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時間を肌で感じると人は病む

「今日、何をしていた?」

何気ない一言に関心を持つ。

時刻は人々が夜を目指し、仄日に恋心を寄せている。私は文章を書く事でその日を清算していた。

「今日、何をしていた?」


Eは答えた、今日は仕事をしていた。その後本を読んで、洗濯物をして…
Rは言う、本を読んで、レポートをしていた。
Sは息を呑む、今日は…

私は場を観る、友人を酷く憎く思う。永遠を感じるからだ。
アルチュール・ランボーは永遠を詩で答える

見つかった
何が? ―〈永遠〉
太陽と一緒に行った
海のことだよ

「今日、何をしていた?」



鼠を見つける。道路に打ち付けられた鼠を。
側溝の上でまるで最初からそこに在るべきモノだったかのように。
鼠は思う、最後にリンゴを食べたのはいつだったけ?空は最初から紫ではなかったよね。
永く伸びきったグミに祈る。これは長くなかったかもしれない。
鼠は思う、最後にリンゴを食べたのはいつだったけ?空は最初から紫ではなかったよね。

予測変換は予測しすぎていた。鼠の事なんてどうでもいいのだ。
生活における予測変換は私を苦しめ続けた。

「今日、何をしていた?」



…自分への問いかけに変わっていた。

今日は、何をさせられていた?解消した。
何をやろうとしているとさせられているは正確に言うと「今日、何をしていた?」ではない。

既に私は予測変換によって今日、何をしていた?と打ってしまう。いや、打たされている。
どちらが正しいは無い。今日、何をしていた?に囚われすぎていた。私は何もしていない、しかし永遠を手に入れた。それは物語の美しい永遠、なんて心地の良い響きではないことは伝えて置かなかればいけない。

きっとこのくだらない思いつきの断片を読んだ貴方は「今日、何をしていた?」に答えられる。励ましではない。

貴方が客観的に今日、何をしていた?と言えるのが微笑ましい。


「今日、何をしていた?」

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