歌うなと言われた歌を歌う。
私自身が言葉で詩を作ったり、想いを伝える人だからって言う理由で、amazarashiの秋田ひろむを紹介させてもらいたい。
私は音楽に疎い。
ただ、秋田ひろむの言葉には心打たれるばかり。
amazarashiは中島美嘉に「僕が死のうと思ったのは」という曲を提供したり、最近は菅田将暉にも楽曲を提供していた。
青森県出身、在住の秋田ひろむ率いるロックバンド。「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨ざらしだが‘それでも’というところを歌いたい」からamazarashiというバンド名だそう。
昨年2018年11月には初武道館ライブを成功させて、メディアで扱ってもらったり認知度も高まっている今日この頃だと思う。
今から推しのアーティスト語らせてというタグにもかかわらず、秋田ひろむのことを知ってもらうには秋田ひろむの言葉を受けてもらうしかない。と全投げの私。
全ての楽曲が好きなので、その中からいくつか詩を抜粋して載せていきます。
昨日から雨は止まない でも傘なんて持ってない 悲痛 現実 僕らいつも雨曝しで
って言う諦めの果てで 「それでも」って
僕等言わなくちゃ
遠くで戦っている 友よ挫けるな
もう一度 もう一度 馬鹿な僕らが 馬鹿な希望を
馬鹿にされてこぼしたあの涙が 無駄だった訳ではないよ
もう一度 もう一度 僕等を笑ったこの世界に
ふざけんなって借りを返す為に
僕は立ち上がるんだ もう一度
「もう一度」
高層ビルに磔の 価値観は血の涙を流す
消費が美徳の人間がこぞって石を投げつけるから
金にもならない絵をかいた
絵描きは筆をへし折られて
見栄っ張りで満員の電車が走る高架下で暮らしている 喜怒哀楽をカテゴライズ 人に合わせて歌が出来て悲しい時はこの歌を寂しい奴はあの歌を
騙されねーと疑い出して全部が怪しく見えてきて人を信じられなくなったら立派な病気にカテゴライズ
不健康な心が飢えて悲劇をもっとと叫んでいる
大義名分が出来た他人がやましさも無く断罪する
人殺しと誰かの不倫と宗教と流行の店と
いじめと夜9時のドラマと
戦争とヒットチャートと
誰もが転がる石なのに皆が特別だと思うから
選ばれなかった少年はナイフを握り締めて立ってた 匿名を決め込む駅前の雑踏が真っ赤に染まったのは 夕焼け空が綺麗だからつじつま合わせに生まれた僕等
「つじつま合わせに生まれた僕等」
冷笑の365日にずぶ濡れの
コンビニ傘が土にも還らず
ゴミでも非ず モノでも非ず
役立つでも無く 邪魔するでも無く
昼はカラスに啄ばまれ 夜には星座を睨みつけ
磔にされた街路樹が「ほら」と言うから
つられて見上げた上空に
冬の雨雲と毎秒3kmで飛び去る弾道ミサイル
冬の雨は冷たいんだよなと呟きあって
また目を閉じた
「コンビニ傘」
ゴロツキ 被害者 加害者 負け犬 傍観者 容疑者
僕らただ生きてるだけで 名前だけ入れ替えられて
愉快犯 情緒不安定 ホームレス 日雇い労働者
何だっていいだろ 君のやるべき事をやり遂げてくれよ
「名前」
言葉から言葉の国道を往復し続けた十万キロの中古車
海岸に見果てぬ夢を看取り続けたら 夢だってとうとう見果てた骨をうずめるなら故郷に でも僕の言葉の死に場所ならここだ
十年後、百年後 何かしら芽吹く種子だと確信している 歌うなと言われた歌を歌う 話すなと言われた言葉を叫ぶ
燃やすほどの情熱もないと いつか流したあの敗北の涙を 終わってたまるかと睨んだ明日に
破れかぶれに振り下ろした苛立ちの衝動を
希望と呼ばずになんと呼ぶというのか
「ワードプロセッサー」
喜び 悲しみ 怒りだとか憎しみ かつての絶望が残す死ぬまで消えない染み
それが綺麗な思い出まで浸食して汚すから思い出も言葉も消えてしまえばいいと思った
言葉は積み重なる 人間を形作る 私が私自身を説き伏せてきたように
一行では無理でも十万行ならどうか
一日では無理でも十年を経たならどうか
奪われた言葉が やむにやまれぬ言葉が 私自身が手を下し息絶えた言葉が
この先の行く末を決定づけるとするなら その言葉を 再び私たちの手の中に
「独白」
長い。抜粋しようと思うと、こんだけの量になってしまう。選びきれない。
全てが秋田ひろむ自身の言葉だから、なにかを削ることなんて本当はできないのだ。
秋田ひろむの人生だから、違う曲に同じ言葉、同じようなフレーズが出てきたりする。それが必然だとも思う。だって、秋田ひろむの信念がそこにあるって分かるから。
一曲に詰まっている文字数はどれも多い方だと思う。だがそれが秋田ひろむにふさわしい分量なのだ。きっと、伝えたいこと凝縮して、厳選して託された言葉たちなんだろう。
SNSやインターネットの中で、言葉によるやりとりが行われている社会。
それなのに、虚しい言葉が溢れているのは何故だろう。自分が吐き出した言葉に責任を持っていない。
私はそれに限らず人間社会全体が、自然に反していることに耐えられず、山で自給自足の暮らしを選択している。
けれども秋田ひろむが歌を通して投げかけてくる社会に対する問には、共鳴する。
それは私が東京で一年だけだけど暮らして、
自分の目で社会と呼ばれる都市を見たからそこだ。あんなとこで人が生きて、その為に踏みつけられる数々の命、自然。
誰も自然の恵みを顧みない。
人が人ゆえに犯していく罪が露呈する。
荒廃したこの土地で もう生きていけないから
ノアの箱船的宇宙船 炎を吐く飛行機雲みんな
地球を出て行った僕はそれに 手を振った
さよなら
この町が燃え尽きて 百年経ったら起こして
土には還れぬもの達と添い遂げて
裏庭の堅い実が 真っ赤になったら教えて
この夏の訪れを そよ風に言付けて
空を越え
「百年経ったら」
昨日の夜遅くテレビでやっていた映画を見たんだ
未来の世界を舞台にした 海外の古いSF
すでに世界は汚染されて マスクなしじゃ肺がただれて 瓦礫の如きメトロポリス
未開の惑星みたいな地球
逃げ込んだ先は地下室 ただしの80000km2の
昔はシェルターと呼ばれていたが 今じゃ都市と呼んで差し支えない 人工太陽 人工植物 そもそも人工じゃないものはない
ほぼ人間と変わらぬAI 誰もそれに疑問は抱かない
僕らが信じる真実は 誰かの創作かもしれない
僕らが見てるこの世界は誰かの悪意かもしれない
人が人である理由が 人の中にしかないのなら
明け渡してはいけない場所 それを心と呼ぶんでしょどう? 理解できたかな これが人類の原風景
上映はこれにて終了です
拡張現実プラネタリウム
お帰りの際は保護服とマスクをお忘れないように
手元のモニタでご確認を 本日の東京汚染予報
「古いSF映画」