではないかと提案する。

水野大二郎 (2017)「意地悪な問題」から「複雑な社会・技術的問題」へ移行するデザイン学の研究、教育動向に関する考察

この記述もとても興味深いです.科学的な取り組みとして一般化することを求める,客観性や再現性を求める,のではなく,文脈に依存した特殊化で良いのである.デザインとしての,独創的な概念に基づく人工物の生成に向かうことが知の貢献である,と主張しています.

企業でのデザイン・リサーチ

企業の方とお話ししていると,リサーチと言う言葉の意味がアカデミア(学界)にいる人間と違うことに気づきます.アカデミアでは学術的な研究としてリサーチと言う言葉を使うのに対して,企業では科学的な研究としてリサーチと言っているように思うのです.木浦の『デザインリサーチの教科書』は「2.1 デザインリサーチの概要」で「学術界では、プロダクトがどのようにデザインされているか、その手法やプロセスに関する研究を『デザインリサーチ』と呼ぶ。 一方で、産業界でデザインに従事している私たちは、プロダクトをデザインするためのリサーチ、つまり人々や社会などプロダクトが置かれる状況を理解するためのリサーチを『 デザインリサーチ』と呼ぶことが多い。この場合、デザインリサーチはプロダクトのデザインプロセスの一部であると捉える ことができる。本書のテーマは産業界におけるデザインリサーチである。」と書いていますが,企業の方は,デザインするための調査手法をデザインリサーチと言っているようです.木浦氏は,Liz Sandersの論文にも言及していて,デザインの中にリサーチが含まれているのがデザイン・リサーチで,リサーチの中にデザインが含まれているのがRtDだと説明しています.いずれにしても,リサーチすることで,新規な(一般化された)知識が得られます.

渡辺的に捉え直すと,人間中心設計ではユーザ調査,ユーザの分析・モデル化,問題定義,解決案の発想,解決案のプロトタイピング,ユーザによるプロトタイプの評価,製品化のプロセスを経ますが,ユーザ調査の手法,ユーザ分析の手法,モデル化の手法,評価の手法などなど,人間中心設計のプロセスで必要な手法に科学的に取り組むことをリサーチと言っているように思います.

学術的なリサーチ,学術研究では,こうしたプロセスの結果得られた知見を(文脈に依存した範囲で)概念化して一般化すること,既存の知識体系との結びつきを明らかにすることを求めていると思います.そのためには,ユーザから得られた具象的な事実である調査結果を元に,学問知識体系を背景にした抽象レイヤーで考えて概念化・一般化を行い,それをもう一度具象レイヤーにいるユーザに戻して,評価して得た概念や知見の有効性を評価することが重要だと思います.

卒論や修論を書く学生へのアドバイス

  • 人間中心設計で用いる手法を正しく理解し正確に実行しましょう.授業の内容や授業で紹介した文献を読んで勉強,練習,実践してください.情報デザイン分野でとっつきやすいのは『デザインリサーチの教科書』かもしれませんが,企業で用いられている手法を真似するだけでは駄目です.大学では,エスノグラフィーにせよインタビューにせよ質的分析にせよ質問紙調査にせよ,これらの手法の原点に立ち戻って(元文献や教科書的な書籍を読む)勉強してください.

  • 現実レイヤーだけで思考しているのでは駄目です.抽象レイヤーに昇華して,そこで概念化を行い,得た発見(知識)の一般化を行ってください.そのためには学問的な知識が必要です.先人がこれまで得た知識体系が心理学・社会学・人間工学・感性工学・情報工学などの学問です.こうした学問があるからこそ,現実世界で起きている物事の意味に気づきます.自分が取り組もうとしている研究テーマを学問の視点で見ること,論文や書籍などで必要な知識を学んでおくことをお忘れなく.

  • 論文を書くときは,学問の世界で既にわかっていることは何かの先行研究調べ,関連研究調べにしっかり取り組んでください.自分の研究で得た発見も,学問に紐づけて議論してください.

  • 自然科学だけが科学ではないし,心理学や社会学だけが学問でもありません.デザイン学のように,文脈に依存した特殊化で良いのです.デザインとしての,独創的な概念に基づく人工物の生成に向かうことで知の世界に貢献してください.

  • 論文を読むだけ,実験室で実験しているだけでは不足です.実世界との繋がりを考えてください.現実世界で生じている課題,ユーザのニーズを発見し,それを解決するモデル(理論)を構築することに挑戦してください.対象にしたユーザの世界,得たデータ,行った分析方法,そういった文脈に依存した結果で構いません.でも,その文脈の範囲でわかったことをしっかり概念化し,現実世界の他のケースに応用できる知識の一般化を行いましょう.それが,その研究の発見です.

  • デザインの視点を持つと,新しい可能性,解決方法に気づくことができるかもしれません.僕は「Art & Logic」を重視していますが,学問の世界はLogic(論理)だけで構成されていて,それゆえ限界があります.そこにデザイン(Art,感性)を持ち込むことで,面白い新しい良いものが生まれると思います.

  • コミュニケーション専攻には,認知心理学,社会心理学,感性工学,人間工学,行動経済学,情報科学,などなどの基礎科目がありません.そこは本を読んで自分で補ってください.量的分析の科目は充実しているので,そこは得意分野にしましょう.

  • 「学術的」な価値を持たない創作活動(デザイン)や研究は純粋な学術研究としては認められないかもしれません.でも,上記に書いたことに注意することで,文脈に依存した一般性を持ち,得た知見を応用することができると思います.

  • なお,学部の卒業論文には「学術」的な価値を求めないけれども,修士論文には必要で,博士論文には必須なのだと思います.(過去には卒業論文をブラッシュアップして学会発表したこともありますが)修士論文も,学会発表するつもりで取り組んで欲しいです.


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